第8話 先妻・直姫の自裁&養父子の確執



 慶長十九年(一六一四)十月、天下取りに向けて着々と地歩を固めていた徳川家康が満を持しての大坂冬の陣で、満天姫の夫・信枚は大御所から留守居を命じられた。


 十四年前の関ヶ原合戦よりこの方、一応、世間は平安を保っており、民百姓はともかく格好な戦があってこそ活躍も出世もできる武将は虎視眈々と機会を狙っていた。


 だが、再三再四の申し入れにもかかわらず家康は「大坂への出陣はならぬ。おことは北の守りに徹せよ」の一点張りだったので、信枚は内心で歯噛みする思いでいた。


 陸奥には薩摩の島津同様に幕府が警戒の目を光らせる伊達政宗がいる。六男・松平忠輝に政宗の娘・五六八いろは姫を娶らせ、打てる手は打ってあるが、いつなんどき……。


 そんな大御所の危惧は痛いほど分かりはするが、願ってもない戦働きの機会をむざむざ取り逃がすことは、多くの家臣を抱える一国の国主として無念でならなかった。


 やむを得ず津軽へもどった信枚は翌慶長二十年の夏の陣においても北の守りという地味な役割に徹し、当然ながら、諸将のように華々しい論功行賞には与れなかった。



      *



 そんな夫の苛立ちを間近にする満天姫には、綾小路にしか話せない悩みがあった。

 女子の憂いと申せば夫と子どものことと決まっているようなものではあるが……。


 いくら広くても、同じ城内に暮らしていては素行が気にならないはずはない側室の曽屋御前が上野国大館に移ってから、津軽における敵手はいなくなったはずだった。


 ところが、思わぬところに伏兵があった。

 皮肉なことに、その名も息子と同じ直姫。


 江戸から嫁いでこの方、奥で最古参の侍女・松前の満天姫を見る目の冷たさが一向にやわらがぬことに納得がいかなかったが、ある日、堪えきれぬように打ち明けた。


 ――言えとお命じならば、畏れながら申し上げます。

   わたくしには大前御前さまが憎くてなりませぬ。


 なにゆえに、さほどまでわたくしを疎むのか。徳川の権威を笠に着ている? あるいは子連れが気に入らぬ? 地元の人からすれば笑止千万な津軽弁が気に障るとか?


 そうではございませぬ、はっきり申し上げます、わたくしの大前御前さまは満天姫さまではございませぬ、ご入輿を知って自ら儚く身罷られた直姫さまただおひとり。


 そう言ってわっとばかりに泣き崩れた松前は、江戸からの継室にうつつをぬかし、天守から飛び降りるまで追い詰めた先妻を忘れている信枚への恨みも吐き出した。

 

 ――えっ、わたくしが嫁ぐ直前にそんなことが?!((((oノ´3`)ノ


 迂闊といえばあまりに迂闊だった自分に、満天姫は初めて気づいて衝撃を受けた。

 苦労だのなんだのと言っても、周囲から見れば徳川に守られた姫に過ぎなかった。


 そのかげで、この遠い北の国で、あたら若い命を自ら断った先妻がいたとは……。

 世間知らずの自分を、松前の恨みをどうしてやることもできぬ自分を思い知った。



      *



 そんな満天姫を苦しめるもうひとつの悩みは、言わずと知れた直秀のことだった。

 養父・信枚とのあいだがどうにもギスギスしていて、一触即発の雰囲気さえある。


 自分は邪魔者という意識が生来の意固地に拍車をかけ、反抗的な態度をとらせる。

 一方の信枚も、繊細な時期にある養子を慈しんでやる度量を持ち合わせていない。


 お互いの影を見ただけで身体を固くし、目を合わせようともしない父子が悲しい。

 先妻の件や内紛の芽など複雑な事情を抱えた高岡城に、満天姫は呪縛されている。




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