第18話 ピロートーク
教官が出て行ってからしばらくして、軍人が食料と睡眠薬を届けてくれる。
特別おいしいという訳も無く、ぱさぱさで水分を奪われる携行食を詰め込む。油臭くなかったのだけが救いだ。
神経を削られる戦いの後で食欲は無いが、エネルギーを入れておかないと動けなくなる。当然、その間会話はない。
その後すぐに横になる。
ベッドは4つしかないので、隊長は紗枝と同じベッドに、その向かいに葉月、葉月の隣に飯田だ。私は隊長と紗枝の隣のベッドだ。
飯田だけは睡眠薬を服用しており、すぐに寝息が聞こえ始める。
「ねえ、起きてる」
しばらくして、隊長が小声で無声音で聞いてくる。
「ああ」
目を閉じたまま、こちらは小声で返す。無声音でもよかったが、あれは何となく嫌いだ。
「そう…」
それを受けて、隊長も無声音を辞めて小声で返してくれる。
無駄に察しの良い奴だ。
しばらく沈黙が続く。
だが、さっきまでの張りつめたような沈黙ではない。なんとなく居心地が良い。駐屯地の喧騒から漏れ聞こえる紗枝たちの寝息がなんだか落ち着く。
「ごめんなさいね」
隊長がポツリと言う。
「……何がだ」
謝られる覚えがなくて、聞き返す。
「……うちに来て早々にこんな大変な任務で」
確かに。よくよく考えるとひどいもんだ。
部隊に所属した初日に統率の取れた犬の大部隊相手に時間稼ぎ。
しかも、隊員の一人が重傷。そのせいで身内のごたごたを見せつけられる。散々な一日だ。いや、まだ三分の一以上残っているのだが。
「本当にな。よくよく考えると酷い目に遭ったよ」
「うっ…。いや、そうなんだけど……。そんなに素直に認められると何も言えないわ…」
隊長が苦々し気に言う。目を閉じているから表情は見えないが、きっと苦虫を嚙み潰したような表情をしているのだろう。
「素直さだけが取り柄なんだ」
「そう…。私も関川さんの適当さは見習いたいわ」
「話聞いてたか?今の流れのどこから適当だなんて言葉が出てくるんだ」
心外だ。
「あ、いや、その……ね?貶してる訳じゃないのよ。ただ、関川さんは何というか……、そう!どんな時でもぶれない、そんな感じがするから」
答えになってるのか?
「今日会ったばかりだろうに…」
「そう……そう、ね。確かに言われてみれば、今日会ったばかりだったわ。でも、色々あったから全然そんな気しないわ」
「そうだな。酷い日だったよ」
「ええ。本当にね」
隊長がしみじみと呟く。ほんの少しの沈黙の後、隊長が口を開く。
「私、さっきね。驚いたの」
「……」
また沈黙が訪れる。隊長も自分でも感じていることが分かっていないのだろう。それを掴むため言葉を探している。そんな隊長に何も言わずに先を促す。
「何がって言うとね、ともちゃんのこと」
「飯田のことか」
「そう」
隊長が力強く肯定する。
「ともちゃんってあんまりおしゃべりしてくれないから。なんだかんだ言って、隊の中じゃ一番長い付き合いだけど、何考えてるのか分かんないことも多かった」
会ったばかりだが、すごくよく分かる。飯田の考えていることは全然読めない。
「だからね、今日とっても安心したの」
「安心?」
「そう。葉月ちゃんのこと」
隊長の声が少し陰る。
「私ね、ちょっと怖かったの」
「何がだ」
「ともちゃんのこと。何考えてるのか分からなくて。
私ね、隊のみんなが大好き。一緒にいたら私も強くなれる。みんなのために何でもしてあげたいって思える。優しくって強い。そんなみんなが大好き」
小声で噛みしめるように隊長が言う。その優し気な響きは聞いているだけでほっこりとしてしまう。
「けどね。ともちゃんのことは分からなかった。
隊の一員としてみんなを助けてくれる。会話は少ないけど、いつもみんなの傍にいて話を聞いていてくれる。時々思い出したかのようにぼそっと会話に加わる。とっても心地よかった。
……けどね、やっぱり自分のことは話してくれなかった。今何を思ってるだとか、この前のこれが楽しかっただとか。そういうことを聞いたことが無かった。だから…」
隊長が言葉を区切る。この先の言葉は隊長にとって重いものなのだろう。何度目かの沈黙の中で次の言葉を待つ。
やがて、大きく息を吸って、隊長が言葉を紡ぐ。
