7-3

 村を囲む柵に結わえられた結界石に、順番に魔力を充填して回る。

 村長は兄に、今夜は村に泊まり、明日の朝になってから結界石に魔力を充填してくれれば良いと言ってくれたけれど、今夜のうちに済ませることにさせてもらった。ならばせめて護衛にと、村長の側近が数名、同行を申し出てくれたけれど、それも兄は丁重に断っていた。リュカも胸の内でうなずく。昼間のような獣が出たら、正直、彼らでは足手まといになってしまう。彼らを守りながら戦うほうが危険だ。それに何より、今夜は新月。狼から人の姿に戻るのを、彼らに見られるのは避けたい。

 それでも隠れてついてきそうな様子だった村の少年に、兄は、にこりと笑って言った。

――大丈夫だよ。には頼れる相棒がいるから。

 それは、童話に出てくる勇者の台詞をそらんじたもので、少年は目を輝かせてうなずいた。

 村の少年が兄とリュカに重ねているのは、この国では有名な童話のひとつだ。リュカも、アカデミー時代に読んだことがある。ひとりの勇者が、相棒の狼と一緒に、魔王を倒すべく旅をする物語だ。リュカも幼心に勇者やその相棒である狼の強さに憧れた記憶はある。しかし、まさか今、自分が狼の姿になって、魔法士である兄と一緒に旅をすることになるとは思わなかったけれど。

「子どもの夢を守るのも大切だからね」

 勇者ではなく魔法士だし、旅の目的も魔王を倒すためではないけれど。

「そうだね……この姿を見られても困るし」

 兄の隣で、リュカは肩をすくめた。陽が落ちて、辺りは宵闇の中にある。魔力の充填が完了した結界石が、淡く発光し、人に戻ったリュカの姿を照らし出す。

 結界石は、それを並べて囲った内側に結界を張ることができ、獣だけはじくように設定したりと便利だが、結界石ひとつあたりに有効な距離があり、結界を張りたい範囲が広いほど、多くの結界石が必要になる。それが村ひとつとなると、かなりの量で、充填の作業を半分ほど終えた頃には、夜もすっかりけていた。

 初夏の夜は短い。急ごう、と兄が次の結界石の場所へ足を速めたとき――

 背後の茂みが、大きく揺れた。

 リュカと兄が身構えるのと、獣が姿を現すのは同時だった。鎧狼アーマーウルフ――鎧のように頑丈な皮膚を持つ巨大な狼――が、大きく口を開け躍りかかる。リュカは咄嗟とっさに兄を抱きかかえると、真横に避けた。肉薄する獣の気配に、肌がさざめく。刹那、リュカの体が光に包まれ、背中で獣の牙がはじかれる音がした。兄がリュカにかけた防御魔法だった。

「ありがとう、兄さん」

「俺のほうこそ」

 勢いで倒れ込むのを何とかこらえ、リュカは兄を、そっと放す。そして素早く剣を構えると、兄を背にかばい、獣に向き直った。

「よりにもよって、狼とはね」

 リュカは口の端に苦笑を浮かべる。鎧狼アーマーウルフは、低くうなりながら、こちらの様子をうかがっていた。

「リュカ」

 背中で、兄の硬い声がする。リュカの前に出ようとした兄を、リュカは留めた。

「下がって、兄さん」

 振り返らないまま、リュカは言った。

「兄さんの専門は回復魔法だ。攻撃魔法じゃない」

 もちろん、兄の攻撃魔法が十分に強いことは知っている。

 けれど、ここは譲れない。

 守らせてほしい。

 攻撃なら、剣士の本領発揮だ。

「だからって、お前ひとりで戦うなんて――」

「ひとりじゃないよ」

 獣を見据え、剣を構え直し、リュカは言った。

「考えがあるんだ」

「考え?」

 兄の問いかけに、リュカはうなずく。自分の力を、過信はしない。この獣の強さは、さっき襲いかかられたときにうかがえた。戦って、無傷ではいられないだろう。

 だからこそ、兄を前に出すわけにはいかない。戦わせるわけにはいかない。

 魔法は、その魔法を使う者自身にかけることはできないから。兄が傷を負えば、兄は回復魔法で自身を癒すことができない。

 そして、魔法による防御は、物理による攻撃に拮抗する。それは、剣士のアカデミーでも習う、この世界における魔法のことわりのひとつだ。防御魔法は、結界魔法の応用で、その魔法をかける対象を、内外ともに一切の干渉から遮断する。だから、剣士に防御魔法をかければ、その剣士の攻撃まで無効化されてしまう。

 だから、戦闘において、魔法士が剣士に施せる魔法は、ひとつだけ。

「俺に回復魔法をかけ続けて。俺が、あいつに勝てるまで」

「っ、リュカ⁉」

 獣が吠える。大きく跳躍し、リュカに飛びかかる。リュカも地面を蹴った。獣の鋭い爪が、リュカを狙う。素早く身をひるがえし、リュカはかわす。周囲の木を利用して、軽やかに跳び、獣の首に、まずは一閃。けれど、鎧の皮膚は硬く、狙ったより傷は浅い。リュカが舌打ちする。獣が咆哮ほうこうする。獣の牙の先が、リュカの左腕を捉えた。血飛沫しぶきが上がる。リュカの名を呼ぶ兄の声が響いた。切り裂かれたリュカの腕が、瞬時に治癒する。さすが兄さん、とリュカは不敵な笑みを浮かべる。回復魔法で、兄の右に出る魔法使いは、そういない。致命傷さえ負わなければ、いくらでも剣を振るえる。獣の攻撃を避けた勢いのまま、リュカは獣の胸を斬りつける。たとえ鎧の皮膚だろうと、全く斬れないわけじゃない。何度も斬りつければ、十分、有効なダメージを与えられる。

「俺たち、ふたりで戦えば、無敵だよ、兄さん」

 薄く笑い、リュカは剣を振るい続ける。獣の牙や爪を受け、体から血が流れるのも構わずに。兄がいれば怖くない。足を飛ばされようと、腹を裂かれようと、兄が魔法で治してくれる。

 やがて、リュカにはかなわないと悟ったのか、手負いの獣は森の奥へと逃げ戻っていった。

 息をつき、リュカは剣を収める。そして笑顔で、兄を振り返った。

「ごめん、兄さんに、魔法を使わせて……」

 でも、おかげで勝てたよ。

「……リュカ」

 兄が、リュカのほうへと歩いてくる。表情も声も、変わらず穏やかだった。だが、瞳には、静かな怒りが燃えていた。悲しげな怒りにも見えた。

「今のような戦い方は、二度としないでくれ」

 兄の指先が、リュカの頬を、そっと撫でる。光が灯り、最後のかすり傷が癒された。

 きびすを返した兄を追いかける。

 兄が、なぜ怒っているのか、なぜ悲しんでいるのか、リュカには分からない。

 ただ、自分が戦うことで兄を守ることができて良かったと、それだけを思った。

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