第47話 痴話げんか
シミュレーターのカプセルに入り込むと、カプセルの蓋が閉じて、なんだか息が詰まるような感覚に見舞われる。
「ほい。そんじゃ、始めるから。何かあったらそうね……右手を上げてくださいねー」
蓋越しにくぐもって聞こえる菅原の声は、さっきまでの淋しげな調子は一切ない。楽しくてたまらないような響きだが、その中には熱に浮かされているような危うさがある。
「顔しか見えてないだろ。第一、狭すぎて腕を動かせねえよ」
カプセルの蓋には顔が見えるくらいの窓しかなく、身動きを取るのは難しい。
「あー、大丈夫大丈夫。こっちで脳波とかモニターしてるから。設定にちょっと時間かかるから、しばらく待っててねー」
「だったらなんでそんなこと言ったんだよ……」
ぼやくように言った言葉に菅原の返事はない。
(……なんか集中してるみたい。すごい勢いでキーボード打ってる)
緊張を抑えきれていない知美の声が頭の中に響く。
それに影響されて、こっちまでなんだか身構えてしまう。
(……わたしね、今凄くワクワクしてる)
知美から不安交じりの高揚が流れ込んでくる。
(美里ちゃんの能力のおかげで、今何を考えてるか、どう感じているのか。それが全部わかっちゃう。けど、どうしてそう思っているのか。そう思うようになったのか。美里ちゃんの歴史というか、なんというか……そういうことは分からない)
知美の熱に浮かされたような声。しかし、こちらは菅原のはち切れそうなものとは違って、どこか甘い。
(これから美里ちゃんは私の心の中に入ってくる。……わたしの全部を見てもらえる。だからね、とっても嬉しいの)
そうだな。私も嬉しいよ。
(なんだか投げやりだね。……わかってるよ。美里ちゃんの能力が切れるかもしれないからだよね)
こちらの考えも知美に筒抜けだ。寂し気な声が響く。
(でもね、それでもいいの。理由がどんなものだって、私の深いところ、自分ですら分かっていないところまで美里ちゃんが見てくれるんだから)
知美の声に、DVする男を庇うような健気さとそれに酔いしれるような陶酔が混じってきて、つい呆れてしまう。
「もっと不安がってくれ。頼むから」
知美から流れてくるのは見悶えしてしまいそうな幸福感。
不安も雑じってはいるが、強すぎるほかの感情にかき消されてしまう。
(信じてるから。美里ちゃんのこと)
息が苦しくなるような重い信頼をぶつけられて、思考が止まる。
(私の心の中がどんなに汚くたって、美里ちゃんは絶対に幻滅したりしない。むしろ、汚ければ汚いほど面白がってくれる)
……信頼されているようで何よりだ。
(ん)
褒められているのか貶されているのかよく分からない内容に皮肉めいた声を返すが、知美から流れてくるのは無防備な信頼。
全身を委ねられるような感覚に、恐怖と共に安心感を覚えてしまう。
しかし、改めて聞くとひどい奴だな。知美は相手がそんな奴で良いのだろうか。
(……美里ちゃんだから、良いの)
胸を締め付けるような切実さが伝わってきて申し訳ない気分になる。
知美が私のためになんでもしたいという気持ちはわかる。それがダイレクトに伝わってきているから。
だが、私はそれに何も返すことができない。
なんだかフェアでは無いようで。知美に借りを作ってしまっているようで居心地が悪い。
「ちがうよ」
カプセルを隔てた聞こえるはずの無い声。それが耳に直で届けられる。
「私の方こそ、美里ちゃんにはいっぱいもらってる。美里ちゃんは優しいから、そんな私を受け入れてくれる。……もしかしたら、受け入れてるふりかもしれない。けど、それでいい。今感じてる、この幸せは本物だから」
じんわりと胸に広がる温かな気持ち。歯が浮くようなむず痒さに顔を背ける。
「……私はたまたまお前の近くにいただけだ。お前のことを分かってくれる奴は他にもいるさ」
「どうしてそんないじわる言うの?」
繋がっているのに、分かってくれなくて、受け入れてくれなくてもどかしい。そんな想いが流れ込んでくる。
本当にどうしてしまったんだ。どうして私はこんなに不安なんだ。
「確かに美里ちゃんじゃなくても良かったかもしれない」
知美の言葉に、ほっとする。だが、なぜか落胆も感じてしまう。
「でもね。違うの。そうじゃないの」
そんな不安定な私を、知美の声ががっしりと捉える。
「私が一番ダメな時に、一番助けが欲しいときにそばにいてくれた。それだけなの。それだけで、私は救われたの。だから、こんなにも愛しいの」
切なげな想いと共に真正面から言葉をぶつけられて、自分がどうしたいのか、どう思っているのか分からなくなる。
「だったら、お前はもう大丈夫なんだろ。もっとちゃんとした奴を……お前のことをちゃんと大事にしてくれる奴を見つけな」
「……もういい」
悲しいような、腹立たしいようなやるせない気持ち。
「よし!設定完了。そんじゃご両人、いってらっしゃーい!!」
自分の面倒くささに呆れていると、菅原の今にも高笑いしはじめそうな、妙にテンションの高い声が響く。
こいつ、また盗聴していたな。
だが、少し安心する。知美とのやりとりをうやむやにできる。
(私があなたをどれだけ想っているか。それを教えてあげる。もう二度と不安になんてさせない)
悲しさをぐっとこらえて、包み込むような温もりに抱かれる。
別に不安になんて思ってない。
そう考えている自分が薄っぺらくて驚きを覚えると、ぶちっと何かが切れたような感じがする。
そして、目の前が真っ暗になった。
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