第3話 隼の名を持つ少年
都市開発に忘れられた街の一角に、一軒の木造建築があった。
周囲にはビルが立ち並び近代的な様子を見せるなか、その木造二階建ての建物は昭和初期の時代を思わせる古い作りであった。
出格子、出桁造の建物。
江戸時代以来一般的だった町家(店舗兼住宅)は、軒を深く前面に張り出した「出桁造」による立派な軒が商店の格を示していた。
今は使われていない、現代に残る伝統的商家建築に見えたが、現役の建築物であった。
出格子は一見すると木製を思わせたが、防犯に用いられる特殊合金製だ。地面からアンカーを打ち込み、固定箇所の分解防止に溶接まで行う念の入用。
家屋を伺えない格子向こうにある磨りガラスは、銀行や美術館、高価な商品を扱うショールームでも使用されている高性能防弾ガラス。
各所に取り付けられた業務用防犯カメラ、LEDフラッシュライト、警報サイレンを備え、扉や窓に設置されたセンサーに衝撃や振動を感知した場合、警備会社の警備員が駆けつける契約を行っている。
物々しい雰囲気があるが、理由は《質》と書かれた暖簾がかかっていたから。
質屋だ。
質屋とは、財産的価値のある物品を質(担保)に取り、流質期限までに弁済を受けないときは当該質物をもってその弁済に充てる条件で金銭の貸し付け業務を行う事業者を指す。
流質期限までに借入額+合意した利息額を弁済することで、質草が手元に戻ってくる仕組みだ。その期日や利率は、法律および質屋の方針によって決定される。
流質期限までに弁済が行われなかった場合、担保の質草は質屋によって他の顧客に売却されることとなり、「質流れ」と呼ばれる。
また、顧客から完全に買取った物品も販売している。
客の品物を預かっている質屋では警備を厳重にするのはあたり前だが、同時に現金も保管していることを考えれば物々しさは当然であった。
店の中には、質草として持ち込まれた品物が雑多に置かれており、古びた桐箪笥や漆塗りの木箱、バッグ、万年筆、金物、陶器、漆器、絵画、時計、アクセサリー、玩具、古書、骨董品、刀剣、楽器、家具、などが所狭しと並べられていた。
そこに、二人の男女がいた。
一人は40代半ばの男性。もう一人は12歳前後と思われる少女だ。
男性は店の奥にあるカウンターに座っており、店内の入り口にある上がり框に少女が居た。
白いワンピース姿。
顔立ちはとても整っており、まるで人形のように思えた。
少女は上がり框に腰掛け、足を土間に投げ出してお手玉をして遊んでいた。
男性は白髪交じりの髪をオールバックにし、眼鏡を掛けている。見た目だけで判断するなら、とてもではないが堅気とは思えない風貌をしている。
だが、男性・
源一郎は子煩悩な人間だった。
そんな父親が、仕事場に子供を同席させることは珍しい事ではなかった。
特に今日は、いつも以上に甘やかす傾向にあった。
時刻は午後7時45分を過ぎている。
閉店までは残り15分となっているが自営業だけに、早々と店仕舞することも珍しくはなかったが、今日はまだ閉店しなかった。
その理由とは、買い取り客が来ることになっていたからだ。
客は希望の商品を源一郎に依頼した。
最近、質流れになった物の中に客の要望に見合った物があった。その客は、今から訪れることになっている。そのため、源一郎は未だに閉店もせずに店の奥で待っていた。
沙耶は学校の宿題も終え、暇を持て余した。娘は、こうして父親の仕事を見学していた。
そして、退屈凌ぎのために、先ほどからずっと数え歌をしながらお手玉をしていた。難しいとされる3つお手玉を器用にこなす。
だが、それも飽きてきたのか、今度は店の外に向かって、声をかけていた。
「お客さん来ないね」
そんな風に話しかけてみるが返事はない。
ただの少女の独り言に過ぎないのだが、源一郎にとっては無視できるものではないらしい。
彼は、娘の方を向いて答えた。
