9-4

「兄さんの魔法で、孤独から救う……?」

 人形をつかむリュカの手の力が、僅かに緩む。

 人形はうなずいた。

『そうだよ。そのために、君たちには絶対に、ここに辿り着いてもらいたかった』

 だから、あの渓谷で、君たちを助けたんだよ。

『僕らはね――』

 人形が言葉を続けようとしたときだった。

 足もとの立方体が、ぐらりと揺れた。いや、足もとだけじゃない。空間全体が、不安定に揺れていく。

『いけない……僕らの魔法がほころび始めた』

 人形の声が張り詰める。リュカも、はっと上を見る。

 天井の立方体に亀裂が走り、砕けた塊が落ちてきた。



* *



「蘇生魔法を、貴方たちに……?」

 クラウスの瞳に、かげが落ちる。

 人形が、一歩、クラウスの前に進んだ。

『そう。でも、君の命をくれって言っているんじゃない。君に願いたいのは、僕らの命を、ひとつにすること』

 そのために、君に、ここまで来てもらった。

『僕らは、ここから動けないから、ベルトランに命じて、君に地図を渡してね……彼は僕らに心酔していたから……伝承していない魔法を教えると言ったら、何でも言うことを聞いてくれたよ。でも、最後に、ベルトランには、してやられたな……まさか、地図に余計な地を書き加えて、君に回り道させるなんてね。しかも、そのうちのひとつは、あの渓谷ときた……ベルトランは、君に、余程、嫉妬していたんだね』

 そして、地図を渡したのは、春先。夏のあいだに北の地を回るルートを取れば、必然的に、この場所は最後になる。

「……師匠が……」

『それだけ君が稀有な魔法使いだってことだよ』

 人形は、くるりと背を向ける。そして、木の幹に、そっと手を当てた。

『君の蘇生魔法は、自分の命を切り取り、弟に移植するというもの……それを応用すれば、他者の命を、別の他者に移植することも、君ならば可能なはずだ』

 僕の命を、僕の片割れに。

『僕らは、互いの寿命を延ばすため、魔法をかけ合って、この木と融合した。でも、この木の樹齢も、そろそろ三千年を超える……ついに枯れ始めたんだ』

 僕らの命は、もうすぐなくなる。

『でも、ふたつの命を、ひとつにすれば、まだ、もう少し、生きられる。弱った魔力も回復できる。僕の命で、僕の片割れは、生きるんだよ』

 だから、お願いだ、クラウス。

 君の蘇生魔法を、僕らに。

「……それは、できません」

 クラウスは目を伏せた。

『どうして……』

 人形が、クラウスを見上げる。

 体の横でこぶしを握り込み、クラウスは答えた。

「私に……兄から弟を、弟から兄を、奪うことは……片方を殺すことは、できないからです」

『違うよ、クラウス』

 人形は、慌てて言った。

『奪うんじゃない。片方を殺すんじゃない。ひとつになるんだ。僕の命は、片割れの中で、生き続けるんだよ』

 クラウスの足もとで、すがるように、人形は言葉を連ねた。

 けれど、クラウスは、首を横に振る。

「……本当に、心から、そう思っているなら……」

 そう、信じて、いるのなら。

「貴方は、どうして、震えているのですか」

 クラウスは、静かにひざまずく。人形に、目線を合わせて。

『……だって……』

 人形の声が、滲む。

『そうあるべき……だもの……魔法を……貪るものではなく、施すものだと、説いてきた……だから……施せる命があるなら、施さないと……』

 でも、どうしてかな。

 与えるべき、とは思うのに、与えたい、とは思えなくて。

 生かしたいのに、生きたくて。

 死なせたくないのに、死にたくなくて。

 自分の命は自分のものだって。

 自分の命は自分で生きたいって。

 心の奥で、そう、願ってしまうんだ。

『クラウス……君は、どうしてみずから、弟に、自分の命の半分をあげられたの……?』

 人形の声が、こぼれ落ちた、瞬間――

 空間全体が、大きく揺らいだ。

 積み重なる立方体が、次々に割れ、崩れていく。壁も、床も、天井も。

『あぁ……時間切れだ……』

 人形が、床に手をつく。

『僕らを守るために作った空間に、押し潰されて僕らは死ぬ……逃げて、クラウス。僕らの魔法は、もう、ここを維持できない』

 君を巻き添えにしてしまう。

『僕が、迷ったからだ……決めていたはずなのに……覚悟していたはずなのに……最後の最後で迷ってしまった……死にたくないと願ってしまった……間に合わなくなったのは、僕のせいだ……』

 人形がうずくまる。

 その背中に、クラウスは、そっと手を置いた。

「死なせません」

 そして、崩れゆく天井を見上げる。

 魔法陣を、展開する。

 人形が、はっと顔を上げた。

『ここを支えるつもり……⁉ ……無理だ! この空間を構成する石には、僕らの魔力が染み込んでいる』

 衝撃も、圧力も、計り知れない。

「……そうですね」

 クラウスが、微かに笑みを浮かべる。

「全ては支えきれなくても、一部を守ることなら、不可能じゃない」

 揺らぐ不安定な床によろけながら、クラウスは木のもとに進む。

「貴方の《目》を、借ります」

 目を閉じ、木の幹にひたいをつけると、クラウスは、魔力を潜り込ませる。空間の中、始祖の《目》で、弟を探す。

「……見つけた」

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