第二章 最悪の能力

第9話 ……早く帰りたい

 駐屯地に着いたのはお昼過ぎで、駐屯地の指揮官が食事に誘ってきたが教官が即座に断った。


 質はある程度高いものだが、息が詰まって仕方ないとのことだ。


 着替えとシャワーだけ済ませて、学園へ向かっている最中、けたたましいサイレンが鳴る。


 その瞬間、教官は車を反転させ、駐屯地へ逆戻りする。


「どうして学園に戻らないんだ?」


「今のは魔物襲撃のサイレンだ。分かるな」


「ああ。だからさっさと学園に戻ったほうがいいんじゃないか?」


「いいや。駐屯地に戻ったほうが早い」


 教官がミラー越しに隊長を見る。隊長は頷くと、説明を引き継ぐ。


「関川さん、ここは居住区じゃないから、電波が来ていないのは分かるわね」


「ああ。だから学園に戻るしかないんじゃないか?」


「それも一つの手だけど、情報を得るだけなら駐屯地に戻ったほうが早いのよ」


「ふふーん。関川君は想像力が足らんね。もっと自分の頭で考えてみたまえ」


「どうして戻ったほうがいいんだ?」


 葉月が気取ったような口調で茶々を入れてきたが、隊長に続きを促す。


 無視はよくないとか喚いていて、紗枝がおっかなびっくりになだめている。


「駐屯地には通信機があるのよ。

 軍事機密とかで一般利用はできないけど、デバイスを使うよりずっと遠くまで通信できるやつが」


「ふーん。便利なもんだ」


 デバイスは基本的に居住区でしか使えない。

 普通の人は居住区の外に出ることがないから不便しないが、魔物に対処する人には致命的だ。


「考えてみれば当たり前か。監視目的の基地から通信ができなければ基地の有用性がかなり下がる」


「そうね」


 隊長が固い顔で頷く。

 サイレンが鳴るということは先ほどまでの兎とは危険度が段違いな魔物が来たということだ。


「そろそろ駐屯地だ。指揮官のところまで車で行く」


 教官がクラクションを鳴らし、減速せずに駐屯地へ突っ込む。


 慌ただしくしていた軍人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 少し良い気分だ。


 葉月が調子に乗って何か言っているが、それを許せてしまうくらいには気分が良い。


 そのまま指揮官の天幕の前に止まり、教官がずかずかと踏み込んでいく。


 それに続くと、受話器を持った軍人がいた。


 他の軍人とは違って、服にごてごてといろんなものがついている。なんだかよくわからないが、この駐屯地の偉い人なのだろう。


 何か話していたようだが、教官の姿を認めると、目を見開いて、大慌てで受話器を下す。


「すまんな。使わせてもらえるか」


「は、はい。もちろんです。失礼いたします」


 教官が有無を言わせない口調で話しかけると、その軍人は汗をだらだら垂らしながら天幕を飛び出す。


「飯田、見張っててくれ」


 飯田が天幕を出る。


 軍人に聞かれたくないのだろうか。


 軍の通信機を使っている時点で無駄なように思えるが。


 教官が電話をかけると、すぐに相手が出る。


「山口だ。B5の駐屯地からかけている。状況を」


「し、しばらくお待ちください!」


 通信士がバタバタとしている音が電話越しに漏れ聞こえてくる。

 というか、ここはB5とかいうところだったのか。


「坂口だ。時間を見るに紅巾隊は任務後だが、動けるか」


「問題ない」


 隊長が隣で小さく息を飲む。


 いぶかしげに見ると、小声で電話の相手は校長だと伝えてくる。


 校長ってのはそんなにすごい人なのか?


「マップを転送する。

 敵は犬の群れだ。軍の探知系能力者によると規模は60程度のようだ」


 教官のデバイスにデータが送られてきて、ホログラムが投影される。


 今いるのはB地区の中央だ。青い点に今ココと、緊張感の薄い矢印が立っている。


 敵はどうやらF地区の東側にいるらしい。F地区はここから見て北東にある。向かうとすればB地区のすぐ北にあるG地区を経由することになるだろう。



「犬が60はまずいな。軍はF地区の駐屯地で戦うつもりか?」


「そのようだ。F地区も駐屯地から外は瓦礫の撤去中で、兎が生息している。下手に前線を上げて、兎と犬両方とやりあうのを嫌ったらしい」


「犬が60ってのはそんなにまずいのか?」


 教官たちが話を詰めている間に、隊長に耳打ちする。


「ええ。犬は通常4,5匹の群れなんだけど、安全に対処するには5人編成の軍属の能力者部隊が必要と言われているわ」


「は、はい。犬はリーダーが群れを率いているので、一匹に対処していたら隠れていた別の犬が襲ってくるんです」


 紗枝がおずおずと説明を引き継ぐ。


 声に相変わらず張りはないが、今回は芯が通っている。


 こういった知識面の部分は自分の役割だと思っているのだろう。


「それだけでも厄介なんだけど、あいつらの能力が厄介なの」


「はい。犬にかまれてしまうと、毒のせいで敵と味方の区別がつかなくなっちゃうんです。

 無差別に周囲を攻撃しだすので、狂犬の毒って呼ばれてますね」


「それまた面倒だな。治療はできるのか?」


「はい、毒の効力自体は能力者であれば3分くらいで、能力者じゃなければ1日経てばなくなります」


「厄介だな」


 狂犬の毒が治らないのであれば、毒を受けた人間を殺してしまえばいい。


 だが、治療が可能となると、拘束して無力化する必要がある。


 毒を受けたのが能力者であれば3分間逃げ続ければよいが、普通の人間ならばそうはいかない。


「そうね。兵士さんが毒を受けてしまったら、銃を乱射するから押さえつけなきゃいけない。そのせいで戦力が余計に減ってしまうの」


「じゃあ、今回は能力者の部隊10個くらいで対応することになるのか?」


「単純に10倍すればいいってわけじゃないんだけどね。

 けど、それがベストだと思う。

 ただ、聞いてる限り厳しいらしいわね…。葉月ちゃん?」


「うーーん。…そうだね。なんか厳しいっぽい」


 犬のことを尋ねている間に葉月が教官の話を聞いてくれていたらしい。


 それによると、G地区で住民たちがパニックを起こしていてF地区に中央から向かうのが困難とのことだ。


「つまり、軍属の能力者はすぐには犬の対処ができないってことか」


「そうそう。能力者の温存とかいうやつで能力者は全員中央にいたせいで身動き取れないんだって」


 中央は中央で避難誘導や、押し寄せてくる住民の拘束で機能不全を起こしているらしい。


「ってことは能力者でない兵士が前線で時間を稼ぐってことか?」


「そうだ」


 通話を終えた教官が会話に割り込んでくる。


「詳しい作戦は車で話す。行くぞ」


「はい!」


 他の連中が天幕を出ていく。


 教官は入り口で待っている。


 私がついていくつもりがないことを分かっていたのだろう。


「あんたに言われた通り、任務はこなした。これ以上付き合う義理はない」


「はぁ。だろうな」


 面倒そうに息を吐く。


 教官はおもむろに懐を漁りだし、カードを取り出してこちらに放ってくる。


「マネーカードだ。絶対に足がつかないようにしてある。

 終わったらもう十枚やるから付き合ってくれ」


「……ふんっ」


 足がつかない金はありがたい。これがあれば、廃墟区画で本当にやばい奴に目を付けられてもどうにか切り抜けることができるだろう。


 かといって、素直に応じてやるのは癪だ。


 仕方なく、鼻を鳴らして天幕を出た。

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