8-3
陽の傾き始めた渓谷に、リュカの声がこだまする。
倒れた兄を抱きかかえ、リュカは何度も兄に呼びかけた。けれど、兄の瞳は固く閉ざされ、呼吸も脈も、酷く弱くなっていた。リュカの背中を、冷たい汗が伝う。
とにかく、この渓谷を出なければ。
でも、どっちへ行けば良いのか分からない。
兄を抱き上げ、左右を見回し、リュカが唇を噛んだとき、
『こっちよ!』
頭の上で、声がした。
『こっち! 私についてきて。早く! 私の魔法が解けてしまう前に』
見上げると、一羽の
『急いで!』
金糸雀が飛ぶ。
走って、走って、渓谷を抜ける。
渓谷を離れると、リュカの姿は狼に変わった。抱えていた兄を、今度は背負い、リュカは金糸雀の導くまま、ひたすらに走り続けた。
どうか。
どうか。
兄さんを、助けて。
陽が沈むまで駆け続けると、岬に行き着いた。
足音が、聞こえた。
「よく頑張って走ったわね。もう大丈夫よ」
ひとりの女性が、出迎えた。長いプラチナブロンドを結い上げた髪。エメラルドのように澄んだ
女性は、リュカの背中から、
「魔法よ。私、そこまで力持ちじゃないわ」
リュカを振り返り、女性は、ふふっと笑った。
女性が兄を運んだのは、玄関を入ってすぐ横にある客間だった。
兄をベッドに横たえると、女性は、すぐさま兄の体の上に魔法陣を展開した。
回復魔法だった。
シーツの上で力なく開かれた兄の手に、リュカは目を落とす。手を握りたいのに、狼の体では、それは叶わない。
「……私たち魔法使いはね」
女性が静かに、口を開く。
「魔力と生命力は連動するの。魔力が消費されれば、その負荷によって、生命力も削られる。……普通の魔法使いは、生命力ほどの魔力はない……魔力よりも生命力のほうが多いから、たとえ魔力を使い果たしたとしても、死ぬことはないの」
でも、貴方のお兄さんは、違う。
「稀にいるのよ。生命力以上の魔力を持つ魔法使いが……その魔法使いは、強大な魔法を使うことができる反面、ともすれば生命力を超えた魔法まで使えてしまう。魔力の限界よりも先に、命の限界が来るの」
魔法陣の光が、女性の瞳の
「あの渓谷は、魔力を吸い取るの。大抵の魔法使いは、あの渓谷に足を踏み入れただけで、何の魔法も使えなくなるわ。私も、
だからこそ、命の危機にさらされた。
あのまま、あの渓谷で、魔力を吸い取られ続ければ、魔力よりも先に、兄の命が尽きていた。
床についた手に、リュカは
兄さん……。
「もう大丈夫」
やがて、女性は静かに魔法陣を収め、リュカに向かって微笑みかけた。
蒼白だった兄の顔に血色が戻り、弱まっていた呼吸と脈も回復している。
「あとは目覚めるのを待つだけ」
『っ……! ありがとうございます……本当に……』
言葉で伝えられず、もどかしい。お辞儀をして
「夕食にしましょう。妹が用意してくれているの。貴方は干し肉で良いかしら」
ここへ持ってくるから待っていて。
兄が目覚めるまで傍にいたいというリュカの気持ちを、女性は
女性はニナ、妹はサラという名前だった。サラはリュカと同い年くらいで、姉と同じプラチナブロンドの髪とエメラルドの瞳をしていた。ただ、姉と違って、髪は短く、肩の上で切り揃えている。
「貴方の道案内に使った
可愛いでしょう、とニナがキャビネットの上を示す。
「……鳥が好きなの」
リュカの前に干し肉の入った皿を置きながら、サラは頬を染め、はにかんだ笑みを浮かべた。
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