1-4

 役人の男は、ガスパルと名乗った。馬車の中で向かい合って座り、ガスパルは、笑みの形に目を細める。

「そう警戒しないでくれ。君たちを保護すると言った言葉に嘘はない。悪いようにはしないから、安心しなさい」

 クラウスも、リュカも、互いに手を繋ぎ合ったまま、きゅっと唇を引き結んでいた。

 この男を信用してついてきたわけではない。彼が本物の役人なのか、連れて行かれる先が本当に王都なのかも、確証がない。ただ、ふたりで生き延びるという一点において、彼についていく以外に道はなかった。あの街に自分たちの居場所はもうない。あの街で生きていくすべは絶たれてしまった。ならば、確定した絶望より、未確定の希望を選ぼう。そして今、ここにいる。それだけのこと。

「……人に魔法を使うのに、免許がいるとは知りませんでした」

 ごめんなさい、とクラウスはガスパルに頭を下げた。それが罪で、罰があるなら受けなければ、と。

「あぁ、そのことなら、気にしなくて良い」

 ガスパルは、何でもないように、さらりと言った。

「え……?」

 クラウスは顔を上げる。ガスパルは微笑んだままうなずいた。

「確かに、魔法使いが業として人に魔法を施すにあたっての免許は存在する。だが、そのことで罪に問われるのは、免許がないのに、あるといつわって、魔法使いがみずから対価を要求してあきなった場合だ。君は免許があると偽ってもいないし、君から対価を求めたこともないという。君が受け取っていたものも、その魔法に到底見合わない瑣末さまつなものだ。それならば、ただの善意で、罪には問われないよ」

「……そう……ですか……」

 クラウスは、そっと息を吐く。

「……貴方も、魔法使いなのですね」

 ふと、クラウスは視線を上げて言った。ガスパルは驚いたように目を見開いた。

「私の魔力を感じ取ったのかい? 凄いな、君は。魔力を隠すスキルなら、私は、自信があったのだよ」

 クラウスが自分以外の魔力を感じたのは初めてだった。今までクラウスの周りに魔法使いは一人もいなかったからだ。

「私は、魔法を使うのは、あまり得意ではなくてね。代わりにと言っては何だが、魔力を探知する能力に長けている。それで、こうして各地を巡り、魔力を辿たどって、君のような有望な魔法使いを見つけて保護する仕事に就いているんだ」

 ガスパルの言葉に、隣でリュカがうつむいたのに気がついて、クラウスは振り向く。

 リュカは少しねたように視線を外していた。どこか悔しそうに、寂しそうに。

「リュカ」

 クラウスは微笑む。

「魔力がなくても、リュカなら、俺は、どこにいたって見つけられるよ」

 俺が、お前を、見つけてみせるよ。

「っ、俺だって……!」

 クラウスを見つめ返し、リュカは言った。

「魔力なんか辿れなくても、兄さんを絶対、見つけるし、そもそも、見失うつもりないから」

 そして再び、ぷいと、そっぽを向く。頬と耳を赤くして。

「ははっ、面白い兄弟だ」

 ガスパルは破顔して、足を組み直す。

「ところで、君は、どこで魔法を習ったんだい?」

 どんなに強い魔力を持っていても、使い方を知らなければ、魔法は使えない。翼を持っていても、飛び方を知らなければ、鳥は飛べないように。

 ガスパルの問いかけに、クラウスは首を横に振る。

「習ってはいません。本を読んだだけです」

「本?」

「はい。ごみ捨て場を漁っていたときに、偶然、古い魔導書を見つけて……文字はあまり読めないので、詠唱を必要とする魔法は難しかったのですが、それ以外は、図解も多かったので、大体理解できたんです」

「……独学だと……? 回復魔法も、か……? あれは、人体の構造を理解しなければ使えないはずだが……」

「はい……人体の解剖図も、その本に載っていたので……」

「……王立魔法院の教員が聞いたら、にわかには信じ難いだろうな」

 ガスパルは舌を巻いた。いくら魔法がイメージや思いの強さにるところが大きいとはいえ、ろくに文字を読めない子どもが回復魔法を使うとは……。

「……とんだ逸材がいたものだ」

 ガスパルは組んでいた足を下ろし、膝に両腕を乗せて屈むと、クラウスに目線を合わせた。

「これから、存分に学ぶと良い。我々が、君に最高の環境を提供しよう」

 隣の君も、とガスパルはリュカに視線を移す。

「君は剣士の素質がありそうだ。私は相手の才を見抜くのも得意でね。いやはや、兄弟揃って楽しみだ」

 ガスパルは満足そうに笑った。こんな東の辺境まで来た甲斐かいがあった、と。

「いくつか街で宿を取りながら、王都へ向かう。次の街まで、まだ距離があるから、少し眠ると良い」

 そう言われても、緊張の糸は簡単には解けなかった。けれど、夜はけ、馬車の座席は柔らかく、車内は暖かく、やがてクラウスとリュカは、互いに手を繋いで身を寄せ合ったまま、ふたり静かに目を閉じた。

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