「いや来るよ。絶対に」
その言葉に反して、まだ誰も来る様子がなかった。
しかし、源一郎は確信しているかのように言うので、沙耶は不思議そうな顔をした。
その時だ。
扉が開いた音が聞こえた。
そして、一人の少年が入ってきた。
それは、少女が待ち望んでいた人物でもあった。
少年の服装はジーンズにフード付きジャケットというラフなもの。
ブラックとミッドナイトブルーという色は、モノトーンコーデながら地味で重たくあったが、その身なりは清潔感があり、よく手入れされていることが分かる。
また、服だけではなく靴にもこだわりがあるようで、機能性を重視したトレイルランニングシューズを履いていた。
高校生くらいであろか。
長めの前髪を額にかけ、そこにしっかりとした面立ちがあった。
だが、武骨ではない。
顔は親から譲り受けたものだが、環境でその面立ちは変わる。
恵まれた環境ならば、穏やかなものに。
荒んだ環境ならば、厳しいものに。
少年の場合は親から譲り受けたもの以上に、環境でできあがった面立ちが感じられた。ガラスのような透明で冷ややかで、浸食を受けつけない不変さを持つ。そんな面立ちだった。
発育の良い今日日の子供は、中学生くらいでも大人と似た体格から、年齢を見誤ることもあるが、長い年月から見れば人間の2、3年の歳の違いなど取るに足らないことであった。
だが、少年の長い前髪の奥に存在している眼に宿るものが、切った張ったの世界で生きる者さえも戦慄を憶えるものがあるとしたら、話しは別だ。未成年という青い存在としては片付けられない。
少年の名前は、
誰が来るか沙耶は知らされていなかったが、見知った人であることで父親の言う言葉の意味が分かった。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ。隼人」
源一郎が言う。
沙耶は、父親の真似をして言った。
その言葉に、隼人は沙耶に軽く会釈をすると源一郎に近づいた。
「刀を」
隼人が口にすると、源一郎は、背後にあった刀を差し出した。
「要望通り、控え目釘孔のある刀だ」
隼人は刀を手にすると重さを確かめるようにして持ち、鯉口を切って刀を鞘から払った。
刀身を眺める。
物打ち(切先三寸)部分。小沸のついた互の目乱れ刃の刃紋に掠れがある。幾度も真剣斬りを行ったことのある刀なのが分かった。
「兼弘作。平成七年の刀だ」
源一郎の言葉を耳にしながら、隼人は刀身の長さ反り具合を確認した。
「戸山流・中村泰三郎が、兼弘刀匠無くして戸山流無しと豪語した刀か」
隼人は刀を片手で、ゆっくりと振った。
刃筋は綺麗に立っている。
刀を握った腕を止めると、時が停止したように刀は固定された。
しかし、微かな違和感が。
そのことは口にせず、経験と勘で刃長を口にする。
「刃長は二尺四寸(72.8cm)か」
「答える前に当てられちまったな」
源一郎は参ったように頭を叩く。
刀の刃長の定寸は、二尺三寸五分(約71.2cm)。隼人の手にしている定寸よりも長いものだ。
隼人は満足げな笑みを浮かべた。
「いつもの短い刀は使わないのかい?」
「事情があってな。今回は寸尺が長い刀が必要なんだ」
源一郎の疑問に、隼人は答えながら納刀した。
何らかの事情があるのは分かったが、追求はしない。
「気に入ってくれたかい」
源一郎は嬉しそうな顔を見せた。
「気に入った。この刀なら、俺のやり方で、あの男の首を簡単に斬り落とせそうだ」
隼人は子供が居るにも関わらず、使用目的を口にした、その表情には喜びもなければ、憎しみもない。ただ淡々と事実を口にしただけのようだった。沙耶は顔色を変えることなく隼人の姿を見ていた。
「買おう。いくらだ」
「70万」
それを聞くと隼人は封筒から幾枚かの金を抜いて手渡して言った。
「場所を貸してくれ」
隼人は店内にある座敷の一角を目配せて頼むと、源一郎は快く承諾した。
