第9話 元和元年の大飢饉&直秀の大道寺家婿入り
悩みを抱えているからといって、一日とて飲食を疎かにできないのが人の暮らし。
松前が冷淡だからと暇を出すわけにもいかず、実子・直秀の処遇はなおさら……。
綾小路以外には気の許せる人とていない高岡城で、満天姫は悶々と月日を重ねた。
江戸へ、その途中で大館へと忙しい信枚は、妻の悩みには気づいていないらしい。
そんな折りから、大坂の陣の翌年の元和元年(一六一五)、例年になく冷たい夏を迎えた陸奥では未曽有の大凶作となり、秋から冬にかけて民百姓の餓死が多発した。
例によって藩主・信枚不在の高岡城では、満天姫が先頭に立って自らを含めて米の摂取を禁じ、少しでも多くの穀類や大豆などを城下に分配するように取り計らった。
こうしてはいられぬと町人姿に変装して城下の窮状を見てまわり、江戸に早飛脚をやり、大御所家康を通じて一刻も早く幕府から救援米を送ってもらうよう手配した。
ようやく信枚が陸奥にもどって来たとき、少なくとも津軽藩に限っては最悪の状況から脱していたので、満天姫は「さすが大御所の養女」と面目を施すことになった。
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救援米を政略で再嫁させた養女への最後の心づけとして、翌元和二年四月十七日、江戸城を秀忠に譲ったあと住んだ駿府城で家康が没した。七十五歳の大往生だった。
その名を聞いただけでだれもが平伏するような大御所だったが、幼いころから膝に乗って遊んだ満天姫にはやさしい養父であり、実際、自分は愛されたと感じていた。
後ろ盾を失い、津軽での自分の立場に微妙な影が差すことは避けられないだろう、ことに松前……だが、どうしようもないことは諦める癖がいつの間にかついていた。
*
同じころ、満天姫の最大の気がかりだった直秀の将来が決まった。信枚の仲介で、津軽藩譜代の重臣・大道寺直英のひとり娘・
折しも厳密な一国一城令を楯に、天災で破損した広島城の修理を巡って江戸幕府と福島正則との不仲の激化が伝えられていたときだけに、満天姫は心底、ほっとした。
津軽藩二代藩主・信枚の正室(実態は継室だったが)に迎えられてからまる五年、長いようで短い歳月にさまざまなことを経験した満天姫にも貫禄がつき始めていた。
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