6-3

 神殿の内部は奥行きがあり、広い廊下の両側には、重厚な扉が並んでいた。

「貴方が私の結界を破って入ってきたとき、私は最初、私を断罪しに来たのかしらと思ったわ」

 貴方の目を見て、そうではないと分かったけれど。

「……断罪……」

「私がここでしていることを、聞いて来たのでしょう」

「……この神殿を訪れた者に、永遠の安楽を与えている、と」

「ええ」

 巫女はうなずいた。

「誰にでも与えているわけではありません。ここに迎え入れるのは、一月ひとつきのうち、上弦の月が昇る日から天満月あまみつつきの夜の前日までの期間だけ。それも五人までと決めています。そして、結界を通すかどうかも、ひとりずつ、私が判断しています」

 結界の前に立った人間は私の部屋にある水晶に映るよう、魔法をほどこしてありますから。

「それは、どんな基準で……?」

「死を望んでいるというの中には、本当は誰かに止めてほしがっている、誰かに生かしてもらいたいと心の奥底では願っている仔も、少なからずいます。……長年の経験から、それは一目で分かるようになりました。そういった仔たちは、私は、結界を通しません」

 それに……と、巫女は歩調も表情も変えず、淡々と続けた。

「ここへ迎え入れた仔たちは、これから向かう客室で、天満月あまみつつきの夜まで、衣食住を保障された生活を送ります。それで気持ちが変わって、ふもとに戻っていく仔もいます。そして、天満月の夜を迎えたとき、私は、最後の選択を用意します」

「最後の選択」

「眠り薬を入れたさかずきを渡します。それを飲むかどうかは、その仔次第。飲まずに朝を迎えれば、そのままここから麓へ送り出します。その場合、その仔が再び私を求めたとしても、私は、二度と、結界を通しません。そして……薬を飲んで眠りについた仔には、私は魔法を施します」

「どんな魔法を……?」

「何も特殊な魔法ではありません。ただ眠らせる魔法を、その仔の命が終わるまで、かけ続けるだけです」

 人の体は、水の供給を断たれれば、早ければ三日、長くても五日ほどで、脱水により死に至る。今、この神殿に、巫女たちしかいないのは、先の天満月の夜に眠りについた者たちは全員、死に絶えた後だからだ。

 そして、あと十日ほどで、次の上弦の月の日を迎えれば、また新たな者たちが、ここを訪れる。

ゆるされることではないとは、思っているわ」

 でも、望まれたことなの。

「先代から役目を引き継いで、もう五十年になるわ。ルネは私の後継よ。私の代で終わりにするつもりだったのだけれど、先月、彼女のほうから私を訪ねてきて、あとを継ぎたいと願い出てくれたの……これも運命かしらね」

 巫女は振り返らなかった。ただ、ふっと、視線を落とす気配がした。

「私のことが、赦せないでしょう」

 呟くような、弱い声音だった。

 兄は、静かに返答する。

「赦せないと、感情で貴女を非難するのは、容易たやすい……ですが、貴女を断罪できるのは、死を望んだ者を、貴女の代わりに救い生かした者か、あるいは――」

 兄の言葉は、途中で切れた。突き当たりの扉の前に着いていた。

 扉を開くと、さらに廊下が続いていて、けれど、これまでと違い、それは狭く、片側は窓で、扉も小さな木のドアだった。

「ここが客室のエリアよ」

 巫女は言った。全部で五室ある。天満月あまみつつきの夜を待つ者たちが過ごす部屋だ。兄とリュカは、一番手前の部屋に通された。古びた木のベッドとテーブルがあるだけの簡素な部屋だったが、ほこりはなく、ベッドには綺麗にシーツが敷かれ、清潔に整えられていた。

「夕食の用意ができたら、持ってくるわね。さっきの応接間の隣が私の部屋だから、何か必要なものがあったら呼んで頂戴」

 そう言い添えて、巫女は、にこりと笑い、そして、ふと慈しみの色をたたえた瞳で、兄を見つめた。

「貴方は、私を非難しないのではなく、できないのね」

 貴方が抱える絶望に、関係しているのかしら。

「生かすべき者を死なせるのが罪なら、死なせるべき者を生かすのもまた、罪といえるでしょうからね」



 運ばれてきた夕食は、パンとスープに、魚のソテーだった。豪華でこそないが、決して粗末ではない。

 この神殿は、寄付で維持されているのだという。《揺籠ゆりかごの巫女》を求める者には、富める者も多くいて、彼らがここを訪れる際、多額の寄付をたずさえてくることも少なからずあるらしい。巫女から寄付をつのったことは一度もないのだと、巫女は話していた。

『兄さん、それ、食べて平気? 毒とか入ってない?』

 リュカがフンフンと鼻を鳴らす。兄は笑って、スープを飲んだ。

「大抵の毒は分かる。この食事に、毒は入っていないよ」

 お前の干し肉も毒味しようか、と兄はリュカのトレイに、ひょいと手を伸ばす。

 リュカは慌てて干し肉にかじりついた。毒味なんて、兄にさせてたまるものか。

 そもそも……と、リュカは不思議に思う。狼の姿になって、人の言葉を話せずにいるのに、兄は、どうして、リュカの言いたいことが分かるのだろう。獣の言葉が分かる魔法なんて、ないはずなのに。

 じっと兄を見つめると、兄は、ああ、と笑みの形に目を細めた。

「お前の言いたいことなら、何となく分かるんだ。お前が生まれたときから、俺はお前の兄だから」

 ずっと一緒に生きてきたのだから。

 兄は、さらりと笑った。至極当然のように。

 それなら……とリュカは悔しく思う。

 リュカだって、生まれたときから兄の弟なのだ。それなのに、自分には、兄が何を考えているのか、ちっとも分からない。

『それで、兄さん、どうするの?』

 ここを、このままにはしておけない。

「そうだな。……あの《揺籠の巫女》の後継だという、ルネさんと話をしてみようと思う」

 少し気になることがあるんだ。

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