第3話 頼み事

「…………銀崎君……銀崎君?」


「えっ……」


 次の日、俺は学校にいた。


「大丈夫?昨日も休んでいたし、体調はまだ悪いの?」


「……いや、大丈夫だよ」


 俺は学校では病弱という設定にしている。死神の仕事で休むことが多いからだ。


「なんか体調良くなさそうに見えたけど……」


「ありがとう。本当に大丈夫なんだ」


「そう……。あっ、そうだ。昨日配られた進路希望調査の締め切りは2週間後だからね。忘れないようにね」


 俺が話しているのはクラスの委員長の花岡はなおか 有香ありかだ。


「……うん。机の中に入っていたプリントだよね」


「うん。前の希望調査も締め切りギリギリだったから、今回は余裕を持って提出してね」


「わかった。ありがとう」


「有香ー、行こー」


「今行くー。じゃあね」


 花岡さんは友人に呼ばれて教室を出ていった。


(進路か……)


 俺は進路に迷っていない。死神になることを決めているからだ。俺は高校卒業後に死神協会に就職し、現在所属している双園基地にそのまま所属することが決まっていた。ただし、こんなことを学校に言えるわけがないので基地の表名義の警備会社斑鳩いかるがの双園事務所に就職するということになっている。


(……俺にも大学に行くとか普通に就職するとか……そんな可能性もあったのかな?)


 学校に通っているとそんなありもしない未来を考えてしまう。このクラスで就職するのは俺以外は3人らしい。大学や専門学校に行くなんて考えもしなかった。そもそも俺は高校にも行くつもりがなかった。緑野さんとすでに亡くなっている俺の恩人がうるさく言わなければ、俺は中卒で死神協会に就職するつもりだった。


(帰るか……)


