1-3

 王都の役人を名乗る男が訪ねてきたのは、凍える冬の日、雪の降る夜だった。

「君が、クラウスかい?」

 扉を開けたクラウスに、男は柔和な笑みを浮かべた。けれど瞳にたたえた光は鋭く、クラウスを冷静に見定めているようにも見えた。上質な黒の外套に身を包んでいる。身なりの良い初老の男だった。路地の先で、微かに馬のいななく声がして、馭者の姿がちらりと見えた。若い女性の馭者だった。

「単刀直入にこう。この街で、無免許で人々に魔法を施している子どもがいるというのは、君のことだね?」

「……はい」

「そうか。正直で良い。早速だが、私と一緒に来てもらおう」

「っ、待ってください……!」

 男の前に、小さな影が立った。クラウスをかばうように。

「リュカ……」

「ふうん、君は彼の弟か。なかなか良いまなざしをしている」

 男が興味深げに目をすがめた。

「安心しなさい。私は捕らえに来たのではないよ。保護しに来たんだ」

「……保護……?」

 クラウスは眉根を寄せる。男はうなずいた。

「魔法使いは、この国にとって希少にして貴重なんだ。一人たりとも無下にはできない。だから、一定以上の魔力を持つ子どもを、国を挙げて保護している。それに、自覚があるかどうかは知らないが、君の魔力は凄まじい。表通りからでもここまで余裕で辿たどれるほどだ。今後は、魔力を探知されないよう抑える方法も学ぶと良い。ここは街中だから心配は少ないだろうが、魔力に惹かれた魔獣を寄せてしまうこともあるし……魔力のひずみを生んでしまう可能性もある」

「魔力のひずみ……?」

「ああ。魔法は、世界のことわりに少なからず負荷をかける。空を飛べないものを空に浮かべたり、自然治癒なら数か月かかる怪我を一瞬で治したり……それは、世界にとって、本来なら不可能なことを、魔力によって無理やり可能にしている状態だ。だから、全ての魔法は、世界の理の忍容性のもとでのみ発動するようになっている。世界の理が許容できる範囲を超えた魔法は使えないんだ。何もないところから鳩を出したり、帽子を兎に変えたりはできないようにね」

 そして、使う魔力が強ければ、それだけ、世界にかかる負荷も大きくなる。

「強すぎる魔力によって、世界の理がじ曲がること……それが、魔力のひずみだ。魔法は、魔力のバランスが正しく保たれてこそ、正しく発動する。魔力のバランスが崩れれば、思わぬ災厄をもたらすこともあるんだ」

 強い魔力を持つ魔法使いは、常にそのことを念頭に置いて、一度に開放する魔力を抑えながら魔法を使わなければいけないんだよ。

「なに、訓練すれば、魔力を抑えるのはそう難しいことではないよ」

 男は穏やかな口調でそう言って、緩やかにまなじりを下げた。

「……弟も?」

「うん?」

「弟も、一緒ですか?」

「ああ。もちろんだ。ふたり一緒に保護する。片方だけここに棄てていくなんて、無慈悲なことはしないさ」

 男の言葉に、クラウスの瞳から、躊躇ためらいの色が、ひとつ消える。だが、まだ完全にはぬぐえていない。

「では、街の人たちは……?」

「街の?」

 男は片眉を上げた。

「それは、君の魔法を搾取していた人間たちのことかい?」

 冷ややかに落とされた言葉に、瞠目したクラウスが男を見上げたときだった。

「待ってくれ!」

 路地の向こうから、声が響いた。先日クラウスが回復魔法で怪我を治した男と、その妻である酒場の主人だった。

「その子を、連れていかないでちょうだい」

「この街からいなくなられたら困るんだよ」

 歩いてくる。役人を見上げて、声を張る。

「見慣れない役人の馬車が通ったから気になって来てみれば……誘拐まがいのことをしやがって」

「人さらい同然だわ」

 鼻息を荒くする彼らに対して、役人の男は落ち着き払っていた。冷たい瞳で彼らを見据え、そして言った。

「なぜ?」

 クラウスたちと話していたときとは真逆の、氷のような声だった。酒場の夫妻が、気圧されたようにたじろぎ、しかし負けじと役人を睨みつける。

「その子の魔法は、この街になくてはならないものだ。俺も怪我を治してもらった。俺たちみたいな貧乏人は、正規の医者にも魔法士にもかかれねぇ。その子だけが、頼りなんだ」

