天狗先生は甘々で幸せな結婚生活を送りたいので山で美女を拾いました【後編】馴れ初め話を終わらせちゃう!

Ψ


 その後、私たちは他愛たわいもないお話をして、喫茶店を出た。別れ際、澄子すみこさんが「みるくきゃらめる」という甘くて柔らかいお菓子をくれた。


 やっぱり都会はハイカラだなあ。こんなに美味しいお菓子、初めて食べたもの。


 私はきゃらめるを舌で転がしつつ、いつも通り出版社の前で、宗義しゅうぎさんのお仕事が終わるのを待つ。西の空が橙色に染まり始める時刻、宗義さんがのっそりと現れた。


「待たせた」


 相変らず言葉が少ないけれど、そんなところも素敵なの。私はほっぺたが緩むのを感じて、慌てて気を引き締める。だけど、だけどね。宗義さんったら、いきなり近距離で私の顔を覗き込んできた。どきどきして、心臓が飛び出しそう!


「しゅ、しゅ、しゅ」


 宗義さん、と言いたくて、でも言葉が出ない。宗義さんは少しだけ首を傾けた。絶対に変な人だと思われた。恥ずかしい。


 私は一度深呼吸をして呼吸を整えてから、やっとのことで言った。


「宗義さん、どうしましたかっ」

「甘い」

「へ?」

「甘い匂いがする」


 ああ、きゃらめるを食べてたからかも。私は小物入れからきゃらめるの赤い箱を引っ張り出して、中身を一つ宗義さんに手渡した。


 宗義さんはいつもの不愛想な表情で四角いきゃらめるをじっと見つめて、すん、と匂いを嗅いだ。すんって! きゃー、何あれ、可愛い!


「これは何だ」

「きゃらめるって言うんです。甘くて美味しいんです。宗義さんもどうぞ」


 暴れる心臓を両手で押さえつつ、澄ました顔で言ってみる。宗義さんは黙ったまま包み紙を開き、きゃらめるをぽいっと口に投げ入れた。


 それから、やっぱり何も言わずに歩き続ける。表情からは何も読み取れない。でもねでもね、そこはやっぱり宗義さん。黒い翼がゆーらゆら。ゆーらゆら。しかも、今まで見た中で一番嬉しそうに揺れてる。


 そっか、宗義さん。もしかしてとっても、


「甘い物好き?」


 いけない。心の声が漏れちゃった。宗義さんはちらりと私に視線を向けて、小さく頷いた。


「好きだ」


 きゃーーーー。私の心臓は破裂しました。


Ψ


 翌日。私は苦し紛れの口実を作り、一人で街へ下りた。え、どうしてって? ふふん、それはね、他の主婦にはできないことを思いついたからなんです。


 宗義さんが甘々な食べ物が好きってわかったでしょ。今まで、この島国で甘味と言ったら、あんことか黒蜜とかそのくらいだったけどさ。最近は異国から色んな甘味が伝えられているんだよね。特に、を使ったお菓子って、なんだか濃厚で物珍しくて。だから私、街に出て新しいお菓子を探して、宗義さんに作ってあげようと思ったの。


 異国のお菓子作りが得意な奥様なんて、きっと珍しいはず。……きゃ、奥様なんて言っちゃった! 恥ずかしい。


 とにかく、私にしては良い案だと思った。……思ったんだけど。


 日取りが悪かったみたいです。私は今、宗義さんの家へと続く山道の入り口で、雨に打たれて蹲っている。


 うわああん、怖いよお。本当は大声で泣きわめきたいけれど、そんな声すら出ないくらい怖いの。何がって。


 ピカッ……! ゴロゴロ、ドッカーン!


 そそそそそう、これ。かかかかか雷いいいいい。


 何でかわからないんだけどね、私とっても雷が嫌いなの。そういえば宗義さんに拾ってもらった日も、すっごい雷雨の日だった。記憶喪失になる前に、雷と何かあったのかな。……なんて呑気に考えている暇はないの。

 

 ピカッ! ドカーーン!

 カッ! ドゴーン!

 カ、チュドーーン‼


 うううう嘘でしょ。どんどん近づいてる。どうしよう。


 着物は雨でびちゃびちゃだし、体温が奪われてとっても寒い。このまま凍え死んじゃうのかな。それか、雷に打たれて黒焦げになって死んじゃう?


