第34話 ごめんね

 教官は騒ぎすぎだと言って私達を病室から追い出そうとしたが、私は葉月ちゃんと二人で話したいことがあったから残らせてもらった。


 教官も察してくれたらしく、見逃してくれた。


「それでね、なんて言うんだろう…。素材の味ってやつ?それが凄いんだよ。

 小学校の時に変なトマトを引き当ててからトマトが苦手だったんだけどさー、あの店に行ってガラッと印象変わったわ」


 残ったはいいけれどなかなか話を切り出そうとしない私を気遣って、葉月ちゃんはずっとお話してくれる。


 最初は私と美里ちゃんのことを聞きたそうだったけれど、私が話しづらそうにしているのを察するとすぐに話題を変えてくれた。


 騒がしくて頭の軽い人とよく誤解されるけれど、葉月ちゃんは周りの人のことをよくみている。


 人をからかったりはするけれど、本当に嫌がっていたらすぐやめる。


 嫌がっているのを察すると、ごめんごめんと、なんでもないように謝る葉月ちゃんは本当にすごい。


 私も、美里ちゃんはすごく良い人なんだって伝えたい。


 ぶっきらぼうなところもあるけれど、その裏には優しさがあって、懐が深い。


 今だって、こんな私のことを面倒くさいって言いながらも受け入れてくれている。


 そんな美里ちゃんのことを考えると大好きだって気持ちが溢れてくる。


 だからみんなにそれを教えてあげたい。


 けど、自分だけで独り占めしたいとも同時に思う。


 美里ちゃんと長くいれば、きっと彼女の魅力に誰もが気づくだろう。


 でも今は私だけが知ってる。


 私だけが彼女と同じ世界にいる。


 だから、今は誰にも教えない。これは私だけのものだから。


「ねえ、ともちん。聞いてる?」


 葉月ちゃんの問いかけに、物思いから引きずり上げられる。


「…聞いてる。おしゃれなカフェを見つけて、ハンバーガーが凄いって話」


 私の言葉を受けて、葉月ちゃんが大きく頷いて、明るい声でまくしたてる。


「そーそー!いやー、なんていうか凄いんだよ。えーと、なんだっけ。あれだよ、あれ」


 勢いだけで話して、言葉を見失う。葉月ちゃんはいつもそう。みんなを明るくしようって頑張ってる。


「…素材の味」


「そうそう!それそれ!いやー、ハンバーガーなんてファストフードで十分だって思ってたんだけどさー、あれは凄かった。食感とか、音とか、もう全部すごかった。何よりすごいのがのさ、食材同士の組み合わせだよ!ハンバーガーの味なんて深く考えたこともなかったんだけどさー、全部の食材がお互いに引き立てあってたんだよ。肉がやっぱり一番なんだけどさ、ほら、それだけだとちょっとくどすぎるじゃん?

 あ、私はそういうのも好きなんだけどね。

 でもあの店は一味違った。トマトだよ!トマトがその肉のくどさというか、油っぽさをうまくなくしてるの!さらにレタスがシャキシャキしてて、もうね、楽しいの。おいしいし、良い音がするし、おいしいで最高なの!」


