1923年1月 帝都

 ――1923年1月 帝都


「けしからん!」


 とある出版社の一室に、落雷の如く怒声が響く。


 大迫おおさこすみは、眼前で皮革製の椅子に沈む男を半ば睨みつける。白い物の混じる頭髪は、心労故かまだら模様を描き始めていて、顔面には深い皺。特に、眉間の溝はかなり深い。


 近代風に洋装を纏っているのだが、短躯たんくゆえに、背広に着られているようで不格好。ついでに異国風の眼鏡もかけている。やっぱり島国人は和装が似合うわと、澄は自身の洋装を棚に上げ、心の中で悪態を吐く。


 斑頭まだらあたまの男は、澄の小説を世に出すために奮闘してくれている。いわゆる編集者というやつだ。やり手だと耳にしているが、それにしては頭が固い。


「まずは何だ、この低俗な題名は。『天狗先生は甘々で幸せな結婚生活を送りたいので山で美女を拾いました』……? 題名なのか⁉ 本文の間違いではないのか」

「いいえ、立派な題です。一目見て内容がわかるので、画期的だと思うんです」

「内容など、本文を見ればわかる!」

「何言ってるんですか! 今や女性の社会進出が進み、老若男女ろうにゃくなんにょ誰もが忙しい毎日を過ごしているんです。いちいち本文を読んでから買うと思いますか? 題名だけで、好みに合うのかわかった方が効率的です。この島国にも舶来はくらいの文化が流入し、新しい風が吹き込んでいるところなんです。今までと同じことをやっていたら売れません」

「ならばせめて句点読点を」

「『天狗先生は、甘々で幸せな結婚生活を送りたいので、山で美女を拾いました。』? これこそ本文じゃないですか!」

「本文を題名にしたのは君だろう、大迫くん」

「じゃあ一体、どんな題名なら通してくれるんですか」


 男は思案気に口を閉ざし、眼鏡をもてあそんでから言った。


「『天狗妻』」

「却下! いつまでそんな古風な響きにしがみ付いているんですか!」


 若い女に声を荒げられ、さすがに頭に来たのだろう。斑頭は歯噛みする。ぎりぎりと、歯が擦れる音すら聞こえる。心底忌々いまいましいという思いを顔全体で表現した様子である。


「そんなにイライラしているから、斑になっちゃうんですよ」

「斑?」

「いえ、何でもありません」


 さすがに人としてあるまじき発言。澄は口元を手で覆い、取り繕う。


「とにかく、私は文学界に風穴を開けたいんです」

「何が風穴か! 君のような若輩者は、まずは前人たちの築いた道を殊勝に辿るべきだ」

「そんなことしていたら、あっという間におばあちゃんになってしまいますよ」

「とにかく!」


 斑頭はずり落ちかけた眼鏡を押し上げる。不潔にも唾を飛ばしつつ吐き捨てた。


「それならば、老婆になってから書けばよかろう。このような駄文、百年早い!」

「駄文? 百年ですって⁉」


 あまりにも話が通じない。憤懣ふんまんやるかたない澄は衆目も忘れ、男がふんぞり返っている机を叩きつけた。


「わかりました。それなら」


 澄は机に腕を突き上体を乗り出して、男の鼻先に指を突き付けた。


「聞いてみましょう。百年後の皆さんに」

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