第4話 銃を構えてる絵は画力がいる

 そのときにはすでに日は傾いていて、来たときには白かった砂漠が桃色に染まっていた。日干し煉瓦で作られた建物は、傾いた日によって赤く色づいている。


 建物の隙間から、ひときわ高い砂丘に白い宮殿が建っているのが見える。ほかに目印になるような建物はない。


「ってことは、あれがグランドパレスですかね」


 エヴィはヴェールを深く被ってから、それを目標に歩きはじめる。


 道の間は高い建物や壁によって区切られており、見通しは基本的に悪い。建物もほとんど同じ造形のため、方向感覚が失われる。


「人、ほとんど歩いてないですね……」


 グランドパレスを見失ったらほとんど迷ったも同然だろう。


「あ……電脳様」


 道をひとつ抜けた瞬間に、突然電脳様が視界に入ることもあった。


 この国に来たときのことを思い出すとびくりと身体がこわばるが、オーウェンの言う通り首筋を隠していれば追いかけられることもなかった。改めて心の中で彼に感謝する。


 ほどなくしてグランドパレスに到着した。

 八角形を象るように尖塔が立つ城壁の中心に、半球状の青い屋根の宮殿がある。


「これが、グランドパレス……」


 おそるおそる中庭へと足を踏み入れていく。街とは違い、電脳様の一体も歩いていない。噴水の落ちる音と木のこずえがこすれる音だけが響く中庭を、エヴィはまっすぐ進んでいく。