「構わんよ」
座敷に上がった隼人は、ジャケットの内側から小道具を出すと、目釘抜きを使い二本の目釘を抜いた。
目釘とは刀や槍の
刀の目釘は多く、およそ9割は一本だが、二本のものもある。
これは「控え目釘孔」と呼ばれ、補強を目的として茎尻付近に、目釘孔を意図的にひとつ開ける。
刀剣を使用する際、強い相手と切り合うことが予想される場合や、罪人の身体を切って刀剣の出来栄えを確かめる「試し切り」を行なう場合だ。長大な刀剣が多く使われていた幕末時代などによく見られた。
刀で物体を斬る武道である抜刀道の方の談でも、目釘が一本の場合、試斬中心に使うと、柄の木は結構なスピードで痩せてガタツキが出てくる。
しかし、衝撃を2点で支える、二本目釘にした場合、柄の持ちに相当な違いが生じる。斬りに斬った上の柄も、全くガタツキが生じない。
隼人もそうした経緯から、控え目釘孔のある刀を要望したのだ。
目を凝らし、抜いた目釘を確かめる。
目釘に最適とされた竹の種類は、水分が抜けて固く引き締まる冬至の頃に伐採した真竹。三年間寝かし乾燥させ椿油や菜種油と言った植物性油を染み込ませ、強度を増してから使う。こうすると、例え折れることがあっても完全に破断することはなく、刀身が飛び出すのを防ぐのだ。
抜いた目釘に小さな割れがあった。
手にした時の、微かな違和感の正体はこれだ。
交換の必要があるが、それ以上に行うべきことがあった。
沙耶は隼人のしている作業が見たくて近づこうとするが、父親に叱られるように呼び止められ源一郎の横に座った。
源一郎は、その間に封筒の金を確かめていた。
隼人の作業音とは別に、源一郎が金を数える音が鳴る。
隼人は、目釘を抜いた刀を握ると、握った拳を叩く。
鍔が揺れ金属音がすると、刀身が柄から少し出る。
柄を抜き茎が露わになる。
鍔下にある切羽という金属部品を外し、鍔を外す。それから切羽を戻し、再び柄に茎を入れると用意しておいた目釘を使うことにした。
褐色の目釘。
煤竹だ。
煤竹とは、古い茅葺屋根を用いた民家の屋根裏や天井などで、数百年間に亘って燻された竹のこと。
表面は褐色だけでなく、内部も茶色に変色している。煤竹は、通常の竹とは比較にならないほど頑強で、粘りや弾力に富み、目釘の材料に打って付けとされる。
昨今は煤竹そのものの数が希少傾向にあり、価格は煤竹1本で数十万円以上することも普通だ。
鍔を外し、目釘を交換した刀を、隼人はゆっくりと振る。
先程、振った時に感じた違和感は無くなっていた。
ピンと紙幣を弾く音が止んだ。
「5万多いぞ」
源一郎の言葉を聞いても隼人は驚いた様子を見せることなく、刀を紺のナイロン製・竹刀袋に収納していた。
「残りは器物破損代だ」
隼人は竹刀袋のショルダーストラップを肩がけにし、ベルトを用いて刀を腰に密着させた。
隼人なりの帯刀だ。
日本では刀剣類を所持することは「銃砲刀剣類所持等取締法」で禁止されている。
ただし、自分名義の「銃砲刀剣類登録証」があれば「美術品」として認められ、所持することが可能になり、正当な理由があれば携帯することも可能となる。
この正当な理由とは、業務その他の理由による場合や、アウトドアに使用する、あるいは購入して持ち帰る途中などを指しているが、防犯・護身用等は正当な理由にはならない。
また、正当な理由があっても、携帯時にすぐ使用できるようになっていると違反となってしまうため、専用の刀袋や風呂敷、ゴルフバッグ、ジュラルミンケース等に納めて持ち運ぶ必要がある。
真剣を持ち歩くことは違法ではない。
しかし、帯刀は違法だ。
隼人は、肩がけの竹刀袋を腰へと移動、竹刀袋から引っかかりのない素早い抜刀をするための目的の1つとして、鍔をあえて外したのだ。
座敷から降りると、隼人は靴を履き、入り口へと立って振り返る。
「確かめたい」
隼人の言葉を察して源一郎は、娘に呼びかける。
