第31話 お見舞い

 昼食は隊長が作ったものを振舞ってくれた。曰く、私の歓迎会とあの襲撃の慰労会らしい。


 なぜか教官まで来ていた。職員用の食堂はまずいらしく、いつも隊長に集りに来ているとのことだ。


 朝のことや、夜襲に参加できなかった紗枝を適当になだめて、食事会は和やかに終わった。


 犬の襲撃で負傷した葉月が目覚めたことを教官が教えてくれたので、そのまま向かうことになる。


 授業はさぼりだ。


 そもそも出撃要請がいつ来るか分からないので、出席が必須の授業は無い。テストに関しては隊長と教官が適当にフォローしてくれるらしい。


 先ほどまでの和やかな食事会とは打って変わって、病室までの道中会話はほとんど無かった。


 特に紗枝の足取りは重く、隊長がとなりで背中に手を添えていた。


(紗枝ちゃんは葉月ちゃんが負傷したのは、あの時自分が動けなかったからだと思ってるから。…そんなこと無いのにね)


 知美は知美で葉月に足止めを頼んだことをずっと後悔していた。


 葉月が負傷したのは自分がその役割を任せたからだと、自分が押し付けた期待に応えるため無茶をしてしまったのだと後悔していた。


 私は知美にどんな言葉をかければよいか分からなかった。事実、葉月の負傷は知美のせいだからだ。


 当然その思考も漏れており、知美は無理に何か言わなくて良いと言ってくれた。


 それでも、さっきまでうるさかった奴が湿っぽくしているとどうしても調子が狂う。


 知美の奴は葉月に会うのに気が重すぎて、胃がずんと重くなり、吐き気がしてくる始末だ。当然、それはこちらにも流れてくる。


 ストレスで胃がやられるとか初めての経験だ。


 ……。


 知美の奴が私の初めてになれて嬉しいというようなことを言ってこない。重症だ。


(……私をなんだと思ってるの?)


「ここだ」


 教官がドアの前に立ち手をかざすと、ドアが開く。


「んぉ、いらっしゃーい」


 葉月に会う前にごちゃごちゃと考えていた時間を無視するように、軽い返事が出迎える。


 入口から見える葉月はところどころ包帯を巻いているが、顔つきはとても明るい。


「いやぁ~、静養してたら暇で暇で…。授業受けたいなんて初めて思ったよー」


 その声からは何か我慢しているというようなことは感じられない。無理に明るくふるまうようなわざとらしさはあるような気がするが。


 しかし、その軽さが胃のつっかえを和らげ、葉月の下へ向かう足取りを少しだけ軽くする。


(あの子は適当そうに見えて、周りのことよく見てるから…)


「そうか。その分だと大丈夫そうだな。後でデバイスに課題を送っといてやる。喜べ」


「うげっ!?余計な事言っちまった…」


 少し震えている教官の声に、葉月がわざとらしく右手を額に当て、天を仰ぐ。


「ふふっ。思ったより元気そうでよかった。あ、入院してるのにそう言うのはおかしいかしら」


「あー、私ももう元気なつもりなんだけどさー。ただ、医者がしばらく寝てろってうるさくてさー」


 少し上ずんでいるような隊長の声に、同じような調子で葉月が返す。


「ふん。しぶとい奴め。葬式のマナーを聞いといたのに無駄になっちまった」


 葉月は自分の負傷のせいで空気が沈むことを望んでいない。そうであればこちらから変に重くする必要は無い。


(美里ちゃんはすごいね…。私はまだそこまで割り切れないや…。

 ごめん。ちょっと手、握らせて)


 知美がおずおずと左手を握ってくる。


 弱弱しく握ってくる知美の右手を力強く握り返す。


「えっ、なにそれ、ひどい…。っていうか、戦闘中も勝手に私のこと死んだような扱いしてたよね!?」


 この返しは想定していなかったのか、葉月は一瞬鼻白むが、すぐに明るさを取り戻す。


「いい奴だったよ」


「だからまだ死んでないってば!」


 葉月の突っ込みにぎこちない笑いが起こる。知美も無理やり笑い声をあげる。


「あ、あの!!」


 その笑い声を紗枝の鋭い声が遮った。後ろを向くと、紗枝が入口あたりで俯いている。


「わ、わたし、あの時……なに、も……、何もできなくて!!!」


 絞り出すように叫ぶと、紗枝の口から言葉がどんどん溢れてくる。


「あの、あの時……あいつらが、た、隊長を、お……おそ、おそった、時……わ、わたし、なにも、なにもできなくて!!こ、こわくて、動けなくて、そ、それで……それで何もできなくて!その……そのせいで葉月さんが…、葉月さんがそんな怪我しちゃって…!もし、もしも動けてたら、私…っぃぐ、私が、ひぐっ……動けてたら……!ぅ…、も、もっと、はやっぐ…、早く助けられたかもしれなくて……!だ、だから、私…!」


