Chapter 2

2-1

 魔力は、遺伝しない。

 血統に依らず、その個体に固有のものとして、自然発生する。


――魔法録 第2章



 * * *



 王都は、智と富の中枢とうたわれている。多種多様なアカデミーやギルドが存在し、各分野の専門家たちは手厚い育成と保護を受け、その高い技術や知識を以て、国家に貢献することが期待された。以前は、厳格であった身分制度により、貴族のみで占められていたアカデミーやギルドであったが、数代前の国王が、身分に関係なく優れた人材を育成することが優れた国家を発展させるのだという理念を掲げて以来、それは後代に受け継がれ、特に若くして王位に就いた当代の国王は、庶民の中から積極的に有望な人材を発掘することに力を注ぎ、教育や市政の門戸は広く開かれ、身分制度は徐々に形骸化が進んでいた。

 中でも、現国王が、国を支える二強の柱と定め育成に力を入れたのが、魔法士と剣士だった。富国強兵の号令の下に、魔法士と剣士のアカデミーは、急速に裾野を広げていった。だが、アカデミーに入学できても、全員が、そのまま魔法士や剣士になれるわけではない。母体が大きくなれば、それだけ競争も激しくなる。厳しい卒業試験に合格し、公的に魔法士や剣士と認められた者たちは、人々の尊敬と羨望の的になった。

 陽の落ち始めた晩夏の放課後。剣士のアカデミーの初等部。演習場の隅で、自主練習をしていたリュカは、四人のクラスメイトの少年たちに呼び止められた。正確には、呼び止めたのは一人で、あとの三人は、その取り巻きだった。

「お前、生意気なんだよ」

 胸をらし、少年はリュカを上から睨みつける。ブロンドの巻き毛に、ヘーゼルの瞳。昼間の剣術演習の授業で行われた一対一の模擬戦で、リュカが圧勝した相手だった。顔は分かるが、名前は憶えていない。体が大きく、リュカは見上げる格好になる。

「分をわきまえろって言っているんだ」

 取り巻きの一人が重ねて言う。それを皮切りに、彼らは次々に口を開いた。

「この王立アカデミーは、元々僕たち貴族の子息のための学び舎だったんだ。お前みたいな乞食こじきが入れるところじゃないんだよ」

「そうだ。ユーゴ様は子爵の令息なんだぞ。剣術演習では、ユーゴ様を立てるのが礼儀だろう」

 ユーゴ。それが彼の名前なのか。リュカは静かに相手を見据え、彼らが言い終えるのを待って、言葉を返した。

「それは、古い考え方だろう」

 彼らの眉間が、ピクリと動く。リュカは続けた。

「これからは、生まれ持った身分じゃなく、才ある者が上に立つ、実力主義の時代だって、騎士団長もおっしゃっていた。騎士の称号は、身分に関係なく与えられるものだって」

 それに……とリュカは続ける。彼らを軽く睨み返して。

「俺は、剣の才を見出されて、ここに入った。だから、貴族というだけでここにいられる連中に負けたら、俺は、ここにいられる理由を失ってしまう」

 だから、必死に努力して、剣の腕を上げた。今だって、こうして放課後にひとり残って鍛錬をしている。このアカデミーにいるために。少しでも、兄に近い場所にいるために。

「これ以上、話すことはないと思う。練習の続きをしたいから、帰ってくれないか」

 そう言って、リュカは、ぷいと彼らに背を向ける。

「……本当に生意気だ」

 ユーゴが低く呟く声が、耳をかすめる。リュカは胸中で嘆息した。取り巻きの三人が素早くリュカを取り囲む。木剣を握る手に、リュカは力を込めた。

「喧嘩なら、押し売りされても買わないよ」

「喧嘩じゃないさ」

 制裁だよ。

 ユーゴの声を合図に、三人が一斉にリュカに掴みかかる。右手の木剣を、リュカは引いた。反撃は、できない。彼らに怪我を負わせたら、面倒なことになるのは目に見えている。ならば、避けるしかない。四対一、だけれど、彼らの力量は知っている。大丈夫だ。不可能じゃない。軽くステップを踏み、リュカは彼らの腕をかわす。一人が舌打ちして、大きくこぶしを振り被った。大雑把で読みやすい動きだ。リュカが難なくけると、勢い余った彼は、バランスを崩して転びかける。続いて両側から腕。身を屈めて掻いくぐる。彼らが仕掛け、リュカはひたすらに避けていく。

 やがて、彼らの息が、次第に上がり始めた。

 このまま諦めてくれないだろうか、とリュカは思う。あるいは、頃合いを見て、逃げるしかないだろうか、と。

 だが、

「……っ!」

 刹那、リュカの足に、草のつるが巻きついた。すぐ側の茂みから伸びた蔓だった。それは、たちまちリュカの体をい上がり、リュカの動きを封じる。避けきれなくなった彼らの腕が、リュカを拘束し、リュカを地面に押さえつけた。