 葉月ちゃんはずっとお話してくれる。


 底抜けに明るい彼女の声は聴いているだけで楽しくなってくる。


 ずっとこのまま続けば良いなって思うくらい。


 …だけど、このままじゃだめ。


 私が残ったのは葉月ちゃんに気を遣わせるためじゃない。


 葉月ちゃんを負傷するほど追い込んだのは私。


 葉月ちゃんなら必ず時間を稼いでくれる。


 そんな重い期待を押し付けて無茶させたのは私。


 だからそのけじめをつけなきゃならない。


「葉月」


「ん。ともちん、なぁに。あ、今度、今言ってたところ行こうね」


 まだ話の途中だったけど、葉月ちゃんは声のトーンを少し落として問いかけてくる。


 きっと、私がここに残った理由を話そうとしていると察したのだろう。


 それで、声のトーンを変えて雰囲気を作ってくれた。


 やっぱり葉月ちゃんは凄く周りをよく見ている。


「そうだね。…葉月の快気祝い。奢る」


「ほんと!?やった!よーし、限界まで食べるぞー」


「…ほどほどにね」


 無邪気に喜ぶ葉月の声を聴いていると、このまま流されて雑談で終わらせたくなる。


 だけど、ダメだ。今この話をしないと私は後悔する。


 葉月のためじゃない。


 私のためだ。私のためにけじめをつける。


「葉月、話したい事がある」


「ん。何」


 言葉はそっけないけど、柔らかい声。話すのが得意でない私を優しく促してくれる。


「ごめん」


「えっ、ちょっ、なに、突然」


 慌てる葉月の声。


 私の口から漏れたのは謝罪。


 だけど、あんな重責を、足止めという役割を押し付けたことに対してのものでは断じてない。


 それに対して謝るのは立派に役目を果たした葉月への侮辱だ。


「私が無理に残って、ごめん。…寝てた方がいいのは分かってる。痛いの、我慢してるよね」


 葉月はうまく隠しているが、話している途中、変な力み方をすることがあった。


「なはは…。ばれてたか」


 参ったというように葉月が情けない声を出す。


「いやー、あんまり強い薬を使い続けるのもよくないって言われてさー、鎮痛剤はもらってるんだけど、痛いものは痛いんだよねー。

 あ、でもともちんが邪魔とか全然ないからね!

 もうさ、ずっと寝てたせいで目が冴えて冴えて…。足もじんわり痛むしで、寝ように寝れないんだよね。

 こうやって話してた方が気がまぎれるから、実は助かってるんだよー」


 葉月のその言葉に、こちらを気遣うような含みは感じられない。本当に助かっていると思ってくれているのだろう。


「…そ。良かった」


「うむ。くるしゅうない、くるしゅうない」


 ふんすと言わんばかりのその声に少し面白くなってくる。だけど、だめだ。


「葉月」


「なぁに」


「…ありがとね」


「えっ」


 突然の感謝に葉月が驚きの声を上げる。


「…足止めのこと。葉月だから、任せられた。…だから、ありがとう」


「ああ!そのことか!別にいいんだよー、もうー。けど、そう言われると、頑張ってよかったって気になるよー」


 葉月が照れるように身じろぎして、布のこすれるような音が聞こえる。


 その声はむず痒さを隠すように少し上ずっている。


「ほんと、ありがとう」


「もー、分かったからいいってばー」


 茶化すような葉月の声。


 葉月のその気遣いを壊さないためにも、申し訳なく思う気持ちをぐっと押し殺す。


「…でも」


 申し訳なさを決意で塗り替える。


「ん」


 こちらの雰囲気が変わったのを察したのか、葉月は落ち着いた声で先を促す。


「今度は一人で無茶させない。…私、強くなるから」


 次は、葉月が無茶せざるを得ない状況に絶対にさせない。…みんな、守って見せる。


「…よし!だったら私も!私も強くなって、今度は絶対、怪我なんかしない!」


 力強い葉月の声。


 自分の中で踏ん切りをつけようとして、後輩に背中を押されていることに少し情けなさを覚える。


 だけど、そんな感情は重要なことじゃない。


 今度は、必ず守る。


「うん。一緒」


「おう、一緒に強くなる」


 あっけらかんと言い放つ葉月の声に、気持ちが上向きに引っ張られる。


 それにつられて漏れてしまいそうになった言葉を何とか収める。


「…それじゃ、私行くから」


「えー、まだいいじゃん」


 ぶー垂れる葉月ちゃんの声が少し面白い。


「だめ。怪我人は安静にしてて」


「ちぇー」


 不満たらたらそうだが、きちんと聞き分けてくれる。


「…カフェ、楽しみにしてる」


「おー、私も」


 真っすぐな葉月ちゃんの声に名残惜しくなるが、このまま居たらせっかく吞み込んだ言葉が出てしまうかもしれない。


 それだけは絶対にダメだ。


「早く治してね」


「まっかせろい」


 頼もしい葉月ちゃんの言葉に背を向けて、病室を後にする。


 カチッというロックの音に安心する。


 …最後につい言ってしまいそうになったのは謝罪。


 あの夜、葉月ちゃんがいなかったから、私は美里ちゃんと一緒になることができた。


 葉月ちゃんがいれば、あの犬相手にピンチにならなかったかもしれない。


 そうなれば、私は美里ちゃんの能力を受けることは無かった。


 …もしかしたら、美里ちゃんの能力を受けるのは葉月ちゃんだったかもしれない。


 それは絶対許せない。


 でも、そうはならなかった。


 だから、私は感謝している。


 葉月ちゃんが負傷したことに。


 そして、そのお陰であの場にいなかったことを良かったと思っている。


 そんな暗い感情を抱いていることへの謝罪。


 それが漏れてしまいそうになった。


 でも、それだけは絶対に言ってはならない。


 これだけは、私が抱えていかなければならないものだ。

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