Chapter 8

8-1

 魔法は、確定した死を覆すことはできない。


――魔法録 第8章



 * * *



 王都をって、五か月が過ぎた。季節は緩やかに晩夏へと舵を切っている。

 ベルトランの地図に記された《起源の地》あるいは《果ての地》たりえる場所は、全部で七か所。そのうちの四か所を、回り終えた。古い遺跡や、既に廃墟となっている場所もあったが、いずれも《起源の地》あるいは《果ての地》と言える場所ではなく、弟にかけられた魔法を解く手掛かりも得られていない。

「あと、三か所……」

 広げた地図を見つめ、クラウスは呟く。残り少なくなるほどに、次こそは……という期待が大きくなると同時に、もし全ての地を回っても手掛かりが得られなかったら……という不安も大きくなってくる。

 弟を人の姿に戻す鍵は、この世界のどこかに必ずあるはずなのに、辿たどり着けない。

 もどかしさと焦りが、足もとからい上がってくる。

 振り切るように、クラウスは歩調を速めた。

 これから向かう二か所は、場所が近い。とにかく今は、足を動かそう。この先の渓谷へ急ごう。

 地図に示された五つめの地は、周りの集落の人々が《死の渓谷》と恐れて近寄らない、深く険しい大渓谷だった。魔獣が棲んでいるといううわさもあり、そこへ行った者は二度と帰らないという。

 どんな場所なのだろう……無意識にうつむき、胸もとで手を握りしめたクラウスに、かたわらを歩くリュカが、クウと鼻を鳴らした。クラウスが顔を上げる。リュカを振り返り、小さく笑みを浮かべて、

「そうだな。お前が一緒だから、心強いよ」

 ありがとう。そううなずいて、クラウスは、再び前を見据える。

 森を抜けると、急に視界が開けた。切り立つ巨大な岸壁が、大地を分断している。

「ここか……」

 そっと、下をのぞいてみる。霧が立ち込め、よく見えない。しばらく歩いて、下りられそうな場所を探したが、見つからない。

『兄さん、あそこに、橋がある』

 リュカが吠え、鼻先で示す。少し先に、古びた吊り橋が架かっていた。

「対岸へ行ってみようか」

 吊り橋のたもとで、橋を確認する。かなり古く、いたんでいて、このまま渡るのは危険だった。

「魔法で補強しよう」

 橋に手をかざす。淡い光が橋を包み、光の道を作った。

「よし、これなら大丈夫だ」

 吊り橋に足をかける。所々、板が落ち、穴が開いている。一歩ずつ、クラウスは足もとに気をつけながら進んだ。クラウスの後ろに、リュカも続く。

 長い吊り橋の、半分まで進んだときだった。

「……えっ……?」

 橋を包んでいた光が、ふっとき消えた。ぎしり、と橋が大きくきしむ。その先の一歩を、踏み出す前に――

 クラウスとリュカの、ちょうどあいだで、吊り橋の縄が、断末魔の悲鳴のような音を立てて、切れた。

『兄さん!』

「リュカ!」

 吊り橋が崩落する。クラウスが咄嗟とっさに縄にしがみついた瞬間、足を乗せていた板が外れる。縄が大きくしなり、岸壁がせまる。左手で縄をつかみながら、クラウスは右手を岸壁に向ける。防御魔法は、自身には使えない。攻撃魔法を放ち、その反動で、衝撃を相殺する。岸壁に叩きつけられるのを、かろうじて防いだ。だが、クラウスを支える縄も、いつ千切れるか知れない。左右を見回し、なんとか掴めそうな岩を見つけ、手を伸ばす。宙吊りになった足先で、僅かな足場を探して乗せた。縄から岸壁へ、ゆっくりと移動する。

「リュカ! 大丈夫か⁉」

 霧の向こうへ呼びかける。自分の声の反響に重なって、対岸から、リュカの声が聞こえた。良かった、無事だ。

 とにかく、下りるしかない。クラウスは唇を引き結ぶと、慎重に、岸壁を下りていった。

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