サンプル117
「サンプル117を置いてきた、だと……?」
目の前にいる真っ赤な顔をした中年の男は、太い眉毛をピクピクさせながら言った。その額に浮き出た血管は今にもちぎれそうで、ユリアは思わずヒヤヒヤした。
「あの、えっと……、緊急招集がかかったので、その、慌ててそのまま……」
「ええい!!言い訳がましい!!」
男が机をバンっと叩いたため、ユリアの体もビクッと震えた。
「いいか、君たちのあの調査には膨大な時間と費用がかかっている。君も分かっているだろうが、あの場所にはそう簡単に戻れないんだぞ!」
「知っています……」
『あちら』に置いてきてしまったものをそう簡単に取りに行けないことは、ユリアも十分理解していた。
「もういい、後で君の処分を伝えておく。出て行きたまえ」
「はい……」
△
「ユーリア!」
廊下をトボトボと歩いていると後ろから同期であるカレンが声をかけてきた。
「あぁ、カレン……」
「所長にこってり絞られたんだって?」
「そりゃもう、ガッツリとね……」
「あらら。——で、どうだった?」
「……5日間の
「えっ?それだけでいいんだ……」
それはユリア自身も思った。
『こちらのもの』を『あちら』に置いていってしまうというのは、クビレベルの重大なミス。てっきり退職を迫られるか、最悪研究員としての資格を
「……しかし、サンプルを置いてきちゃうなんてねぇ…」
カレンは
時は2XXX年。
タイムマシンが開発され、調査対象当時への移動が可能となった。
タイムマシンの私的な使用はもちろん禁止だ。国が認めた一部の機関のみが調査を目的に使用できる。
既に地球の大陸の半数が海へと沈んでいき、世界人口の4割ほどは宇宙へ移住していた。
そんな環境の中、ユリア達が所属する地球調査団アジアチームは、今は殆ど沈んでしまっている『ニホン』という国の歴史を調査することになった。
“調査”といっても至ってその方法はシンプルだ。行く時代の対象地域で、その土地の土を持ち帰るだけである。
今はその土地の土を調べることで、当時の自然環境はもちろんのこと、文化までもを推測することが可能なのだ。
土はサンプルとして頑丈な小瓶に詰めて持ち帰る。光の速さに耐えられるくらい頑丈で、特殊なガラス作られた小瓶に。
ユリアが持ち帰るはずだった小瓶は全部で12瓶だった。
調査の滞在時間には余裕があった。けれど、仲間のうちの一人が現地住民と遭遇したとの情報が入り、緊急招集及び撤退が命じられ、急いでその場を離れなくてはいけなくなったのだ。
「あのときリアムが見つからなけりゃ、こんなことにはならなかったわよ……」
「まぁまぁ、彼もあの後、大変だったみたいよ?」
「……今日はもう帰るね」
呼び出しだけでもひどく緊張したが、どんな処分になるのかも不安で、ここ数日気が気でなかった。
「ここのところ立て続けに調査があったんだし、せっかくだからしっかり休みなよ?」
「……うん」
心配するカレンと別れて、フラフラと家へと向かった。
△
カレンから連絡があったのは、謹慎から3日目のことだった。既に報告書は書き上げて、
「大変!大変なの!!」
応答ボタンを押す。ミリニアの真上の空間にカレンの顔が映し出される。映像の向こうの彼女の表情はいつになく必死だった。
「どうしたの、カレン。何があったの?」
「今そっちのPCにデータを送った。すぐに見て!」
「……?」
カレンが送ったものをPCで確認する。それはとある地方のネット記事だった。
『国立歴史研究員が謎の小瓶を発掘。“空白の4世紀”の裏付けなるか』
記事を読んでいくと、最後の方に発掘したという小瓶の写真が載っていた。ユリアが『あちら』に置いてきてしまったものだった。
「……」
ショックで声も出なかった。
「一応あの後、何も無かったか調べてたんだけど、偶然この記事を見つけて。それ以上のことはまだ分かっていないんだけど……」
「……」
「ユリア?ねぇ、聞いてる?ユリアー?」
「あ、あぁ……。うん……、聞いてる」
(やらかしてしまった、どころではない。なんていうことだ……!)
「まだ所長はこの記事に気づいてないみたい」
「でも知ったら報告書どころじゃ……」
「済まないね」
カレンがスパっと答えた。
怒り狂った所長の顔が頭に浮かんだ。
(
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます