9-2
地図に記された七つめの地――最後の地は、この国の南端の、さらに沖合にある、小さな無人島だった。月に二度、大潮の頃だけ、島に続く道ができる。
兄とリュカが浜辺に着いたのは、ちょうど新月の夕刻。夜の干潮を待って、島に渡った。
島全体が、木で覆われた森のようだった。しかし土は乏しく、大きな白い岩を、うねる木の根が取り巻いている。
森に入ってすぐのところに、結界が張られていた。だが、兄が近づくと、それはひとりでに解け、中へと通した。
「……行こう」
リュカの隣で、兄が唇を引き結ぶ。
星明かりの下を、ふたりで進んだ。
やがて、森の奥に、
「……この石、魔力を帯びている」
兄が注意深く近づいたとき、
「っ、兄さん!」
立方体のひとつが、音もなく奥へと下がり、壁が開いた。そこから、黒い人影が複数、外に出てくる。リュカが剣を抜き、兄を背に
しかし、彼らは剣を抜かなかった。さっと左右に分かれ、
「……どうやら、歓迎されているみたいだな」
兄が薄く笑う。彼らを睨みつけながら、リュカは兄とともに、その巨大な箱の中へと足を踏み入れた。
箱の中は広く、曲がりくねり、迷宮のようだった。外の光が届かないのに明るいのは、空間を構成する石自体が淡く発光しているからだ。
しばらく奥へ進んだとき、突如、横の壁が動いた。リュカと兄を隔てるように。
「兄さん……っ!」
続いて足もとの床も動き、思わず膝をつく。
互いに伸ばした手は届かず、たちまち石の壁に遮られた。
ふたりを乗せた立方体は、それぞれ別の方向へ進んでいく。
立体的なパズルのような空間。上下左右に、摩擦音もなく、瞬時に組み変わり、兄とリュカを引き離していく。
やがて、リュカを乗せた立方体は、床から突き出す巨大な木の根の前で止まった。
舌打ちして、リュカが立ち上がったとき、
『やぁ』
声が、聞こえた。澄んだ少年の声だった。
リュカは振り返る。だが、人の姿はない。
『ここだよ』
再び声が聞こえた。斜め上からだ。リュカは視線を上げる。
小さな木彫りの人形が、二段上の立方体に腰掛け、足を交互に揺らしている。
『あいにく僕は、もう動けないし、人の姿も留めてなくてね。この姿で失礼するよ』
人形が、立方体を一段、ぴょんと飛び降り、リュカと目線を近づける。
「……あんたが、魔法使いの始祖?」
リュカは人形を睨みつける。
『そうだよ。この世界で最初の魔法使い』
歌うような口調で、人形は答えた。
「兄さんは、どこだ? 無事だろうな?」
『安心して。個別に話したいから、ちょっと分かれてもらっただけ。あっちも今、僕の片割れと会っているよ』
片割れ……やっぱり始祖は、双子なのか。
『
人形は肩をすくめた。リュカは、ぐっと、
「当然だろう。あんたが操っていた、あの黒衣の連中……あいつらに、俺は、剣士の仲間を殺されたんだ」
『それについては、申し訳ないことをしたなって、思っているよ。君の前に、こうして僕が現れたのは、それを謝りたかったからっていうのもあるんだ。……でも、仕方がなかったんだよ』
君を探していたら、君の仲間に見つかってしまったのだもの。
「……俺を……?」
リュカは眉根を寄せる。人形は
『君の兄の魔法を確かめたかった。最初の魔法使いである僕らに続いて、歴史上、二人目となる、蘇生魔法を使える人間。しかも、僕らの魔法とは違う、独自に生み出した彼だけの蘇生魔法……それを、彼に、使ってみせてほしかった』
兄が蘇生魔法を使わざるをえない状況を作る。そのために、リュカを襲った。
『素晴らしかったよ。彼の魔法は、僕らの魔法を超えていた。彼の蘇生魔法こそ、僕らが真に求めたものだ。嬉しいよ。千年を超える
人形の言葉を、リュカは最後まで言わせなかった。左手で人形を掴み、壁に叩きつけるように押しつける。
「……兄さんの魔法を……確かめたかっただと……?」
怒りで声が震える。唇が
「ふざけるな! ……そのせいで、兄さんの命は……」
『半分、君のものになった。施されたんだよ。良かったじゃない』
人形は、さらりと言った。
「……なんだと……?」
リュカの腕に、さらに力がこもる。
しかし、人形は平然としたまま、言葉を続けた。
『この世界における魔法が、なぜ使い手自身にかけることができないのか、考えたこと、ある? 魔法の原則が、施すものだからだよ。奪うのではなく、与える……自分のためじゃなく、他者のため……それが魔法の原則なんだ』
どうして、そうなったのか、分かる?
『魔法の根源は、願いだから。欲じゃなく、願いだからだよ』
「……願い……?」
『そう。誰かを想ってかける願いは、独りの欲を
君だって、願っただろう。
皆既月食の夜に。
兄を想って。
強く。
切に。
――兄さんを守って生きられますように。
『君の願いは叶えられた。もっと喜びなよ。与えてもらったのだから。施されたのだから……』
人形の声に、どこか泣きそうな色が滲む。
『……皆、そうだったよ……皆、僕らの魔法を求めた……僕らに願いを叶えてほしいと群がって……僕らは叶え続けたよ……彼らのために魔法を使って……与えて、施して、叶え続けた……』
『でも……誰も僕らに与えなかった…………享受するばかりで、僕らに施すことはなかった…………僕らも望まなかった……願わなかった…………だって、僕らは、一番の魔法使いだったから……ずっと……与える側でいなくちゃいけなかった……施す側でいなくちゃいけなかった……望めなくて、願えなくて……僕ら、ふたりで、摩耗していくしかなかった……』
ふたりなのに、ひとりだった。
『でも……やっと、願えるときが来た……僕らの命も、魔力も、永遠じゃなかった……とうとう衰え始めたんだ。今は、もう、僕らに魔力は、ほとんどない……この空間を維持するだけで、精一杯なくらいだ』
だから、願うことにしたんだよ。君の兄に。
「……兄さんに、願う……?」
何を?
リュカの問いかけに、人形は小首を傾けた。穏やかに、それでいて切なく微笑むように。
『君の兄の魔法で、僕らを、この孤独から救ってもらう。……今、君の兄に、僕の片割れが願い出ているよ』
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