「そう、だから。私は怖かった。ともちゃんはそんなに私たちのことを、この部隊のことを大事に思ってないんじゃないかって」
自分の言葉を反芻するように隊長がしばらく口を閉ざす。
「だから、今日はすごく嬉しかった。葉月ちゃんが怪我をしたのは……無茶をさせちゃったのは悔しい。申し訳なくて一杯になる。けど……」
隊長がごくりと唾を吞んで続ける。
「嬉しかった」
一拍置いてから、矢継ぎ早に言葉を続ける。
「ともちゃんが葉月ちゃんのこと、私たちのことをちゃんと大事にしてくれてるんだって。それが分かったから」
「そうか」
一通り整理がついたのだろう。隊長が満足そうに締めくくる。聞いているこっちまで少しほっこりしてしまった。自分がこんな感情を抱くなんて意外だ。
「うん。嬉しかった。けど……けどね」
隊長の空気が少し変わる。声色が少しだけ暗くなる。
「ああ」
「ちょっと悔しかった」
「悔しい?」
「うん」
目を開けて、横目で伺うと隊長が拗ねた子供のように頷く。
「悔しかった。私はずっとともちゃんと一緒にいた。この隊の誰よりも長く。
……それなのに、今日初めてともちゃんの気持ち聞いた」
「嬉しかったんだろ」
「そう。嬉しかった」
こちらの言葉に間髪を入れずに答える。
「じゃあ、何が悔しかったんだ」
「関川さん」
隊長が紗枝に背を向けて、こちらに寝返りを打って目を合わせてくる。
「私?」
突然自分が出てきて面食らう。私が何をした?
「そう、関川さん。関川さんは今日初めて会ったばっかり。それなのに、わたしだけじゃなくて、関川さんもいる前でともちゃんはあの話をした」
暗くて見づらいが、隊長はどこか切なげな表情をしているような気がする。
「いや、まあ、話の流れって奴だろう。教官も居たし」
「教官はいいの。なんだかんだ付き合いが長いから」
いいのか。
「けど、関川さん。あなたは違う」
こちらを押すかのように声が少し硬くなる。
「?」
何が言いたいのかさっぱりわからない。
隊長がまた寝返りを打って、顔が見えなくなる。
「ずっと一緒にいた私も聞いたことのない、ともちゃんの気持ち。それを今日会ったばかりのあなたの前で話した。ぽっと出のあなたに。
……それがなんだか悔しい」
「ええ…」
理不尽だ。というか、隊長も隊長で面倒くさい奴だったんだな。
「けど、なんだかそれも分かっちゃった」
「?」
隊長の声が陰の消えた、すっきりした声に戻る。
「今お話ししてて、分かっちゃった。私、こんなにべらべら話すつもりは無かった。なのに、気付いたら、話すつもりの無かったこと、自分でも気づいて無かったことまで言ってた」
隊長の声がふわふわと夢を見るような響きになる。
「関川さんて、包み込んでくれるような、そんな優しさがあるからいらないことまで話しちゃった」
「なんだよ、それ…」
そんなこと一度も言われたことがない。
「うん。そう。関川さんって、なんだかすごく大きい。そんな感じがする。…ともちゃんは人のことよく見てるから、それも分かっててあそこでお話ししたんだね」
いや、そこまで考えて無いと思う。それこそ話の流れって奴だろう。
「うん。きっとそう。そうに違いない」
熱に浮かされた様に隊長が言う。よく分からんが勝手に株が上がって気持ち悪い。
「あ、そうだ」
隊長が突然声を上げる。これまでよりも少し大きい声で、つい体が強張る。
「関川さんのこと、美里ちゃんって呼んでいい」
「なんだよ、それ」
「だめ?」
柔らかくきいてくる。顔は見えないが、たぶん微笑んでいる。
「勝手にしてくれ…」
「ふふ。よかった。それじゃ、美里ちゃん。おやすみなさい」
「ああ」
そういってすぐにすやすやと隊長の寝息が聞こえてくる。
なんだか本当に色々あり過ぎた。
眠りにつく直前の、普段の隊長とは違うあどけない喋り方を思い出して、なんだかむずがゆくなる。
それと同時にどっと疲れた。勝手に恨まれて、いつの間にか変な持ち上げられ方をした。
「はぁ」
ため息を吐くと張りつめていた何かが、どっと抜けていく。本当に疲れた…。
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