第30話 名前で呼んで
朝早くに起こされた分の睡眠を授業中にとって、昼休みになった。
……時々目が覚めた時に、飯田がしつこく交信して来るのが鬱陶しかった。
それはさておき昼食だ。うちの隊には控室があるらしく、そこでいつもはそこで食べるらしい。飯田が教室まで迎えに来てくれる手はずになっている。
ついでに紗枝のフォローをしなければならない。
(…もうすぐ着く)
廊下が何だかざわついている。タイミングを考えると飯田だろう。
目を包帯で覆ったあいつの外見はなかなかのインパクトがある。
(…結構気に入ってるんだけど)
この学園の連中は学年が一つ上なだけでお姉さまだのなんだの言って神聖視するきらいがある。このざわめきは学年が一つ上の飯田が廊下を歩いているからというのもあるのだろう。
(お姉さま……。照れちゃう)
私は別にお前のことそんな風に思ってないからな。だから恥ずかしがったり、私の声で脳内再生するのをやめろ。
自分のお姉さまボイスを聞かされるとかどんな拷問だ。
(供給ありがとうございます)
……くそ。はめられた。
ざわめきがだんだん近づいてきて、飯田が教室に入ってくる。途端にあたりがシーンと静まり返る。
クラスに残っていた連中が好奇の目を向けるが、意に介さず一直線にこちらに向かってくる。
(行こ)
飯田が私の右手を取ろうとしてくるのでやんわりと跳ねのける。
そのまま飯田について教室を出ると、その途端に黄色い悲鳴が上がる。
(ふふっ。言葉を交わさずとも通じ合ってる深い仲だって)
否定しきれないのが質が悪い。ああ、くそ。戻ったら面倒なことになりそうだ。
(控室は特別棟。ついてきて)
飯田について歩いていく。時々腕を組もうとしてくるから油断できない。
(ねぇ、そういえば)
しばらく歩いていると、飯田が突然話題を投げかけてくる。
(寮のルームメイトの人。なんで同居人って呼んでるの?)
「なんでって、同居人だからだろ」
頭の中だけでやり取りをすると息が詰まる。声に出してやり取りした方がしっくりくる。
(そうだけど……そうじゃなくて!)
飯田がじれったそうに返す。
「?」
(名前で呼ばないのってこと)
「ああ。そういうことか。必要なかったからな」
(必要ない?)
時々ほかの生徒達がやばいものや、可哀そうなものを見てしまったというような表情ですれ違っていく。
確かに周りから見たら隣に人がいるのに一人で見えない相手と会話しているやばい奴だ。
(美里ちゃんを変な目で見るなんて許せない……)
飯田から怒りが漏れてくる。
(あっ。でも……)
しかし、あることを閃いて、その怒りも綺麗さっぱり霧散する。
(美里ちゃんのことをちゃんとわかってるのは私だけ……。良い)
気恥ずかしいような感情とともに独占欲を満たされる心地良さが流れてくる。
ああ、くそ。別に気にしてないとか、少しでも飯田をフォローしようと思った自分を小一時間説教してやりたい。
「へへ……。うへへ…」
多幸感のあまり飯田が声を漏らして笑い始めた。
ああ。もう。気苦労の絶えない最悪の能力だ。
「それで、同居人のことをどうして名前で呼ばないか、だったか」
(あ、そんな話もしていたね)
話を無理やり戻す。
「別に深い意味は無い。なんとなくだ。なんとなく」
(ふーん。そっか。かわいい)
「どこがだよ」
(廃墟区画を出たばっかりの頃はなんとなく名前を呼ぶのが気恥ずかしくって、同居人って呼んでたら、名前で呼ぶのに切り替える機会をなくしちゃったんだ。そんな初心なところもあるんだね)
くすぐられるような微笑ましさが流れてくる。
「おっおま…」
気恥ずかしかったから隠そうとしていたことを読み取られてしまった。
頭に血が昇って、カッと顔が熱くなるのを感じる。
にやにやとこちらを見る飯田の顔が無性に腹が立つ。
「ああ、くそ。こっち見んな」
飯田の顔を手で押さえる。
「ふふ」
(もともと見えてないから意味ないよ)
「うるせえ」
ぶっきらぼうに返して足を速める。角を曲がったところで声が響く。
(そっちじゃないよ)
「知ってるよ。少し遠回りして歩くのもいいと思っただけだ」
すぐに引き返して、待っていてくれた飯田についていく。
(そっか。私と二人っきりでお話ししたかったんだ。嬉しい)
曲解された…。全くもう。なんでこんな能力…。
(そうそう)
飯田がこちらが落ち込みを察してわざと明るい声を響かせる。
(私のことも名前で呼んで)
甘えるような口調。不覚にも可愛いと思ってしまった自分に腹が立つ。
「別に飯田のままでいいだろ」
飯田だけに。
(全然よくない。紗枝ちゃんや葉月ちゃんは名前で呼んでるのに、なんで私だけ苗字呼びなの?)
渾身のギャグをスルーされて少し寂しい。
「あんただけじゃない。隊長もそうだろ」
(そうだけど……。あっ!そういえば、いつの間にかイクが美里ちゃんを名前で呼んでた。何かあったの!?)
拗ねるような口調がこちらを責めるような響きに変わり、じとっとした感情が流れてくる。
段々こじれてきた。面倒だ。さっさと終わらせよう。
分かった。分かったよ。
……。
「下の名前、なんだっけ」
(……知美)
むすっとした様子で、刺々しい感情が流れ込んでくる。
ああ、そうだ。そうだった気がする。知美、知美だな。これでいいだろ。
「…だめ」
飯田が足を止めてボソッと呟く。
(ちゃんと声に出して言って)
そこは喋らないのか。だが、藪をつついたら何が出てくるか分からない。とっとと満足させて終わらせよう。
「…知美」
(っ~~~~~~!?!?)
くすぐったいような嬉しさとともに、見悶える程の恥ずかしさが流れてくる。
「ああ、くそ」
だめだ。飯田に触発されて、顔が熱くなってきた。
(違う)
「…なにがだよ」
(いま飯田って言った。ちゃんと名前で呼んで)
脳内まで強要されるのか…。
(早く)
…知美に妙に重い期待をかけられる。
「…美里、ちゃん」
飯田……ではなく知美が足を止めてこちらに向き直り声をかけてくる。
「なんだ」
「…なんでもない。呼んでみただけ」
甘えるような声で知美が言うと、すぐに転身して速足で歩いていく。
(きゃー!!言っちゃった!)
またしてもとんでもない羞恥と、くすぐったくなるような嬉しさが襲ってくる。
もう、勘弁してくれ…。
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