6-2

 王都をって十一日。兄とリュカは、《ひつぎの神殿》があるという山の中を進んでいた。濃い霧と、生い茂った木々に覆われ、昼間でも薄暗い。

「リュカ」

 ふと、兄が足を止めた。

「結界だ」

 兄の言葉に、リュカは目を凝らして周囲を見る。けれど、目の前に広がる風景に、不自然なところは見当たらない。さっきまでと何も変わらない森の景色が、ずっと先まで続いているように見える。

 けれど兄は、まるでそこに壁があるように、すっと手をかざした。瞬間、目の前の景色に光のひびが走り、鏡が割れるように砕けて消え、新たな風景が広がった。霧が立ち込め、鬱蒼と木が茂っているのは変わらないが、下草は刈られ、平たい石が敷き詰められ、整った道が伸びている。セヴランが言っていた、山に分け入ってもふもとの入り口に戻ってしまうというのは、この結界のせいだろう。

「行こう、リュカ」

 再び歩き出した兄の隣に、リュカは、ぴたりとついていく。何かあれば、いつでも兄を守れるように。

 所々こけした、古い石畳だった。緩やかに弧を描くその道を進むと、やがて、開けた場所に出た。

「ここか……」

 小さな神殿が、森の中にたたずんでいた。純白の大理石で造られていて、古いがよく磨かれて美しい。今は昼間だが、夜になって月明かりに照らされれば、どれほど神々しく映るだろう。

 静かだった。人の声は、ひとつも聞こえない。周囲を見回しながら、兄が一歩、神殿に続く階段に足をかけたとき、

『っ! 兄さん! 伏せて!』

 リュカが吠え、兄を制止する。兄が足を止めた瞬間、兄の頭上を、光の矢が掠めていった。攻撃魔法だった。リュカが即座に身をひるがえし、兄をかばって前に立つ。

「……巫女様の結界を破って入ってくるなんて……」

 神殿の奥から、若い女性の声がした。続いて響く靴音。真白の長衣に身を包んだ女性が一人、階段の上に姿を現した。歳は兄よりも少し上だろうか。小麦色の肌に、明るい緑の瞳。緩い癖のある赤毛を、後ろで長く編んでいる。

「貴方たちは、巫女様に招かれざる者。即刻、立ち去りなさい」

 でなければ……と、女性はこちらを睨みつけ、再び手を掲げた。二撃目が来る――リュカが身構えたとき、

「待ちなさい、ルネ」

 女性の後ろから、別の女性の声が響いた。赤毛の女性と同じ衣装をまとった銀髪の老女が、静かに歩いてくる。

「巫女様」

「ルネ、大丈夫よ。その方に、こちらに対する敵意はないわ」

 そして老女は、階段の上から、兄を見下ろす。凪いだ湖水のように、揺らがない微笑をたたえて。

「私の知らない目的を持って、私を訪ねてきたようね。私の結界を破った魔法使いは、貴方が初めてよ」

 さらり、と長い銀の髪が、真白の衣の上を流れる。階段を下り、老女は兄と目線を合わせた。

「……貴女が《揺籠ゆりかごの巫女》……」

「ええ。そう呼ばれているわ」

 澄んだ琥珀色の瞳を笑みの形に細めて、老女――巫女がうなずく。そして静かに兄を見つめると、ささやくように、声を低めて言った。

「貴方、絶望を知っているわね。私を求めると同じ瞳のかげを宿している」

 巫女の言葉に、兄が僅かに身を固くする。表情には、いささかのさざなみも立てなかったけれど。

 兄さん……?

 完璧に情動を抑えた兄の横顔からは、その心の内を読み取ることができない。

 巫女は続けた。

「でも貴方は、その絶望にあらがおうとしている。私を求める仔とは違う瞳の光をたたえているわ」

 はかない光だけれど。

 そう言って、巫女はいざなうように階段を上がる。

「山の日暮れは早いわ。どうぞ中へ、お入りなさい。今は私とルネしかいないもの。貴方たちの目的を、聞かせていただくわ」



 神殿の一角、応接間らしい部屋に通され、席に着く。応接間といっても、簡素な木のテーブルと長椅子が並んでいるだけで、豪奢な調度品のたぐいは置かれていない。

 ルネが熱い紅茶を運んできて、それぞれのカップに注いでいく。まだ夕方と呼ぶ時間ではないはずだが、神殿を囲む高い木々は、少し陽が落ちただけで光を遮り、部屋の中は薄暗い。

「……それで貴方は、ここがその《起源の地》あるいは《果ての地》かもしれないと思って来たわけね」

「はい。そして、人を異形に変える魔法を解く方法を探しています」

 兄の話を聞いた巫女は、紅茶を一口飲むと、緩く首を横に振る。

「そういうことなら、ここは外れね。ここがそんな場所だなんて、先代からも伝え聞いていないし、そんな魔法は、私も知らないもの」

「……そう、ですか……」

 小さく肩を落とした兄に、巫女は軽く首を傾けて微笑んだ。

「山道を歩いて、お疲れでしょう。今から山を下りても、夜までにふもとへは辿たどり着けません。奥に部屋がありますから、今夜はそこでお休みなさい」

 案内するわ、と巫女が静かに席を立つ。兄は少し複雑な表情を浮かべたものの、お礼を言って、巫女の後に続く。ルネが、ちらりと視線を上げ、兄を見た。けれど、視線に気づいた兄が振り返ると、ルネは、ぱっと顔をそむけ、食器を片付けていった。



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