「沙耶」
「うん。分かった。いくよ」
沙耶は何をして良いのか理解すると、声を弾ませて手にしていたお手玉の一個を隼人へと放った。
隼人は、竹刀袋。
いや、刀を腰へと移動させた。柄を下から迎え入れる。
放たれたお手玉は空中で静止する。
時が止まった訳ではない。
その証拠に、お手玉は、ごくゆっくりと落下を始めたのは、周囲の時間があまりにも速かったから。
隼人は、左手で鞘を押さえながら右手を柄に添える。
鳥が飛び立つように刃が引き抜かれ、鞘離れの瞬間に手首と指を返し、水平に薙いだ。
時間を巻き戻したかのように刀は鞘へと還った。
そして、お手玉は床へと落ちた。
何事もなかったように。
沙耶が首を傾げて残念そうな顔をする。
その表情が一変する。
床に落ちたお手玉が、雪が溶けるように突然身を崩すと、内包していた小豆を吐き出した。まるで人体からハラワタが零れ落ちたように。
沙耶が歓声を上げた。
源一郎は呼吸を忘れた。
「――まさに、隼だな」
源一郎は感嘆した。
隼は、空だけでなく地球上で最も高速だとされている生物だ。
ギネスブックでは時速300kmとされているが、これまでの検証の結果350kmを超えるスピードで飛ぶことが分かっている。
また測定によっては、360km、390kmという記録もあり、生物の中で移動速度が世界最速と言われる。
隼は小型哺乳類や昆虫も捕食するが、主な獲物は、小型~中型の鳥類だ。時として大型の鳥でさえターゲットになる。
空を飛ぶ鳥に狙いを定めると素早く獲物の上空まで急上昇し、猛烈な速さで急降下し鋭い爪で蹴る。
獲物は即死か失神状態になり墜落していく獲物を空中でつかみ、飛んだまま獲物の後頭部にと止めを刺す。その超高速の狩りは、人間の目の能力を超えており肉眼では追え獲ず、獲物を狩る瞬間を目で追って撮影するのは不可能という。
隼の名を持つ少年の技量は、それにふさわしいものであった。
周囲が驚愕する中、ただ一人、隼人のみは表情を変えない。
感動も喜びも、虚栄心すらなかった。
沙耶は、目の前の光景を見て目を疑った。
いや、目がおかしい訳ではない。
まるで魔法のような出来事だった。
沙耶は隼人の持つ術に魅入られた。
だから、もっと見たいと思った。
「ねえ。もう一回見せて」
隼人は困った顔を見せた。沙耶は、隼人の元に近づき自分が何を言ったか自覚していない。
だが、無意識に言葉は口から出ていた。
「こら沙耶」
源一郎が沙耶を諭すように言う。
隼人が、それに続いた。
「!」
と。
言葉はない。沙耶の言葉に表情を以って反応したのだ。
沙耶は叱られると、思った。
でも違った。
怒っているようでいて、優しい声音だ。
沙耶の頭に隼人が手を乗せる。
温かく大きな手だ。
そのまま撫でてくれる。
嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。
沙耶は頬が赤くなる。
「そうだな。また。会えたらな」
そう言って、隼人は背を見せた。
引き戸を開け出て行った。
隼人を見送った後、沙耶は立ち尽くした。寂しそうに。もう会えない気がしたから。
だから問うた。
「ねえ、お父さん。隼人、また来るよね」
源一郎は少し考え、答える。
「――剣士だからな」
沙耶は、意味が分からず問い返す。
「どういうこと?」
源一郎は答えない。ただ黙ってお茶を飲んでいた。
「ねえ、お父さん!」
沙耶の声に源一郎は目線を向ける。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「沙耶。お前にもいずれ分かる時が来るよ。それより、もう店じまいだ」
「うーん。分かった」
沙耶は、不満ながらも返事をするしかなかった。
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