 グランドパレスまでたどり着いて、ふと後ろを振り向く。

 赤く染まった機械都市国家マキナが一望できるような位置に、グランドパレスは建っている。


「ここは、人間を監視するための建物、なんでしょうか」


 小さな建物が建つ区域で、わずかに影が揺れている。きっとあの影が人間なのだろう。


 エヴィがグランドパレスに入ろうと振り向くと、目の前までレンズが迫っていた。


「っわ!」


 エヴィは思わず一歩後ずさる。

 そこにあったのは、レンズから三本の足が生えた物体だった。


『正解です』


 女性のような、男性のような。子供のような、老人のような声が、エヴィの耳元でささやいた。


「……統領、さまですか」

『ええ。お前は〇一六八番とともにいた旅人ですね』


 オーウェンの言葉は本当だった。電脳様の見ている景色は、すなわち統領の見ている世界なのだ。


「ええ。わたしは流れの旅人ですが、この国では彼の言葉を電脳様に伝える巫女となります。人間用の薬を売るのは禁忌とされているそうですから」

『承知しました。〇一六八番の客人ならば歓迎しましょう。番号を与えますので、こちらへ』


 三脚の足を器用に動かしながら、統領は奥へ進む。エヴィはその存在感に気圧されながら、グランドパレスに足を踏み入れていく。


 幾何学模様と文字装飾、アラベスクをふんだんに取り入れた壁が全方向に刻まれた壁は、エヴィも初めて見るほど美しかった。


 グランドパレス内部には、なにもない。統領という存在を入れて初めて完成されるような、空っぽの箱。エヴィはそんな印象を受けた。


 ここにグレイスさんがいたら話が早いのに、とエヴィは思う。そんなこれ見よがしに飾るわけないか、と苦笑いする自分もいた。


 やがて統領がグランドパレスの中心まで進むと、突如それを中心として床の模様が光りだした。

 エヴィが驚きの声を上げる前に、統領が言った。


『お前の名を教えなさい』


 振り向いた統領のレンズには、エヴィの呆けた顔が反射していた。

 すべてを見透かされている気分だ。エヴィは自分の意思とは関係なく、統領の問いに答えていた。


「エヴィ・フィッツクラレンス……です」

『エヴィ、ですね。どこから来たのですか?』


 エヴィはレンズから目を逸らして、言った。


「北の町です」

『名を何というのですか』

「……名前は、ありません」


 統領のほうを見られない。顔を上げられない。

 統領には表情を作る機能はないだろうが、きっと鬼のような表情をしているだろう、と思った。


『地図を表示します』


 統領から無機質な声が響いた。


 エヴィが顔を上げると、統領の目の前に地図のホログラムが浮かんでいた。この世界全域の衛星写真のようだ。


『お前が来たところを指さしなさい』

「うわ、なんですかこれ気持ち悪い……ヌルヌルしてそう……」


 エヴィは今まで、こういった機械に触れたことがなかった。現在では機械はアンドロイドが使うものになっている。


『実体はありません。命令に従いなさい』

「はあ……」


 エヴィは一歩踏み出して、自分の来た道筋を辿っていく。

 砂漠を抜け、平原を抜け、氷雪地帯へ進んでいく。


 彼女が指を止めたのは。


「ここです」


 ”北方死海”――そう呼ばれる、最北の海の沖だった。


『嘘を吐いていたら処刑も辞しません』

「いや、だから、わたしはここから来たんですってば」


 統領が一本、脚を上げて、エヴィに差し向ける。銃口だった。

 嘘の話をしたら撃たれるんだろうな、と思いながら、エヴィは言った。


「ここに、わたしの生まれた島があったんですよ」

『エヴィ・フィッツクラレンス。次嘘を吐けば残弾数が一、減りますよ』


 洒落た言い方だな、と思いつつも、エヴィは話を続ける。


「信じてもらえないでしょうが、そこにはトゥーレという小さな火山島があったんです。わたしはそこから来ました」


 統領が銃口を向けたまま、『検索を開始します』と機械音声を放った。エヴィはそこで立ち尽くすしかなかった。


 その間、約二秒。


 エヴィの額に向け、弾丸が放たれた。

 近接距離からの予備動作なしの高速発砲。


 しかしエヴィはその弾を、額で受け止めた。

 エヴィの柔らかくしなやかな肌には、傷ひとつ付かなかった。


『データはありません』

「それはそうです。だってその島は、神様が沈めたんですから」


 再び発砲が来るかと思われたが、しかし返ってきたのは統領の人間的で特徴のない声だった。


『カミサマ……』


 オーウェンと同じ反応だ。

 どうやらこの国に、神様は最初からいなかったらしい。


「神様はいました」


 エヴィは微笑んだ。

 しかしその目には、涙がたっぷりと溜まっていた。


「わたし、トゥーレで神様とお話ししたんです」


 彼女が瞬きすると、溜まった涙が白い肌を伝って落ちていった。

 統領はその言い分を認めたのか、銃口を下げ、再び地面に付けた。


『エヴィ。よいでしょう。お前に番号を授けます』


 統領の、銃口ではないほうの脚が、エヴィの白い首筋に一瞬だけ触れる。


『〇〇一三番。かつて自分の嘘で出身国を滅ぼした男の番号です。二十一年前に死んだ男です』


 エヴィは統領のレンズで自分の首筋を確認する。そこにはでかでかと、〇〇一三と刻印されていた。

 これは目立つ。今後どこの国に行っても、ヴェールで隠さないとマキナの出身だと思われてしまいそうだ。


「あの、これって消えます?」

『この国から出れば消えます。ただのホログラムですので』

「あ、よかったです」


 マキナの出身なのに人間用の薬を売っていると言ったら、効果を疑われそうだ。

 これでひとまずこの国にいる許可は得られた。


「ありがとうございます、統領様」


 エヴィは深々と礼をすると、踵を返した。


「最後に訊いておきたいのですが、占い師のグレイスさんはどこにいます?」


 頭を上げて微笑むと、統領は脚を一本、上げた。

 銃口だった。


 パン、という発砲音が、静かな空気を切り裂いた。


『炎のまわりに藁を置く趣味はありませんよ』

「ほんっと、洒落た方ですね」


 エヴィは苛立ち混じりに皮肉を口にする。落ちた薬莢をつま先で統領の方へ蹴ると、彼女は踵を返した。


「いいですよ。神様はわたしの味方ですから」


 いずれ助ける未来を引き寄せてやります、と言い捨てると、グランドパレスにまた一発、銃声が鳴った。

 エヴィは冷たい砂漠の夜風に頬を緩めながら、きな臭いグランドパレスを抜けていった。


 日はとうに沈み、砂漠が月光で白く光っている。

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