 夜になればまた死神の仕事だ。家に帰ってひと眠りしようと思った。



 ーーーーーーーーーー



「おはようございます」


「おはよう」


 基地に行くと副所長の音羽おとわ 聡美さとみさんが大きなモニターの前に立っていた。このモニターは亡霊ゴースト反応を表すモニターである。奥には緑野さんもいた。


「今日はどうですか?」


「今のところ異常なしだ」


「まあ……まだ9時ですからね」


 亡霊ゴーストの出現は夜11時から4時が多い。日が完全に上ると亡霊ゴーストは姿を消す。


「ひとまず待機室で待機していますね」


「ああ」


 俺は待機室に向かう。待機室では仮眠を取ったり、学校で出された宿題をしたり、ゲームをしたりと自由に過ごしている。

 双園基地では死神は亡霊ゴーストが出現し次第出撃する。亡霊ゴースト発生が多い地域では見回りのようなこともしている。


「宿題でも……するか」


 俺は宿題を始める。やりたくはないが卒業できないなんてことなるのは困るのでやらないわけにもいかなかった。


「…………わかんねぇ……」


 宿題を始めて数分経つも授業中を真面目に聞いていないため全然わからない。


「……緑野さんに聞くか……?」


 緑野さんは勉強がめちゃくちゃできるため俺はたまに勉強を見てもらっていた。しかし、今は勤務中だ。。


「銀崎君、早いね」


「清水さん、お疲れ様です」


 待機室に双園基地に属するもう1人の死神の清水しみず りんさんがやって来た。


「勉強してるんだ」


「はい。全然わかんないです。清水さんって英語わかりますか?」


「ごめん。私頭悪いし、手伝えない……」


「いえ、いいんです」


 そう言いながらソファに座る。俺は電子辞書を使いながら頑張って英語の宿題を片付けにかかる。清水さんは携帯ゲーム機を取り出し、遊び始めた。



 トントントン



「えっ……」


 待機室のドアがノックされ、俺と清水さんは顔を見合わせる。普段ノックをする人はいないからだ。


「……どうぞ」


 清水さんがそう言うとドアが開く。そこには竜から出てきた女性が建っていた。


銀崎きりはら じんさんですか?」


「えっ、はい」


「先日は助けていただいてありがとうございました」


「いえ……」


 俺としては助けたつもりはなかった。ただ、亡霊ゴーストを倒したら彼女が現れたというだけだ。


「もう歩けるんですね」


「はい。体調は良くなりました」


「記憶は戻らない感じですか?」


「……はい。すみません」


「まあ戻らないものはどうしようもありませんね……」


「…………その本に書かれているのは英語ですか?」


 彼女の視線が俺の見ていた教科書に注がれていた。


「ええ、そうです。わかるんですか?」


「はい。読めます」


「記憶喪失になる前は結構勉強していたのかもしれませんね」


「見た目は……銀崎君と同じくらいに見えるね。大人しそうだしすごく優等生って感じがするね」


「私はいくつなんでしょうね……」


 空気がどうしても重くなってしまう。


「焦らずにいくしかありませんね。急に記憶が戻ることもあるって聞きますし」


「ご迷惑をおかけします。それでは失礼します」


 彼女はそう言って部屋を後にした。


「…………所長、あの子をどうするつもりだろうね?いつまでもここに置いておくわけにはいかないだろうし」


「……ですね。うちに所属するなら、死神かオペレーターになるしかないですもんね。そういえばこの前所長が協会に保護を依頼するって言っていましたよ」


「それダメだったらしいよ。うちはボランティアはしていないって断られたらしいよ」


 予想通りの答えだった。


「そうですか……」



 ビービー



 休憩室に通信が入る。


「凛、銀崎君、亡霊ゴーストが確認されたわ。どちらか出撃準備をしてもらっていい?」


 緑野さんから通信が入る。


「了解です。俺が出ます」


「いいの?」


「はい。昨日は休ませてもらいましたし」


「ありがとう」


 俺は教科書を片付け、立ち上がった。


「最近、亡霊ゴーストの出現多いね」


 俺達の住んでいる双園市は亡霊ゴーストの出現率は多くはない。一日に一体が平均的だ。


「ですね。でもうちの地域はまだ可愛い方ですよね?隣の天馬市とかヤバいらしいですね」


「らしいね……」


 亡霊ゴーストの出現率は右肩上がりだ。人口密集地では特にその傾向が顕著だ。


「じゃあ、行ってきます」


「いってらっしゃい。気を付けてね」


 その日に出現した亡霊ゴーストはその1体だけであった。



 ーーーーーーーーーー



 3日後、俺は所長室に呼び出されていた。


「非番の日に来てもらって悪いね」


「いえ。」


「今日は銀崎君に頼みたいことがあるんだ」


「…………はい」


「竜から出てきた彼女のことだ。彼女は死神になってもらう」


「…………それは彼女の意志ですか?」


「うん。彼女にはオペレーターという裏方か死神という戦闘員どちらかになってもらえればうちに所属できると説明したよ。もちろんここから出ていくということも含めて今後のことを話し合った」


「死神の仕事についての説明はしたんですか?」


「もちろんだ。命の危険が常に付きまとうことも含めて話したよ」


 生田所長の顔は複雑だった。いつかは話さないとはいけないこととはいえ、話すのは辛かったことがわかった。


「それでも彼女は……」


「ああ、彼女は迷わず死神と答えたよ。自分を助けてくれた銀崎君と山村君のように誰かの役に立ちたいとも言っていたよ」


「そうなんですか……?」


「驚いたかい?」


「はい。彼女と少し話した印象では戦うタイプには見えなかったので」


「そうだね。彼女は温厚で物静かな性格だ。性格だけで言うならオペレーター向きだね」


「では、俺に頼みたいことは何でしょうか?」


「君には彼女の指導役になって欲しいんだ」


「…………理由を聞いてもいいでしょうか?」


「うちに所属する3人の死神で君が一番死神歴が長いからだ」


「確かに歴だと俺が一番長いです。でも教えるなら山村さんが一番向いていると思いますが……」


「そうだね。山村君は面倒見がいいから、いい感じに教えてあげられると思う。でも彼は非情になり切れない」


「………………」


 山村さんは生田所長のいうとおり面倒見がよく、リーダーシップもある。現場では指揮を執ることも多い。俺も山村さんにはお世話になっている。


(…………そういうことか……)


 俺は今日呼び出された意味を理解した。


「彼女に何かがあれば、殺せということですね?」


「………………その通りだ。これは銀崎君にしかできないと思っている。だから君に彼女の指導役を任せたいんだ」


「わかりました」


「本当に申し訳ない」


 生田所長は立ち上がり頭を深く下げる。


「俺の判断で彼女を殺していいんですね?」


「うん。君の判断に任せるよ。責任はすべて僕がとる」


「彼女を殺害することになる基準を聞いてもいいですか?」


「僕達、または死神協会に敵対する行動をとった時だ」


「わかりました。生田所長は彼女がスパイと考えているのですか?」


「……今のところはないと思っている。しかし、彼女が亡霊ゴースト側ではないという確信がないんだ。彼女が敵対してから決めては遅いんだ」


 生田所長の言っていることはもっともであった。


「このことを知っているのは生田所長と俺だけですか?」


「うん。このことは誰にも言わないで欲しい。音羽副所長や山村君はもちろんだが、緑野さんにもだ」


「……わかりました」


「話は以上だ。彼女の指導は明日からお願いするよ」


「彼女はまだ何も思い出せない状態ですか?」


「そうみたいだね」


「ひとまず名前を決めてもらった方がいいですね。これから一緒に行動することも多いと思うので」


「それはそうだね。わかった。明日までに彼女に決めてもらうよう伝えておくよ」


「お願いします」


「非番だったのに悪かったね」


「いえ。では、失礼します」


 俺は所長室を後にした。



 ーーーーーーーーーー



 俺はそのまま自宅に帰り、ベッドに横になる。


「…………ふう……」


 思わずため息が出てしまう。頭に浮かぶのは先程の所長との会話だ。


(所長は俺と同じくらい……いや、俺以上に彼女のことを警戒していたんだ……)


 確かに所長は早い段階で血液検査まで行っていた。


「当然だよな……」


 俺は寝転がりながら、タンスの上にある写真立てを眺める。


「…………」


 その写真は4年前に双園基地のメンバーで撮った写真であった。この写真に写っているメンバーの半分ほどはこの写真を撮った一ヶ月にとある事件で死亡した。その事件とは死神に寄生した亡霊ゴーストが基地内に侵入し、非戦闘員であるオペレーターを含めた人がその亡霊ゴーストに殺されるというものだった。さらに不幸にも外でも強力な亡霊ゴーストが出現し、戦った死神が2人死亡するという不幸も重なった。


(…………あれからもう4年経ったのか……)


 現在の双園基地のメンバーでこの写真に写っているのは生田所長と緑野さんと俺と他4人だけだ。他にも生き残った者もいるが、双園基地から去ってしまった。


「この時の俺って本当にガキだったよな……」


 生田所長はこの時に副所長で、緑野さんは死神だった。基地に亡霊ゴーストの侵入を許したのは生田所長だった。だからこそ基地に2度と亡霊ゴーストを入れないという強い決意があったのだろう。


「…………やるさ……。もう二度とあんな思いをするのはごめんだ……」


 俺は何かあったら彼女を殺すという決意を固めた。

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