第9話

 シリダスとデスーワが目を向けた、森の上空。

 そこには一匹のモンスターがいた。

 翼を広げる、悪魔のような姿。犬の着ぐるみのようなものに身を包んでいる。

 そしてあふれ出る、強大なオーラ。


 シリダスがシリアスな面持ちで、デスーワに告げた。


「元S級ギルド団員として、対峙した経験がある。

 あれは狼型モンスターを使役して強化する、S級ギルド案件の超上級モンスター、『ウルフカイナラシマスター』だ!」


 シリダスの言葉に呼応するように、ウルフカイナラシマスターは声を張り上げた。

 びりびりとふるえる空気。その振動で肌が、鼓膜が、露出したシリダスの尻肉が、ぶるぶると揺れる。

 そしてその声にこもる魔力を受けて、周囲の狼型モンスターのステータスがモリモリ上昇し、倒れていたモンスターも立ち上がった。


 モンスターのステータスアップを肌で感じて、デスーワは一歩後ずさり、歯噛みした。


(なんてこと! ダンジョンでもないこんな人里近い場所で、こんな強力なモンスターが出現するなんて……!

 まずいですわ、わたくし一人の力では倒しようがありませんわ。

 つまり……!)


 デスーワは背後のシリダスに目を向けた。

 この状況でこの男が、付与魔術師シリダスが何を言い出すか。

 そして来るであろう提案に、デスーワはどう返答すべきか、めまぐるしく思考した。


「デスーワさん」


「わ、わたくしはっ……!」


 予想通り開かれたシリダスの口に、デスーワはかぶせてしゃべった。なんと言うか決めかねたまま。


(どうしますの!? わたくし、尻は絶対に出したくありませんわよ!?

 でもそれ以外にこの状況を打破できる手段なんてないですし、どうすれば……!)


 そしてシリダスは、告げた。


「デスーワさん。僕がここに残るから、あなたは今すぐ逃げ出すんだ」


「なんっ……え、なんですって!?」


 そのシリダスの言葉はデスーワの予想外だった。

 シリダスは真面目な表情で言った。


「デスーワさんの常人の100倍の敏捷ステータスなら、一人で逃げ切るのはわけないはずだ。

 そして村の人たちを避難させたり、他の冒険者の応援を要請したり、うまくやってくれないか」


「ちょ、待つんですのよシリダスさん!? それってつまり、村の安全確保の時間稼ぎにシリダスさんがおとりになるって言ってるんですの!?

 無謀ですわ! そもそもどうして、なんで前みたいにわたくしに『尻を出せ』と要求しないんですの!? 何を考えていらっしゃいますの!?」


「何って……だってデスーワさん……」


 シリダスは目をそらして、いたたまれない面持ちで言った。


「尻を出したせいで婚約破棄されたんでしょう……そんな人にまた尻を出せなんてとても言えないよ……」


「なんで街を離れたシリダスさんにまで伝わってますの!? ウワサの広がり方エグすぎません!?」


 そこで狼型モンスターが突っかかってきた。

 シリダスは前に出て尻出し100倍ステータスでぶん殴って追い払い、そして言った。


「僕は、みんなに要求しすぎた。

 デスーワさん……以前のギルドマスターのケンシデス……みんなに尻を出してもらった。

 前線に出ても役に立たない付与魔術師だからと、みんなの強さの尻馬に乗るだけだったんだ」


 また襲いくるモンスターを殴って追い返し、シリダスは声を張った。


「それがみんなを傷つけたというのなら! 僕が尻を出せばいい!」


 尻肉をきゅっと引き締めて、決意の表情で宣言した。


「僕が、この世界で尻を出すただ一人であればいい」


 デスーワは、その背中を、その尻を見た。

 堂々とした尻だった。ただ、小さかった。

 正面でうなり声を上げるモンスターの群れと比べたら、なんと小さい尻だろうか。


「……そんなの」


 デスーワは地を蹴った。

 常人の100倍の敏捷ステータスで剣を振り、モンスターを打ち払い。

 そして。


「なっ!? デスーワさん、何を!?」


「見て分かりませんの!? 尻を出してるんですのよ!」


 シリダスの正面に、前に出たデスーワの背中が、そして尻があった。

 一糸まとわぬ、無垢なる尻が、そこにあった。


 シリダスに尻を向けたまま、デスーワは声を張った。


「わたくしだって、できるなら尻を出したくはありませんわよ! とっとと立ち去りたいですわよ!

 けれども!」


 強い決意の声色で、デスーワは言った。


「自分に手段があるのを使わないまま、ただただ無謀な勇者を見捨てて尻尾を巻いて逃げ出すなんてこと。

 高貴な令嬢たるこのわたくしには、できなくってよ……!」


 シリダスは、見とれるようにデスーワに目を向けた。

 堂々としたデスーワの尻は、輝くようだった。


 デスーワは振り向いて怒鳴った。


「さあ早く! 付与魔術をかけなさいな!

 でないとわたくし、ステータスも上がらないまま尻を出しただけの女になるんですのよ!」


 うなり声を上げていた狼型モンスターたちが、いっせいに飛びかかってきた。

 その中でシリダスは、うなずいて、魔力を込めた。


「分かった、デスーワさん。

 尻馬に乗らせてもらうよ。あなたの強さと、気高さに」


 飛びかかったモンスターたちが、吹っ飛んだ。


 上空で群れのステータスアップをしていたウルフカイナラシマスターが、状況に驚いて目を見開いた。

 吹っ飛んだ使役モンスターたちの爆心地には、変わらず付与魔術師シリダスと神速令嬢デスーワがいた。

 デスーワは、剣を振り抜いた姿勢で――正確には、襲いくる数十匹のモンスターすべてに複数回切りつける、百回以上の剣撃を繰り出した最後の一回を振り抜いた姿勢で――静止していた。

 高まったステータスの余波によって、空気がゆらりとゆがんで、オーラのように立ちのぼっていた。

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