第45話 頭の良い人は大体いかれてる

 菅原玲子。人類史上二番目の天才。


 目の前で、殴りたくなるようなにやけ面を引っ提げている女はそう名乗った。


 失踪して死亡認定されたと聞いたが、アーコロジーを離れて生きていたらしい。


 紗枝曰く、千を越す魔物からアーコロジーを救った伝説の部隊、その隊長。


 能力者の寿命を延ばし、地位を向上させた立役者。


 眉唾としか思えないような逸話の数々。


 今も肌に感じる得体のしれない恐怖に、それらが全くの作り話ではないのだと悟る。


 同時にこいつが菅原の名を騙っているわけではないのだとも。


「うちの学園、白鷹学園って名前だったのか」


 教官が私に引き合わせようとした相手は、恐らくこいつだ。


 私の能力について聞きたいことは山ほどある。


 だが、それらを問い質して焦った様子を見せるのが何だか癪で、素朴に思ったことを口に出してしまう。


「えぇ……」


 にやにやとこちらの反応を窺っていた菅原が、がっくりと項垂れる。


「目の前に私がいるのよ。結構な有名人だと思ってたんだけど、最初に聞くことがそれ?」


 自分で言うか?


「悪いな。自分の周りのことしか興味がないんだ」


「はぁ。……まあ、いいわ。こっちも少し悪いと思ってたし、最初の質問はなんでも答えるって決めてたのよ。教えてあげる」


 どこか投げやりな菅原の声。


 しかし、勿体無いことをした。なんでも答えるというのなら、教官の恥ずかしい話でも聞いておきたかった。


「あんた、別にこの傷のことは何とも思ってないんじゃなかったか」


 みみずばれが残っている右手をひらひらさせる。


「なに勘違いしてんの?その傷はあんたが私に手を出そうとしたからで、自業自得でしょ」


 菅原が面倒くさそうに、刺々しく言う。


「だったら、何を悪いと思ってるんだ。さっき会ったばっかりで、まるで身に覚えがないんだが」


 こっちに身に覚えのないことで質問になんでも答えると言われるのは、施しを受けるようで気持ち悪い。


「あぁーと。……はぁ。面倒くさい」


 菅原は言葉を濁そうとしていたが、ため息を一つ吐くと、しぶしぶといった様子で語りだす。


「ハルには会ったでしょ。あの、透明になる能力者」


「ああ、声が小さい奴だな」


 知美の能力でも捉えることのできない、姿を隠すことのできる能力者だ。菅原隊の一員だったとも言っていた。


「ま、シャイな子なのよ」


 菅原が、教官と同じように田中のことをフォローする。


「詳細は省くけど、リリパット号が落ちてしまったのはハルが仕組んだことなのよ」


「まじか」


 だが、言われてみるとなんとなく納得する。


 船が落ちる少し前、田中はキャプテンムクダに航行速度と高度を落とすよう頼んでいた。


 思い返すと、あれは不時着させるための準備だったのだろう。


「あの子は嫉妬深いからねー。チコからあなたたちのことを聞いてから、私はずっとあんたらを迎える準備にかかりきりだったから。それでちょっかい出したくなったんでしょ」


 聞きたくもない菅原と田中の関係が暴露されて、辟易とする。


「嫉妬で船を落とすとか、重すぎだろ……」


 不意に知美のことが頭をよぎる。


 ……あいつもやりかねないな。


「はぁ。全く、困ったもんだわ」


 遠くを見つめるような目で頭を抱える菅原を見て、妙なシンパシーを感じてしまう。


「なるほど。それで私を傷物にした責任ってところか」


 左腕の傷跡を撫でる。つるつるとした感触。


 また、あの時の記憶が頭をよぎる。


 自分の中にいた知美の感覚を忘れたくないから、傷を残しておきたい。


 なんであんなこと言ってしまったんだ……。


 思い出すだけで恥ずかしくなってくる。


 これでは、まるで私が知美に依存しているみたいだ。


 そんなことは絶対にない。


 私は知美と繋がりっぱなしでいるのが、四六時中あいつに付きまとわれるのが嫌でここに来た。


 知美とのつながりを自分の意志で制御できるようにするためにここに来た。


 だから、傷跡を残しておきたいなどと言ってしまったのは、意識がもうろうとしていた時のうわ言でしかないのだ。


「……あんた、ころころ表情変わって面白いわね」


 そんな羞恥に悶えていると、菅原がまたにやけ面に戻っている。


「楽しんでくれたなら何よりだ。お代をもらおうか」


「ふん」


 菅原が腕と足を組んで、視線を外す。


「……こっちも予想外のことだったのよ」


 これまでどこか軽さを含んでいた菅原の声が地に足をつけて、いかにも真面目な話を始めそうな雰囲気を作り出す。


「田中の暴走のことか?」


「そうじゃないわ」


 菅原が一瞬呆れるような表情になるが、すぐに顔を戻す。


「……あの子。岩藤紗枝とかいう子の能力よ」


「紗枝の能力?」