 感情を整理しきれなかった言葉が紗枝の口から漏れ出て、途中から涙を流し始め、嗚咽交じりになる。


 最後には耐えきれずに膝から崩れ落ちて、声を押し殺そうとしながら泣き始める。


 面倒な奴だ。


 紗枝は隊長が襲われたとき何もできなかった。恐怖のあまり動けなくて、自身をバリアで包み込む能力を使ってうずくまることしかできなかった。


 教官も隊長も、紗枝の性質は知っている。魔物の前では動けなくなることを知っていて護衛を任せた。


 事実、犬どもは紗枝に気を取られ、そのおかげで隊長たちは脱出することができた。紗枝に対するフォローは隊長がしているはずだ。


 しかし、紗枝はそう割り切ることができない。


(もしあの時、自分が動けていたのなら。もし、能力が発動中でも、魔物に囲まれていても自力で動くことが出来ていたら、もっと早く葉月ちゃんを助けられたかもしれない。

 紗枝ちゃんもきっとそんなふうに後悔してる。…そして私も。あの時、犬を撒くだけの力を持っていたら、もし、葉月ちゃんに足止めを任せず全員で紗枝ちゃんを助けに行っていたら……。そんなことをずっと考えてる。後悔してる。

 けど、それは私の問題。一人で抱えるのはつらいけど、私の問題だから、葉月ちゃんにこれを言うのは私のわがままでしかないから…)


 知美は葉月を負傷させたのは自分のせいだと後悔をしている。


 だが、それは葉月にぶつけるものでは無いと理解している。


 一方で、紗枝はそこまで気を遣うことができなかった。


 負傷してベッドで静養させられている葉月の姿を見て後悔があふれ出てしまった。


 罪悪感に圧し潰されてしまって余裕が無くなってしまった。


 紗枝の姿を見て知美が腹を決める。


 これはいい。面白くなりそうだ。


 それを受けて知美の手をぎゅっと握ってから、離す。


 紗枝に何か声をかけなければと、焦った顔で視線をあちこちにさまよわせる葉月を目線で黙らせる。


 紗枝の下へ向かおうとしていた隊長の肩を掴んで制止する。


「……!!うん」


 隊長が知美の方を見て力強く頷く。


 今紗枝を本当の意味で助けられるのは隊長でも葉月でもない。知美だ。


 知美が確かな足取りで紗枝に向かって歩いていく。


(今回、葉月ちゃんを傷つけるような直接的な原因に見えるのは紗枝ちゃん。…けど、それは見せかけ。悪いのは私。…一番悪いのは私。だけど、私だけじゃない。教官の力不足であり、襲われたとき対処しきれなかったイクの責任でもある。自分が動けなかったと責める紗枝ちゃんの気持ちも分かる。

 紗枝ちゃんが悪くなかったとは言わない。責任を取らせないってことは、紗枝ちゃんを隊の一員として認めてないってことだから。紗枝ちゃんの存在を否定することだから。

 けど、悪かったのは紗枝ちゃんだけじゃない。

 …これはみんなで背負うもの。紗枝ちゃんだけに押し付けたりなんてしない…!)


 ほんの五歩くらいの距離。そんな短い時間で知美は自分の心を奮い立たせる。


 流れ込んできた知美の決意にこちらまで背筋が伸びる。


 一昨日入ったばかりだが、名目上は私も隊の一員だ。付き合ってやるさ。


(うん。大好き)


 知美から真っすぐに向けられた信頼に何かが満たされていく。


「…紗枝ちゃん」


 知美はうずくまって泣く紗枝に声を掛けると、膝立ちになって紗枝を抱きしめる。


「…もし、動けてたらって、思う…、よね。……私も一緒」


 知美の声に芯は無く、どこか弱弱しい。感情を口に出す方ではないから、言葉を探しながらで、所どころつっかえる。


 だが、そんな声だからこそ聞いている人にすんなりとしみこんでいく。


「……いっしょ?」


 紗枝が知美の腕の中で顔を上げる。目が真っ赤で、鼻水もぐずぐずでひどい顔だ。


「そう。一緒」


(紗枝ちゃんだけじゃない)


