龍の嘶きに導かれ

佐木呉羽

第1話 誘いの音

 私の気分とは対照的に、どこまでも空は晴れ渡っている。

 風は少し冷たいけど肌寒いほどではなく、日向のぬくもりと相まって気持ちがいい。

 色とりどりに紅葉した葉の間から、木漏れ日が溢れる平日の公園には、まばらに親子連れが居るくらいだ。

 ただ一人でベンチにポツンと座っている私だけが、ほのぼのとした空間の中で浮いている。なんとも異質な存在に思えて、極限にまで気配を消したいと念じてしまう。

 物理的に消えることなんて、無理なのに。誰の目にも留まることが無い存在である透明人間に、私はなりたい。


 膝の上に乗せているカバンを抱き締め、背中を稲穂のように曲げると、ギュッと強く目蓋を閉じて体を小さく丸めていく。

 見ている目蓋の裏は、暗い。暗いのに、ウゾウゾとなにかがうごめいている。目に入っているゴミなのか、眼球を潤わせている水分なのか。はたまた、普通の目には映らぬ異形の存在達なのか。そんな怪しいモノ達が存在していると妄想をしてしまうくらい、私の精神は病んでいた。

 このまま石になってしまえば、石像として、この場に溶け込むことができるだろうか。


 小さな子供のキャッキャと遊ぶ声に混ざり、微かな笛の音が聞こえてきた。

 どこまでも響いていきそうな高い音色。

 貝のように閉じ込めていた心に清らかな笛の音は届き、興味がムクムクと蛇のように鎌首をもたげ、沈んでいた心を瞬く間に浮上させた。


(どこで、吹いてるんだろう……?)


 おもむろに立ち上がり、誘われるように音の鳴るほうへと向かって歩き始める。

 心許ない細い糸を辿るように、微かに聞こえる音だけを頼りに公園の中を彷徨った。

 春にはお花見が楽しめそうな、桜の木が立ち並ぶエリアに差しかかる。緑だった葉っぱは見事に紅葉し、赤や黄色や茶色といったグラデーションに染まっていた。

 冬の足音が近づく頃には、これらの葉は全て茶色く変色し、枝から落ちてしまうだろう。

 移ろいゆく季節を実感し、よけいにセンチメンタルな気持ちになってしまった。

 遥か昔の人は、移ろう気持ちを表現するときに、秋風が吹いたと表現したらしい。

 秋風の秋は飽きに通じ、もうキミに飽きてしまったという意味になる。互いに想い合っていた二人の間に、恋心が無くなってしまったという暗喩だ。


(ダメ……また泣きそう)


 秋という季節に、泣かされてしまう。


 だって、私は……まだ好きなのだから。


 二つ年上の先輩のことが、今この時でさえ、心と頭を占領してしまっている。

 別れを告げられたことが信じられなくて、悔しくて、切なくて、身も心も散りりになってしまいそうだ。


(私のなにがいけなかったんだろう……)


 うまくいっていると思っていた。仲良く日々を過ごしていると思っていたのに。

そう感じていたのは、私のほうだけだったみたいだ。

 未練タラタラで、情けない。

 鉛のように重たかった足が止まり、視界がぼやける。ポタリポタリと、大粒の涙が目から零れ落ちた。


「うっ……う〜〜っ」


 手で口元を押さえ、その場にしゃがみ込む。肩と背中は震え、堪えることのできない嗚咽が漏れる。

 まだこんなに好きなのに、心の整理なんてつくわけがなかった。


「大丈夫ですか?」


 様子を伺うように掛けられた声は、耳心地がよい低い男性のもの。

 泣き顔を見られたくなくて、下を向いたまま「大丈夫です」と震える声で短く答えた。

 男性が、戸惑っているのが気配で分かる。

 それはそうだ。こんな所で泣き崩れている女が、大丈夫だと思うわけがない。

 しばらく逡巡し、男性は私に声をかけることなく踵を返した。

 ザッザッと、スニーカーが砂利を踏んでいく音が遠ざかって行く。


 こんな私を気にかけてくれたことに、心苦しさを覚える。生きていて、ごめんなさい。そう心の中で思ってしまうくらい、私のメンタルは奈落の底にまで落ちていた。


 ほどなくして、どこからともなく、再び笛の音が聞こえてくる。


(もしかして、さっきの人?)


 息が続く限り、ひとつの音をずっと吹き続けるロングトーン。一音ずつ音階を変え、高い音から低い音へと移行していく。

 いつの間にか私の涙は止まり、足は自然と音のするほうへと向かっていた。


 笛の音が、ピタリと止まる。


 横笛を唇に当てたまま、さっき声を掛けてくれた男性が、訝しげな視線を私に向けていた。

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