「そう。その……紗枝ちゃん?だけどね。とんでもないわよ、あの子。何しろ、リリパット号とその中にいる人間全員をその能力で守ったんだから」


 言われて思い出す。


 リリパット号が落下を始めた時、私は紗枝と繋がった。


 そのつながりは消えてしまったが、そのことは後だ。


 地面に衝突する直前、紗枝から固い決意が流れ込んできた。


 その直後、紗枝が魔力切れで気絶して、繋がっていた私も少しの間意識が飛んだ。


「そうか。あいつ、能力の対象を自分以外にもできたのか」


「ただ守るだけなら良かったんだけどね…」


 菅原の声がまた変化する。興奮を抑えようとするが、それが漏れてしまっているような声。


 菅原の目が鋭くなり、口角が不気味に吊り上げられる。


「あの子ね、ムクダ大佐の能力を抑え込んだのよ。信じられる!?」


「お、おう」


 突然菅原が唾を飛ばしながら顔をこちらに寄せてくる。


 その声はたがが外れたような勢いと力強さで、こちらが気圧されてしまう。


「ムクダ大佐の能力は規格外。そうとしか言いようがない。何しろ、数千トンもある船をたった一人で浮遊させて航行させているんだから。能力の規模だけで言えば、これまでに私が見てきた能力者の中でも最大級。それをね、あの紗枝って子は抑え込んだのよ!

 信じられる!?

 ムクダ大佐はね、何回も撃墜を経験している。それなのに乗員に死者を出したことが無い。彼女はある種の天才。不時着するにしても、どうすれば船に、ひいては乗員に被害が出ないのか、それを肌感覚で分かってる。

 あの時も、衝突の寸前でムクダ大佐は船の操舵を取り戻して、被害を最小限にしようとした。……けど、出来なかった。

 分かる!?あの子が、紗枝って子がやったのよ!あの子がリリパット号を防護壁で包み込んだの!だから、船とあなたたちに被害は一切なかった。

 ……でも、あの子のすごいところはそれだけじゃない。

 そう!ムクダ大佐を抑え込んだの!さっきも言った通り、ムクダ大佐は規格外の能力者。そんな彼女の能力を、あの紗枝って子は抑え込んだの!

 どういうことか分かる?あの紗枝って子は瞬間的とは言え、ムクダ大佐以上の出力を出したってことなの。それがどれだけ凄いことか分かる!?分からないでしょうね!本当にもう、とんでもない逸材だわ。いやー、もうチコの慧眼には敵わないわ。ほんと。

 ま、そうやって能力を無理やり抑えられたせいで、ムクダ大佐は気絶しちゃったみたいだけどね」


 こちらの反応などお構いなしに、ぎらついた目でまくし立てる菅原に恐怖を覚える。


 こいつは目の前にいる私に向かって話していた。だが、こいつの意識の中に私はいなかった。


 こいつはただ、自分の中の考えを整理するために声に出した。多分それだけだ。


「……ん?紗枝のせいでキャプテンムクダが気絶した?」


 菅原の言葉を反芻していて、なんだか引っかかりを覚える。


「そうそう。そうなのよ!ムクダ大佐は船が落ちた程度で気絶する様なやわな子じゃないわ。彼女は、紗枝ちゃんの能力で自分の能力が逆流してきたショックで気絶したの。だから、まあ、ただ落ちただけだったら、5分くらいで船は動いてたんじゃない?はっはっは!」


 気持ちよさそうに笑う菅原を見て、徒労感に苛まれる。


「つまり、私らは紗枝のせいで長々と戦闘をさせられたと」


「ま、そうなるわね。何もなかったら、猪一匹を片付けるくらいで済んでたんじゃない?」


 腹を抱えながら菅原が声を絞り出す。


 それを聞いて、紗枝の奴に無性に腹が立ってくる。


「あの野郎……!」


「はっはっは!ま、焚きつけたのはあんたなんだから、自業自得ね」


「そもそも、あんたが田中の手綱を握っていればこんなことにならなかっただろ!」


 そうだ。そもそもの元凶はこいつだ。そう思ったらなんか腹立ってきた。


 やっぱり殺そう。


「いやー、笑った笑った」


 菅原が満足げな声を出して、席を立つ。


「ハルのおかげで思わぬ拾い物をしたし、あの子のこと褒めてあげなきゃ。あ、今のはあんた以外に言うつもりはないから、好きにしてね。

 あー、すっきりした。宣言通り質問に答えたし、10日分くらいは働いたわ」


「あ、ずるいぞ。答える質問をお前が選ぶな」


 すっきりした声を上げて出ていこうとする菅原に、非難の声を掛ける。


 ついでだし、白鷹学園の由来も聞いておきたい。


「いや、十分サービスしたからおしまい。あんたの能力について説明してあげるから、落ち着いたら部屋を出て頂戴。あっ、点滴は自分で外していいから。そんじゃねー」


 背中を向けたまま手をひらひらと振って、菅原が部屋を後にする。


「ああ、くそ」


 今になって菅原にやられた右手がじんじんしてきた。


「はぁ」


 癖の強い奴を相手にして、自然とため息が漏れる。なんか知らんが、どっと疲れた。

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