天狗先生は甘々で幸せな結婚生活を送りたいので山で美女を拾いました

平本りこ

天狗先生は甘々で幸せな結婚生活を送りたいので山で美女を拾いました【前編】馴れ初め話をはじめちゃう!

 私、人間いとは、天狗の妻をやっている。


 人間は平地に、天狗は山に。知ってのとおり、この島国の人々は、古くからそうして暮らしてきた。


 そりゃもちろん、人間だって山菜を採りに山に入るし、天狗も仕事で平地に下りることもある。だけど生活の場は交わらない。


 『文明開化の音がする』。そう言われてしばらく経つけれど、いくら多くの異国人がこの国にやって来たとしても、相変わらず人間と天狗の交流は少ないんだよね。


 だけど私は、天狗の妻になった。


 どうしてそうなったのか? ……うーん、必然ってやつ? きゃっ、照れちゃう!


 彼と出会ったのは、土砂降りの大雨の日。だったはず。「はず」というのは、あの日私は頭を強く打っていて、前後の記憶が曖昧だから。


 空は、紫色だった。どこかで雷が鳴り、雨に打たれた身体はずぶぬれで。着物の裾は引き裂かれ、肌は痣と細かな切り傷でいっぱいだった。


 そんな話は全部後から聞いたことで、私が覚えているのはただ一つ。後に夫となる小説家の天狗、宗義しゅうぎさんの真っ黒な瞳の温かさだけ。


 私は宗義さんに拾われた。山道の斜面を流れる雨水の川の中、ころころ転がり落ちかけていたところ、近所の小屋で一人暮らしをする天狗に命を救われたの。


 私には、それ以前の記憶がない。山で倒れていた雷雨の日、あれが私の始まりの日。


 行き場のない私はそのまま宗義さんの家にお世話になって、時が過ぎ、甘々な色々があって、今では夫婦になったのです。


 え、甘々な色々って何? ……やだ、恥ずかしい! でも、そうだね。どうしても知りたいって言うのなら、教えてあげる。他の人に言いふらしたら、だめだからね。


Ψ


 宗義さんは可愛い。とっても可愛い。隣山の天狗小母おばさんにそれを言ったら、すっごく不審そうな目をされた。どうしてだろう。だってこんなに可愛いのに。


 まずはあの仏頂面。しかも全然喋らないというおまけ付き。天狗って、人付き合いが苦手な人が多いじゃない? 宗義さんはその中でも特にずば抜けていると思うの。


 私が繰り出す渾身の笑い話にも頬っぺたはピクリとも動かないし、ご飯を食べてもやっぱり表情は変わらない。私、記憶喪失だけれどなぜか料理の腕は良いはずなんだけど。


 一番可愛いのは、顔とは真逆で感情が溢れ出ている黒い翼。嬉しいことがあるとゆらゆらと揺れるんだけど、これが本当にきゅんきゅんするの。不機嫌そうな顔と合わさると、もう最高。


 例えば、そうだね。ご飯もね、好き嫌いがあるみたいで。川のお魚は大好き。食べる度に翼がゆーらゆら。でもこの前、お友達から野鳥のお肉を貰って焼いて出した時には、もうガッチガチに動かないの、あの翼。


 まあその時は顔も真っ青になってたけどね。とりあえず宗義さんは鳥肉はだめ……と、記憶にしっかり焼き付けた。


 そういえば天狗って鳥肉嫌いな人多いよね。あ、翼仲間だから……? だとしたら私、すっごく残酷なことをしちゃったのかも。


 とにかく、とにかく! 他にもたくさん魅力があるんだけど、言い出したらきりがないからこれでお終い。


 それに私のこの熱い思いは、宗義さんに一切届いていないみたいなの。それでもいいやって思えるくらい、彼と二人で過ごす毎日は、穏やかで温かいんだけどね。


 でもこんな幸せも、もう終わる。宗義さん、私に早く記憶を取り戻して、家に帰って欲しいみたい。しょぼん。


Ψ


 宗義さんが小説の原稿を出しに街へ下りるのは月に一度。そんな日は私も街へついて行き、お友達の澄子すみこさんとを楽しむ。


 澄子さんは宗義さんのお知り合いの娘さんで、今は女学生。海老茶色えびちゃいろの袴姿が可愛いよね。私よりも年下だけど、いつも仲良くしてくれるから嬉しいの。


 二人でお喋りをするのはいつも、ハイカラな喫茶店。店内はどこか異国風な内装。女性ならみんな気分が上がっちゃうよね。


「私、そういう男女のあれは詳しくないのですが」


 私の恋愛相談を受けた澄子さんはちょっと困ったように言って、牛乳珈琲みるくこーひーかっぷをつんつんつついている。


「やっぱり、いとさんのことを手放したくないって思ってもらうのが一番だと思うんです」

「で、でもどうしたら良いのかな」


 それが、全く見当がつかないんだよね。というか、この島国のほとんどの夫婦はお見合い結婚。恋愛なんてけしからん、と思う人もまだまだ多いみたい。


 だから、育ちの良い澄子さんにも、それらしい具体案は出てこないのかも。


「うーん、色仕掛けとかでしょうか?」


 ……さっきの言葉は撤回。澄子さん、そんな言葉をいったいどこで。私自身、色仕掛けなんて勇気はないので目で訴えたら、澄子さんはちょっと顔を赤くした。なんだか可愛い。


「だけど、澄子さんの言う通りだよね。私、今はただの居候いそうろうだし、何の役にも立ってない」


 しょぼん。


 意気消沈した私の顔を見て、優しい澄子さんは全力で否定してくれる。


「役に立ってないなんてそんなこと! ほら、お家でお料理したり、繕い物をしたり、毎日大忙しじゃないですか」

「それはそうだけど」

「自信を持ってください、いとさん」


 澄子さんの言葉は嬉しいんだけど、家事だったら、正直他の人でも出来るし、私じゃないとダメっていう理由にはならないと思うんだよね。


 私が得意なことは家事。その中で、私だけにしかできないことを探す……。いや、無理無理。だって、全国の奥様方が毎日毎日腕を磨いていることだもの。特別なことなんて出来やしないよ。


 ちょっと空気が重くなっちゃった。私は意識して明るい声で言った。


「澄子さん、ありがとう。ちょっと考えてみるね」

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