第36話『命よりも大切な人』
――暗黒の世界が、突如として光に包まれる。
唇に触れる柔らかく温かな感触。
まるで枯れ果てた土に水がしみわたったように、全身に活力が戻るのを感じた。
次の瞬間、ずるりと脱力するように俺にのしかかる重さ。……それがセレーネなのだと分かるのに、時間はかからなかった。
彼女と俺は素肌を露わにしており、まわりには心配そうにのぞき込むみんなの顔が見える。
それだけで、セレーネが俺を助けようとしてくれたと分かった。
その時、セレーネの長い銀髪や角、そして目を隠す仮面のような前髪がボロボロと崩れていった。
そして人懐っこい黄金の瞳と、肩ほどまでの短い銀髪の素顔があらわになる。
……確か『セレーネ』の時の姿は魔族の戦闘形態。あふれる程の魔力を体の外側にとどめる魔力の鎧だったはずだ。
彼女がこんな時に素顔をさらすなんて違和感があり、そして察してしまう。
「セレーネ……!? ……魔力が、ほとんど無くなってる……!?」
いつもそばにいるだけで太陽のようだった魔力が、今は風で消えそうな
彼女も自分の変身が解けたと分かったのだろう。重そうな体を動かし、俺の胸の中で小さく丸まり、顔を隠してしまった。
「あ……あぁ……いやです。ローランさま、私を……見ないで」
「安心しろセレーネ。君がルーナさんだってことは知ってたから」
「そんな……いつの間……に」
「今はそんな場合じゃないだろう!? とにかく何が起こったのか教えてくれっ!」
そう尋ねながらも、俺はとっさに自分とセレーネの命のつながりに意識を集中させる。
……そして直感してしまった。
「……まさか、俺の身代わりに!? なんてことをするんだ!」
「心配、しないで……ください。私が死ねばローラン様も死ぬと言ったお話……あれは嘘、なんです……。大切にされたくて、つい……」
素顔をさらしたせいか、口調もルーナさん……おそらく本来のセレーネの言葉遣いに戻っている。
そんな彼女が何を言っているのか分からず戸惑ったが、だんだん思い出してきた。
俺がセレーネに蘇生された時、確かそんな話をしていた気がする。
でも、なんで今?
……ひょっとして、セレーネが死にそうになってるのを見て、俺が「自分も道ずれに死ぬ」と不安がってるとでも思ったのだろうか?
そんな……そんなこと、あるわけがないだろう?
「俺は自分大事さに君を心配してるんじゃない! それに君が大切だとか、そういう当たり前のことを言うなよっ。君が死んだら、俺は……俺は……」
「……私を……大……切? ……うれ……しい」
「なんで俺に、そこまでのことを……? 自分を犠牲にするとか、領主の君がやっていいことじゃないだろう?」
「あ……愛する人を守りたいのが……そんなに……変、ですか……?」
……セレーネは俺の胸の中で見上げ、穏やかな笑みでつぶやいた。
その笑みが俺の心を締め付け、思考のすべてを奪っていく。
「愛する……? ……俺を?」
そんな……そんなわけない。
君は確かに俺に良くしてくれていたけど、それは勇者の力が魔界にとって役立つからだと思っていた。
君の隣にいたいという想いは一方的だと思っていた。
……嬉しいはずのことなのに胸が苦しい。
言葉が……でない。
思考がまとまらない。
そうしている間にも、どんどんとセレーネの命が失われていくと分かる。
「聖剣ですっ!! 聖剣の魔力をローラン様を通して送るんです!!」
ルイーズさんの声にハッとした。
俺は何を
そうだよ、今の俺には聖剣がある。
セレーネがやってくれたのと同じように、今度は俺が送ればいい!
――その時、悲鳴が沸き起こった。
何かと思って振り返った瞬間に振り下ろされる刃。
俺はセレーネを抱きしめながらとっさに転がり、その勢いでルドラの風に乗って距離をとる。
……上空から見下ろして分かったのは、割れた鐘から湧き出るどす黒いオーラが、周囲の騎士たち何人かを飲み込んでいる様子だった。
闇に飲み込まれた騎士はうつろな表情のまま、操られている人形のように剣を振り回している。
ルイーズさんはノエルさんたちに守られて無事だが、地上は混乱一色になっていた。
俺はセレーネを抱きしめながら聖剣の魔力を送り、同時に精霊に命ずる。
「――汝の名はベヒモス! 虚ろなる騎士と鐘を岩塊にて閉じ込めよ!」
「――汝の名はルドラ! 皆を乗せ、高き空へといざなえ!」
その言葉と同時に、割れた鐘に侵食された騎士は鐘ごと岩に封じ込められた。
そしてそのほかの全員は安全な空へと舞い上がる。
「凄まじい……。ローラン殿の精霊魔法は底が知れぬ……」
ノエルさんが驚く横で、ルイーズさんは俺に視線を送る。
「ローラン様! セレーネさんの容体は!?」
「大丈夫だ。容体は安定し始めた。……しかし聖剣の魔力があるのに、セレーネの力が元に戻らない……」
「セレーネさんもローラン様を見ておっしゃっていました。……底が抜けた樽のようだ、と」
「そんな……」
それではこの状態は、ただの応急処置でしかない。
セレーネを死なせないためには肌を離すわけにいかず、それだってこの先、ずっと同じである保証はない。
なんとか問題を解決するしかなかった。
原因は明らかに、あのエヴァが持っていた鐘だ。