「葉月ちゃんに足止めを頼んだのは私。しばらく入院しなくちゃいけないくらい葉月ちゃんを追い込んだのは私」


「ち、ちがっ…!あの、ズズっ…あの時、動けてたら…!」


「そう。紗枝ちゃんの言う通り。…違うの」


「…えっ?」


 肯定されると思っていなかったのか紗枝が目を大きく見開く。


(そっか。そんな顔してるんだ)


「…私だけじゃない。紗枝ちゃんも悪い」


「や、やっぱり」


 紗枝が声を震わせて、その目から涙を溢れさせる。


 知美は紗枝をぐっと抱き寄せて、耳元に口を寄せる。


「紗枝ちゃんだけじゃない」


「えっ」


 そうだ。紗枝に考える隙を与えてはいけない。言葉を畳みかけるんだ。


(うん)


「教官も、イクも、…美里ちゃんも、葉月ちゃんも。みんな悪い。紗枝ちゃんだけじゃない。みんな、ちゃんと動けなかったから…。力がなかったから。だから葉月ちゃんに無理をさせてしまった」


「ち、ちがっ!私、私が…!」


「そう。紗枝ちゃんも。だから…、ね?」


 知美が紗枝の肩に手を置いて体を離す。


「強くなろ。一緒に。…今度は絶対無茶させない。そんな状況にさせない。…守りたい。だから、一緒に力をつけていこ」


 紗枝が呆然とした様子で知美の顔を見つめる。必死に知美の言葉をかみ砕いているのだろう。


 知美の言葉はこれで十分だ。


(うまくできた?)


 最高だ。知美にしかできないのは、紗枝に自分だけの責任でないと分からせること。


 その他の隊員では、紗枝にその事実から目を背けさせてこの場を収めることしかできなかった。


(ふふふ。褒められて嬉しい)


 知美から温かい感情が流れてくる。


 それに浸る前に、葉月を肘でつつく。


「!?」


 それを受けてハッとした顔をする。残りはこいつらのほうが適任だ。


「そーだぞー、さえちー。一人で持ってこうなんて欲張りすぎだぞ」


「ふふ、そうね。紗枝ちゃん、それはずるいわ」


「え…」


 葉月と隊長の声に紗枝が、知美の奥にいる私たちに目を向ける。


「私が怪我しちゃったのは、さえちーだけのせいじゃない!捌ききれなかった私が悪い!」


「そ、そんなこと…!」


「襲われたとき犬を始末できなかった私の方が悪いわ」


「え、いや…」


 葉月と隊長の言葉に紗枝があたふたする。


「そうだな。お前だけの責任じゃない。引き際を誤った私の責任だ」


「あ、いや、そんな…」


 ぎりっと歯を食いしばる教官の形相に紗枝が少し引く。


 あの教官、あほか。まじの感情むき出しにして紗枝を引かせてんじゃねーか。


(けど、そんなとこもあるから教官は信用できる)


「よ、よーし、次はこんなことにならないように退院したら訓練だ!」


「ふふ、葉月ちゃんには負けないわよ」


「なにおー!」


 葉月と隊長が無理やり軌道修正させる。


 ひどい茶番だが、紗枝にはこれぐらいがちょうどいいだろう。


「ね。みんな一緒。…紗枝ちゃんも、強くなろ」


 知美が紗枝の顔を覗き込む。


「え、あの……、その…」


 紗枝が隊員の顔に、何度も順番に視線をむける。そして意を決したように目元の涙をぬぐう。


「はい…!強く、強くなります!守られるだけじゃなくなるように…!」


 ぐっとこぶしを握りこんで宣言する紗枝の様子を見て、茶々を入れたくなってくる。


「よし。励めよ」


「いや、みーちゃんも一緒だからね」


「まじか」


 葉月の突っ込みに、取り繕ったものでない笑いが病室を包む。


(美里ちゃん、すごいね。あんな風に場を和ませることもできるんだ)


「ふん」


 変なことで知美から尊敬を向けられてこそばゆい。


「あーーーーー!!」


 紗枝がまたしても大声を出す。だが、さっきとは違って明るい声だ。


「さっきの食事会からただならない様子だと思ってたんですけど、ともさんと関川さん、何かあったんですか!?」


 …くそ。台無しだよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る