第7話 曽屋御前は上野大館へ、本橋専太郎は不義密通
満天姫の悩みはなにひとつ解決せず、苦しい思いを抱えたままで月日が過ぎ去る。
養父・家康に庇護されていたころは、人生がこれほど重いとは思いもしなかった。
刺繡や縫い取りのある着物を着せてもらい、侍女に洗顔や入浴を手伝ってもらい、髪を結ってもらい、貝合わせやお手玉で遊んでいれば苦もない日々がつづいてゆく。
それが生きるということで、この世はちょっと退屈ではあるが、人知れずなみだを拭うような辛いことなど滅多に起こらないよねと、漠然とそう思っていたあのころ。
養父・家康の言うがままに安芸備後藩主家・福島家へ嫁いだときも、人もうらやむ絢爛豪華な花嫁行列をあつらえてもらったが、さしてありがたいとも思わなかった。
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そのきっちり噛み合わさったはずの歯車に、思わぬ軋みが出始めたと記憶している最初は、祝儀のあと義父・正則に遅い実子が誕生していたことを知ったときだった。
初夜の床盃を交わした夫・正之から、あえぐようにその事実を聞かされたときも、「あら……それはおめでとうございます」と言ってしまうような世間知らずだった。
だが、そのときすでに、それまで養父母に孝養を尽くして来た養嗣子・正之は厄介者となっており、実子可愛さに理性を失った養父母の贄が始まろうとしていたのだ。
心を荒ませた養嗣子・正之の狼藉を大仰に訴え出て幕府の言質を取り、広島本城の座敷牢に幽閉し、飲食を与えず餓死寸前を自ら斬ったのは養父・正則その人だった。
瀬戸内海の支城でその報を聞いたとき、そのころ浅姫と呼ばれていた満天姫は世の中は策謀と悪意に満ちており、うかうかしていれば足もとを掬われることを知った。
それからの有為転変は、もしやこれは夢の出来事ではないかと思うほどだったが、実際は現実に起きたことであり、大御所家康ですらどうしようも出来なかったのだ。
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遠い北国で唯一の頼りとする夫・信枚に小姓と側室の両刀で裏ぎられ(といってもいずれも満天姫のほうが後進だったが)、それ以上に一子・直秀との不仲は応える。
それでなくてさえ一年の半分は冬という寒い土地柄で気うつが増しがちなのに……江戸生活を懐かしむ綾小路も、満天姫に不実な信枚を快く思っていないようだった。
逆に、高岡城の奥向きの最古参として実権を握っている松前は、満天姫の身に不幸が重なれば重なるほど溌溂と見えるのは満天姫と綾小路の思い過ごしだったろうか。
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信枚の重臣・奥寺右馬丞の藩政転覆の策謀が発覚したのは、そんなおりだった。
怨念の宿敵・南部藩の忍だったことを知らずにいたのだから、まずおめでたい。
事が拡散する前に高坂蔵人ら譜代の寵臣の働きで一派の動きは食い止められたが、南部藩に相対して立ち姿で葬られたご先祖には申し開きのできない不祥事だった。
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満天姫にとっては一子・直秀に次ぐ棘ともいえるふたつの案件にも動きがあった。
ひとつは、同じ高岡城内の空気を吸っていた曽野御前が上野大館へ転居したこと。
信枚の采配か、曽野御前たっての望みか事情は明かされなかったが、正室と離れ、亡き実母の生地に移り住むことは頑健とは言えない曽野御前のためでもあったろう。
大館御前と呼ばれるようになった側室のもとに、江戸への往来のつど欠かさず信枚が立ち寄り、何日か滞留することは満天姫も気づいていたが、同居よりは救われる。
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もうひとつ、胸のすくような……といえば大人気ないが、初見のときに剥き出しにした敵愾心を隠そうともしないのが煩わしかった、小姓・本橋専太郎の一件がある。
もともと独占欲が強い気質なのか、押しも押されもせぬ正室として
その不満にひそかに目をつけたのが、先の奥寺右馬丞騒動でも、以前の熊千代騒動でも功績のあった譜代の家老・高坂蔵人だったので、あとで聞いた者はみな驚いた。
多分に慢心もあったのだろう、かねてより専太郎の際立つ美童ぶりに想いを寄せていた蔵人は、藩主・信枚の不在を狙って自邸に呼び寄せ、長年の思いの丈を遂げた。
ところが、知らせる者があって事が発覚し、本橋専太郎は信枚によって斬られる。
これを恨んだ高坂蔵人は配下に呼びかけ、こともあろうに南部藩への士官を図る。
そうはさせじと信枚が討手を仕かけた結果、高坂一派を壊滅状態に追いこんだ。
相次ぐ内紛で津軽藩は家臣の半数を失ったが、満天姫の棘は抜けたことになる。
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