「そうよ! その子は、この街に必要なの。それに、その子の意思は、どうなの? その子の意思に反して連れていくなら、それは拉致だわ」

 酒場の主人が、クラウスを見る。貴方もこの街に居たいわよねと、重いまなざしで。

「必要、ねぇ……」

 役人の目が、すっと細くなる。

「ならば、なぜ、貴方たちは、彼を保護しない? 見たところ、彼はまだ十歳にもなっていないだろう。なのに、なぜ、この街の誰も、彼を養子に迎え、保護者とならない? こんな場所で、こんな暮らしをさせているのだ?」

 それに、と役人は静かに続ける。

「怪我を治してもらったと言ったね。通常、回復魔法の相場は、銀貨一枚からだ。それに対して貴方たちは、彼にいくら支払った? 正当な報酬なく彼の魔法の恩恵にあずかるのは、搾取ではないか」

「……それは……」

 彼らが言いよどむ。その唇が、苦々しく開いた。

「仕方ねぇだろう。養子にしろとか、報酬を払えとか、言われても、こっちには、金がねぇんだから」

「お金があったら、正規の医者なり魔法士なりに頼むわよ。それができないから、その子に頼んでいるんじゃない。それに、その子だって、私たちが渡したお礼に、文句をつけたことなんて一度もないわ」

「……金か」

 役人が、嘆息まじりに呟く。

「ならば、これでどうだ?」

 提げていた鞄から、役人は小さな麻袋を取り出した。

「金貨二十枚だ。この金で、この子たちを、この街から買おう」

「金貨二十枚⁉」

 彼らが目をみはる。役人はうなずいた。麻袋を差し出したまま、彼らの返答を待つ。

 彼らの喉が、ごくりと上下した。そろそろと手を伸ばし、麻袋を取る。中を確認すると、彼らは顔を見合わせた。

 クラウスは、そっと目を伏せる。これ以上は、見るまでもなかった。

 麻袋の中で金貨がぶつかり合う音が響く。荒々しく走り去る足音。彼らの瞳は、最後にクラウスを映しただろうか。

「……君への詫びの言葉すらないとは」

 役人が鼻で笑う気配がして、クラウスは視線を上げた。彼らの姿はもう見えない。

「もし、彼らが目先の金を受け取らず、君を選んだなら、私も楽しめたのに」

 全くつまらないことだ、と役人は息を吐く。白いかすみが、ふわりと雪空に霧散して消えた。

「さぁ、行こうか」

 役人の手が、クラウスの背中を押す。はい、とクラウスは、ただうなずいた。リュカがクラウスの手を握る。繋いで、瞳を交わして、大丈夫だと微笑み合う。

「兄弟揃って従順で助かるよ」

 役人は笑った。クラウスは無言で、ただ胸中で冷たく笑う。

 クラウスが従ったのは、この男が、弟も一緒に保護すると言ったからだ。そうでなければ、クラウスは、何をしてでも拒んでいた。抗っていた。弟とふたりでいるために。

 踏み荒らされた雪の積もる路地を歩いていく。闇に塗り潰された鉛色の空から、破られた紙幣のように、ひらひらと雪が舞い続ける。

 見上げながら、クラウスは思った。

 この街に宛てて渡された金貨を、あのふたりは分けるだろうか。クラウスの魔法を頼りにしてきた街の人たちに、等しく配られるだろうか。

 この街から自分たちを売り渡した金貨を。

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