8-5

 洞窟の中を、進んでいく。暗闇の中、壁も床も天井も、《記憶石》の明滅する光に包まれ、まるで星空の只中にいるような感覚になる。

「……《空白の歴史》の経験から、始祖は、物語の収集と保存に執心したの」

「物語?」

「そう。人々が生きた軌跡。存在した証。流れた時間の記録。……あらゆる時代の、あらゆる物語が、ここに集められていく」

 始祖の記憶として。

「始祖は、魔法で《目》と《耳》を、この国中に張り巡らせているの。始祖が見聞きした全てのことが、この場所に、物語として記憶されている」

 貴方の物語も。

「……見ているだけ、なのか……」

 ぽつり、とリュカが、言葉を落とす。

「そんなに凄い魔法使いなら……この国の全てを見て、聞いているなら……もっと沢山の人を救えるはずだろう……なのに、ただ眺めているだけなのか……?」

 リュカは思い出す。《柩の神殿》のことを。そして、旅の途中、出会った人々を、その身を削るほどの魔法で救っていった、兄のことを。

「始祖は、物語に干渉しない。ただ、その結末を、見届けるだけ」

 しばらく歩いたところで、ニナが足を止めた。

「……あったわ。貴方の、あの夜の物語は、これよ」

 斜め上の石壁に、ニナが、そっと手をかざす。

 白い光があふれ、リュカは眩しさに刹那、目を閉じた。

「……ここは……」

 光が止み、目を開けると、見慣れた風景が広がっていた。王都の城。皆既月食ブラッドムーンの夜に警備をしていた城の敷地内だ。

 振り仰げば、夜空には赤い、月食の月。間違いない。あの夜だ。

 視線を下げる。数歩先に、血まみれの自分が転がっていた。

「リュカ!」

 兄の声が聞こえた。振り向くと、兄が蒼白な顔で、こちらに走ってくる。倒れたリュカの傍に膝をつき、悲痛な声でリュカの名を呼ぶ。

「リュカ! リュカ……っ! 待ってろ、今、回復魔法で……!」

 リュカの体に、兄が手をかざす。

 しかし、光は灯らず、魔法陣も展開しない。

 回復魔法が、かからない。

「……魔法が……追いつけない……そんな……っ、戻れ、戻るんだ、リュカ……! 戻ってくれ……いくな……いくな……っ、リュカ……!」

 左手でリュカを抱え、兄は、なおも右手で魔法をかけようとする。

 けれど、どれだけ手をかざしても、ふたりを包むのは、暗闇ばかりで。

 震える指先を、兄は握り込んだ。

「……死ぬな……死ぬな、リュカ……っ! ……死ぬな!」

 両腕で、リュカを抱きしめる。強く、つよく。

 瞬間、ふたりを中心に、地面に光が浮かび上がった。赤く輝く、巨大な魔法陣だった。

「……兄さん……やめて……」

 兄の背中に呼びかける。けれど、目の前に広がる光景は、《記憶石》が見せている過去の映像だ。リュカの声は届かない。止められない。

「兄さん……っ!」

 伸ばしたリュカの手は、兄の体を素通りし、空を切る。

「……死なせない」

 兄がささやく。腕の中のリュカを見つめて、微笑んで。

「俺が死なせない。生きろ、リュカ」

 赤く、あかく、魔法陣が輝き、まばゆい光が、ふたりを包む。

 燃えるような赤に染まる光。しかし、そこに突如、別の色が混じった。深い海のような、青の光。それは、赤の光と絡み合うように、リュカの体を包み込んだ。

 力なくれていたリュカの腕。その指先が、ピクリと動く。閉ざされていた瞳が、薄く開く。

「リュカ……!」

 兄が呼びかける。けれど、リュカは、よく見えていないのか、ぼんやりと視線を彷徨さまよわせて、

「……リュカ……?」

 兄の腕の中で、リュカは苦しげに身をよじった。

 リュカの姿が、狼に、変わっていく。

「……そんな……どうして……」

 愕然とした兄の声がこぼれ落ちる。

 リュカの胸の傷が癒えていく。それに呼応するように、赤と青の光も収束していった。

 傷が完全に消えたときには、リュカの体も、完全に狼の姿に変わっていた。

「っ、リュカ!」

 兄の腕を抜け、リュカは茂みを越えて走っていく。

 あぁ、ここからは、憶えている。体が熱くて、無我夢中で水を求めて、池に飛び込んだ。

「リュカ!」

 リュカを追いかけ、兄の姿も、木々の向こうへ消える。

 映像は、そこで途切れた。

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