第12話 帰宅

佳澄との宿泊は何があるというわけもなく、佳澄がバスルームから出てくるのを待って、お休みとだけ言ってお互い即寝入っていた。


いつもは真依が隣に寝ているのに慣れると、その温もりがないとちょっと心許ない。


でも、疲れもあってすぐに意識を手放していた。


翌朝は7時前にセットしておいたアラームで目を覚ます。


佳澄もその音で目を覚まして起き上がってくる。


「ワタシは8時前には出勤したいから早めに起きたけど、佳澄はまだ寝ていていいんじゃない? 先に出るから、領収書だけ貰っておいて」


「気になるから一緒に出る。昼前までいて、問題なさそうなら帰るつもり」


それを否定する理由もなく、それぞれ出勤の準備をして、ホテルをチェックアウトする。


途中のコンビニで朝食を買った後、10階のエレベーターホールで佳澄と別れて自席に向かう。


「お疲れ様。夜は何も起こらなかった?」


短い髪が所々飛び跳ねている保守メンバーにまずは声を掛ける。


「大丈夫です。ほとんど寝てましたから、俺」


眠そうな顔をしているけど、少しは仮眠ができてはいるようで安心する。


「それは良かった。これから負荷掛かってくるから、引き続きモニタリングをお願いします」





定時まで問題なく稼働できたことと、システム停止中にExcelで管理していたデータも、ほぼデータ投入を終えたことから、保守開発チームの緊急体制は定時を以て解放となる。


定時後のシステム監視は、昨日関わっていなかった永沼さんが請け負ってくれて、何かあれば連絡が入るようになっていた。


満員の電車に乗って、更に途中で寄り道をして真依の好きなプリンを買ってから、ワタシは家に帰った。


真依には今日は帰れそうとメッセージは送ってある。


「お帰りなさい」


残業だろうと思っていた真依は既に家に帰っていて、ワタシを出迎えてくれる。


「今日は残業なかったの?」


「ちょっとだけしたけど、葵が戻ってくるって思うと早く帰りたくて、急ぎの仕事もなかったし、帰ってきちゃった」


そういうことをされると可愛くて、我慢ができなくなって、玄関口だけど真依を抱き締めてキスをする。


「今日の葵、いつもとなんか匂いが違う?」


体を離した後、真依は顔だけをワタシに近づけて鼻を鳴らす。


「着替えてないからくさい?」


昨日から着替えていないので、袖を鼻元に当てて匂いを嗅ぐ。


「もしかして化粧品?」


ワタシの顔に顔を近づけて真依は匂いを嗅ぐ。


「あ……そうかも。メイク用品普段ちょっとしか持ち歩かないから、すっぴんで仕事に行こうとしたら佳澄にせめてファンデくらい塗りなさいって、サンプル貰ったんだよね」


さん、って一緒に泊まった人?」


うっかり佳澄の名前を出してしまって、真依が気に留めてしまう。


「うん。SEじゃなくて、一緒に仕事をしてるカスタマーサポート部の人なんだけど、システムの再稼働まで付き合ってくれたんだ。終電逃したからビジネスホテルに泊まろうになったんだけど、うちの会社の近くにビジネスホテルが一つしかなくてね。ツイン1部屋なら空いてますって言われたから、仕方なく一緒の部屋に泊まっただからね」


説明を試みるものの、真依のワタシを見る目は瞬きも許さない程の鋭さだった。


「そのかすみさんって、もしかして葵と高校が一緒だった人?」


隠し通すことは無理だと覚悟を決める。


「…………そうです。でも、真依気にしないで。佳澄は今はもう結婚してるし、むしろワタシには不用意に近づくなってくらい冷たいからね」


「………………」


ワタシはどうしてこう粗忽なんだろうか。


黙っていた方が真依が変に気にすることもないと今まであえて言わなかったのに、最悪のタイミングで知られてしまった。


「真依、本当に何もないから。偶然職場で再会して、仕事で絡みがある部に佳澄がいただけだから。同僚って言う関係以外何もないから」


抱き締めようと回した腕は、真依の手に阻まれて叩き落とされる。


「触らないで」


「真依……」


後ろずさった真依は、そのまま廊下の奥の部屋に戻って行く。


急いで靴を脱いで真依の後を追ったけど、リビングに真依の姿はなかった。


寝室を覗いても真依は見当たらず、そうなるともう一つの部屋にいることになる。


あの部屋は、柚羽が泊まった時のためにと買った布団一式が置いてあるので、籠もれない部屋じゃない。


「また、やっちゃった……どうしてこうなっちゃんうんだろう……」


後悔してももう遅い。


ワタシは考えが浅くて、過去に人を傷つけてしまったことが何度かある。


だからこそ注意はしていたのに、またやってしまった。


佳澄のことはどのタイミングで真依に話すのが正解だったのだろう。



会社で再会をした時?


不妊治療をしている同僚がいると話をした時?


佳澄と飲みに行った時?


佳澄と一緒にホテルに入った時?


佳澄が真依に話をすると言ってくれた時?



今は何を言っても話は聞いてくれないだろうと、その場での説得は諦めて一人で寝室に戻る。


そこはいつもと変わらない部屋があるのに真依だけがいない。


駄目元で謝りと何もなかったことを伝えるメッセージは送ってみたけど、既読はつかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る