聖王ディヴァンが授けた物であれば、確実に彼の意思によってこの呪いが巻き起こっているのだろう。
『まさか人間界に戻れるとは思わなんだ。――死ぬがよい、勇者よ』
……あの暗闇の中で聞いた声が忘れられない。
この呪いは俺を狙って発動したものだ。
「……ちくしょう。俺のせいで君を巻き込んだ……。その呪い、俺に戻してくれ」
セレーネにそう伝えるが、彼女は弱々しくも首を横に振った。
「いけま……せん……。これは人間が耐えられるものでは……ない、です。魔力を持つラムエルやエヴァでも耐えられなかったなら、ローラン様だと、とても……」
確かにセレーネが言う通り、俺は魔力がない。
聖剣を握っている限りは魔力が得られるが、呪いを受ければ聖剣とのつながりも途絶え、死に至る。……それはすでに体験したからよくわかった。
そう言う意味で、魔族であるセレーネだからこそ衰弱も比較的緩やかなのかもしれない。
「……だからといって、こんなのは嫌だ……」
「これは……精霊が精を吸うのに、似てると思い……ます」
「精霊?」
「ローラン様が精霊魔法を使った時の……あの消耗に、感覚が似てる。……私、よく触れてたので、……知ってます。消耗の速さは、まったく比較に……ならないけれど……」
魔界にいた時はセレーネが何度も魔力をくれていた。
あの時に俺の消耗を感じていたということだろう。
「精霊魔法に似てるなら対処は簡単だ。……精を吸い取る精霊とのつながりを断ち切ればいいんだから」
精霊とのつながりを断つとは、契約を切ることだ。
ただし今回は相手が一方的につながってきたわけだから、こちらの意思で切ることはできない。
……方法は、相手を殺す、という事。
「……なんだ、元々やろうとしてたことじゃないか。聖王ディヴァンを倒す。……いや、明確に『殺す』必要がある」
しかし割って入る様にノエルさんが口を開いた。
「ローラン殿、この山から王城までは早馬でも五日はかかります! たとえ聖剣の力でセレーネ様の命を維持し続けたとして、着いたころには聖王は迎え撃つ準備を整えているはず。時間の問題で我々に勝機はありません!」
確かにその通りだ。
早馬で五日なら、俺がルドラの風で飛行したとしても丸一日ぐらいはかかるだろう。
敵は有力貴族が山ほどいる王都に陣取っており、一日もあれば守りを固められてしまう。
聖王が距離を飛び越えて呪いを発動しているのか、それとも鐘に封じ込めた呪いが自動発動しているのかは分からない。
とはいえ、最悪のケースを想定し、聖王は「俺たちが見えている」と考えたほうが良いだろう。
ふとルイーズさんを見ると、彼女も険しい表情になっていた。
「聖王ディヴァンが王城のどこにいるかも分かりません。思い起こせばふらりと姿を隠されることも多くありましたし、都合よく謁見の間にいるなど、ありえません」
その時、俺の腕の中でセレーネが顔を上げた。
「大丈夫……。すぐに聖王の元にいく手段、あります……」
彼女の手の中にはぼんやりとした七色の光が灯る小さな石。
――ビフレストの小鍵が握られていた。
「小鍵と似た力を……割れた鐘の向こうから、感じます。……間違いなく大鍵の力。それを辿れば、きっと大鍵の元に……行けます」
「セレーネ、君は鍵の力を感じられるのか!?」
「……ずっと肌身離さず……持っていました。分かります。……きっと小鍵に残った力は、この最後の瞬間のために――」
彼女の確信を持った眼差しは、俺を納得させるに十分だった。
敵が分かり、行く手段がある。だったら止まってなんていられない!
「セレーネ、行こう!」
「いいえ。私は置いて行って。……戦いの足手まといに、なりたくない……」
セレーネはそう言って、ただ微笑んだ。
「……嫌だ、離れたくない。離れると君が死んでしまう!」
彼女が死ぬ光景が目に浮かび、ふいに涙がこぼれてしまう。
しかしセレーネは対照的に、やつれながらも微笑んでいるだけだ。
「……嬉しいけど、これは勝つため。全力で戦うには、抱きしめながらは無理なので。……大丈夫、耐えられます。これでも私、魔族の中でも……かなり強いんですよ」
「……知ってる」
君の強さは誰よりも分かってるつもりだ。
身も心も……本当に強い。
背中を預けられる、俺にとってただ一人の女性だ。
俺は涙をぬぐい、そっとセレーネから離れた。
彼女は魔力の消耗が始まったはずなのに笑顔を崩さず、はだけた胸元を正しながら俺を見送ってくれる。
「行ってらっしゃい、ローラン」
「…………行ってくるよ、セレーネ。なぁに、ひと撫でで倒すさ」
そして俺は岩塊で封じ込めていた鐘に向かって聖剣を振り下ろす。
全てを切り裂く一撃は、鐘もろとも大地を割った。
そこに向かって七色の光を灯す宝玉を突き出し、叫ぶ。
「ビフレストの小鍵よ。最後の力をもって、聖王ディヴァンへの道を開け――!」
小鍵は灯が消える直前の眩しさを放ち、空気を振動させ始める。
そして割れた鐘を中心として、空間が一気に裂けていった。
繋がった先は『大鍵』のある場所。
俺はなんの躊躇もなく亀裂に飛び込む。
――そして『
その中央には一人の男が座っているのだった。
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