「……魔法か」

「そうだよ」

 ユーゴが笑う。勝ち誇ったように、リュカを見下ろして。

「僕には少し、魔法の心得があってね」

 ユーゴの笑みには、こころなしか仄暗さが滲んでいた。

「……魔力があるのに、魔法士のアカデミーに入らなかったのか」

 それとも、魔力が弱すぎて入れなかったのか。

「っ! 黙れ!」

 ユーゴがリュカの頭を踏みつける。砂利が頬に食い込み、リュカは顔をしかめた。

「入れなかったんじゃない。入らなかったんだ。僕がなりたいのは剣士だからな。魔法士なんて、なるものか」

 そう吐き捨てたユーゴに、リュカは横目で、視線を上げる。

「……そうか。それは羨ましいな」

「羨ましい?」

 ユーゴの片眉が上がる。リュカはうなずいた。

「お前は、魔法士を目指せる魔力があるのに、剣士になりたいから、こっちのアカデミーを選んだんだろ? 選べて羨ましいよ。俺は魔力がないから、選べなかった。魔法士になりたくても、剣士を目指すしかなかったんだ」

 淡々と静かに、リュカは言った。ユーゴが、ぎりりと唇を噛む。リュカを踏みつけている足が微かに震えていた。そんなユーゴを見て、リュカは冷ややかに続けた。

「お前が、本当に、自分が望んで剣士のアカデミーに来たのなら、俺なんかに構っていないで、自分の鍛錬に励んだらどうだ」

「っ、うるさい!」

 ユーゴがリュカの脇腹を蹴りつける。続いて胸も。背中も。何度も。三人がかりで押さえつけられているリュカは動けない。まともに食らい、込み上げる痛みに、こらえきれずに咳き込む。

「……そういえば、聞いたよ」

 ひとしきりリュカを蹴り続け、荒い息を吐きながら、ユーゴが言った。

「お前、魔法士のアカデミーの中等部に、兄貴がいるんだって?」

 リュカを押さえていた腕は、いつの間にか外れていた。けれど、蹴られた痛みと吐き気で体を起こせず、声を出すこともできない。

「どんな奴なのか見てみたけど、本当に兄弟なのかよ。目の色、全然、違うじゃないか。しかも、お前には、魔力が欠片もないんだって? 兄弟なんて、嘘だろう。お前がそう思い込んでいるだけか、魔法で思い込まされているだけなんじゃないか」

 魔法使いなんて、どんな邪悪な魔法をかけてくるか、知れたものじゃないからな。

 そう言って、ユーゴはおもむろに腰を落とすと、リュカの髪を掴み、無理やりに顔を上向かせた。ゆがんだ笑みに細められたユーゴの瞳と、苦しげに閉ざしかけたリュカの瞳が、かち合う。

「僕たちにやられたって、教員に言いつけてごらん。誰も僕たちを罰したりしないから。君は権力の差ってものを、少しは思い知ると良いよ」

 ユーゴが立ち上がる。せせら笑いながら、背を向ける。遠ざかる足音。

 静寂が、戻って来る。

 リュカは、しばらく、その場に横たわったままでいた。体中が、じんじんと鈍く痛んでいた。けれど、少し経つと、なんとか動けるまでに痛みは引いた。吐き気も落ち着いてきている。良かった……骨や内臓は大丈夫そうだ。投げ出していた腕を、そろそろと引き寄せ、リュカは、ころんと仰向けになる。

 暮れなずむ空に、夏の終わりの星座が、あえかに瞬いていた。

「……ふはっ」

 笑みが、こぼれた。

 可笑しい。なんて、可笑しいんだ。

 あいつらは、何も分かっていない。自分たちが兄弟であることを疑うなんて。

 疑わせようとするなんて。

「ははっ……はっ……」

 仮に、彼の言うように、自分が兄と兄弟だと思い込んでいるとして、あるいは、そう思い込まされているとして、それが何だというのだろう。たとえ、兄と生きた記憶が偽物だろうと、それが自分にとってかけがえのない宝ものであることに変わりはない。兄が与えてくれたものなら、硝子玉だって、自分にとってはどんな宝石よりも価値がある。兄を兄と信じていること、兄と兄弟だと信じていること、自分には心から信じられる兄がいるのだと思えること、それ自体が、幸せなのに。

「……信じさせてくれて、ありがとう、兄さん……」

 そっと呟いて、ゆっくりと体を起こす。血と砂で汚れた体を引きずって、演習場のシャワールームへと歩いていく。

 リュカに兄の存在について問うことは、敬虔な聖職者に神の存在について問うことに等しかった。

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