 ううう。宗義さん、最後にもう一度会いたかったよ。あの柔らかそうな大きな翼に包まれたい。きっと暖かいだろうなあ。ああ、意識が朦朧もうろうとしてきた。目の前が真っ暗だよ。私の人生はこれにて終了……。


「……いと、いと!」


 幻聴がする。私は瞼をこじ開けた。相変らず視界は真っ暗。でも、宗義さんの声がすごく近くから聞こえる。


「いと、しっかりしろ」


 突然視界が明るくなった。目の前に、宗義さんの顔がある。ちょっと慌てたような顔。えへへ、こんな顔初めて見た。幸せで死ねる。


「いと! 寒いのか」


 この世に未練なんて無くなった私の身体。ふわり、と柔らかいもので包まれた。わあ、すっごくあったかい。撫でてみたけど、何だろ、このもふもふ。どこかで触ったことあるかも。


 私は現実に意識を引き戻して、もふもふを撫でた。目を向けてみればそれは、黒い羽根。こ、これはもしかして、もしかすると! 


「しゅ、宗義さんの翼に包まれてる‼ ぷしゅー」


 顔から湯気が出そうだ。さっきまで凍え死にそうだったのが嘘みたい。今は身体中が熱湯みたいに熱い。私の身体の温度変化能力、すごいわ。


 はっ、いけない。宗義さんが困った顔してる。私は首を振って正気を保つ。


「宗義さん、き、来てくれたんですか」

「ああ」

「こんな雨の中、ごめんなさい」

「ああ」


 うう。宗義さんの寡黙さは好きなんだけど、迷惑かけている自覚があるから、結構気まずい。でもさ、こんな機会二度とないかも。だって私、あの宗義さんの腕の中にいるんだよ。皆さん、いとは一世一代の大勝負に出ます!


「宗義さん、そのっ。わ、私、宗義さんのことが、す、すすすすすす、き」

 

 カッ、ドゴーーーーーン!


 辺り一面が鋭い光に包まれた。お腹の底から揺らされたような轟音ごうおんが響いて、私の身体中に電気が走った。


 あまりの衝撃で、視界がちかちかと明るくなったり暗くなったりした。同時に、私の頭の中に、色んな食べ物の映像が流れ込んできた。


 焼きたての生地から立ち昇る湯気、甘い果物の彩り、精巧な飴細工、見慣れない形状のお菓子。私は奇妙な白い服を着て、それらを作って誰かに売っている……。


 すっごく。胸が苦しくなるくらい。ああ、これは、私の記憶。宗義さんと出会う前の私の記憶の欠片だよ。まだ全部は思い出せないけれど。


 私、世界中の甘味を知っている。作り方も、味も、全部全部。あり得ないことだけれど、もしかして、もしかすると私、ここではないどこか別の世界からやって来


 ドゴーーーーーン!


 私の意識は暗転した。


Ψ


「わあ、ここがいとさんのお店ですか」


 澄子さんが頬に両手を当てて、目をきらきらさせながら、の中を覗いている。


 店頭の展示用硝子がらすの中には、私が作ったお菓子が並んでいる。そう、つい先日、私は洋菓子屋さんを開いたの。わが社の理念は、コホン。『ここにしかないお菓子をあなたへ』。


「ええと、まかろん、かぬれ、ま、まりとっ……つお? すごいです、いとさん! よくこんなにたくさんのお菓子を考え付きましたね」

「えへへ、それほどでもないよ、澄子さん」


 私は誤魔化すように笑って頭を掻いた。考え付いた、というより、頭の中に急に浮かんだんだよね。やっぱり私って天才なのかな。


 ああ、皆さんにはまだ言ってなかったよね。あの雷雨の日、私は二回も雷に打たれたらしいの。でも不思議なことに、宗義さんも私も黒焦げにはならなかった。ちょっと身体中がバチバチしただけだったよ。


 それでね、あの時の記憶はほとんどなくなっちゃったんだけど、代わりにね、新しいお菓子の作り方がどんどん頭の中に湧き上がって来て。え、異国に昔からあるお菓子な気がする? そ、そんなわけないでしょ。それに、もし異国にあったとしても、この島国には伝来してないはずだから。


 とにかく私はあれからお菓子作りを勉強して、無事に甘々好きな宗義さんの胃袋を掴んだってわけ。今は宗義さんの奥様をやってます。あ、そうそう。同時に職業婦人にもなっちゃって。今や夫婦で、話題のお菓子屋さんを経営しちゃってます。


 これが、宗義さんと私の馴れ初め話。どう? すっごく甘々だったでしょう?

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