第35話『聖王の呪い』

 一人の勇者と二人の王女によって新たな国が産声を上げようとしていた時、その光景を自嘲気味に笑う女の姿があった。


「くふ……くふふ……。あんなにもキラキラして……。夢見がちなお姫さまはなんて愚かでしょう。……そんなにうまくいく訳がありませんのに」


 ――そうつぶやくのは見捨てられた聖女エヴァ。

 聖王ディヴァンの密命を受けて聖鐘教会の先兵として活動していたが、自らの力不足によって失敗し、教会に見捨てられた愚かな女である。

 全ての秘密を暴露した今、彼女は妙にスッキリとしていた。


「……とは言っても、愚かなのは私も負けず劣らずですわね。いいところまで行ってたと思ってたのですが、ローランくんには完敗ですわ……」


 侯爵家の令嬢として生まれ、たぐいまれなる強化魔法の使い手として弱者を蹴落とすことに生きがいを感じてきた。

 弱い魔法しか持てない貴族は死んだ方がマシ。

 魔力のない下民は生きているだけで不愉快。

 そんな下民が自分の誇りとばかりにあがめる精霊という存在には反吐へどが出る思いだった。

 だからこそ、神の名の元に精霊を駆逐できる教会の先兵になったのだ。


 精霊の声は聞こえないが、姿は見えるものだから、イジメて殺すのが好きだった。

 自分の力が神にさえも届くと確信できたからだ。


 ――そんなエヴァの心をくじいたのが勇者と言う存在だった。

 生まれや魔力の有無なんて関係なしに、反則級の強さで猛威を振るう。

 「ただ聖剣を握ってるだけ」で簡単に自分の上を行ってしまう存在が憎らしくてたまらなかった。

 特にローランは下民生まれにも関わらず堂々とした立ち振る舞いの男で、そこがしゃくに触って嫌いだった。

 だから聖王ディヴァンの持つ特別な鐘をもらい受け、完膚なきまでにローランの力を奪ったのだ。


 ……しかし、聖剣の精霊を奪ったのに、聖剣を持っていないのに、ローランは自分の前に現れた。

 そしてなぜか変わらぬ反則的な力を使い、聖王の鐘を使ったのに叩き割られた。

 這い上がってきた下民に打ち破られたという現実を前に、エヴァは憑き物がとれたような晴れ晴れとした気持ちになっていた。


「……もがいて這い上がる生活も悪くなさそうですわね」


 エヴァは持ち前の強化魔法で肉体を強化し、腕を拘束する鎖をたやすく断ち切った。

 ローランくんや騎士たちが「建国だなんだ」と馬鹿な妄想で沸き立っている今がチャンス。

 そっと逃げ出し、国外まで逃亡してみせる。

 聖王ディヴァンの情報を売った今、こんな先行きの暗い聖王国にこだわらず、別の国で這い上がるほうが楽しそうに思えた。


「くふふ……。ラムエルくんはきっと、見せしめとして殺される運命ですわ。王族なんかに生を受けたことを恨むといいですわね」


 エヴァはラムエルを助ける気など、毛頭ない。

 さぞや憎まれ口をたたいてくれるだろうと期待したのだが、隣にいるはずのラムエルからは返事はなかった。

 おっくうに思いながら、エヴァはラムエルに視線を移す。


 ……そして目に入ったのは、白目をむいて死者のように干からびていくラムエルの顔だった。


「……は?」


 目の前で起きている事象が受け入れられない。

 ラムエルのたくましかった腕は枯れ枝のようにやせ細り、干し肉のような黒ずんだ色に変色していく。


「エ……ヴァ……たす…………」


 そんなとぎれとぎれの声は、やがて掻き消える。

 そこにあるのはただ『死』という感覚だった。


「ひ……ひぃ…………」


 本当なら大声で悲鳴を上げたいところだが、逃げ出そうとしている状況なのでバレると怖い。

 その一瞬の判断が命取りになった。


 引きつった声を押しとどめている隙に、背後に何かが密着する。

 視線をやると、そこには近衛騎士団の鎧をまとった男の影。

 ラムエルを襲ったのはこの男なのだろう。

 そしてエヴァの視線を奪って離さなくなったのは、彼が持つ『割れた鐘』だった。


「なぜそれが、ここに!?」


 声を上げた時にはエヴァの首が締め付けられる。

 そして次の瞬間、エヴァの視界は暗転し、二度と元に戻ることはなかった――。



  ◇ ◇ ◇



「近衛騎士団が味方になってくれた。……それ以上に心強いものはないよ。ありがとう、ノエルさん」


「お言葉には及びません、ローラン殿。我々は王家の盾であり矛。王族の御心のままにあるのが定めなのです。……こたびの大義はルイーズ殿下にありとみなしました。それだけのことでございます」


 聖王国の近衛騎士団と言えば精鋭中の精鋭。

 全員が貴族出身であり、何らかの強力な魔法を使えるという。

 聖王ディヴァンを討つだけならきっと俺一人でも大丈夫だが、聖王側にたくさんの貴族がついた場合は守るべき人々から犠牲が出ないとも限らない。しかし近衛騎士団がいれば安心だと言えた。

 ルイーズさんの信念がある限り、彼らは民の味方と言えるのだから。



 その時、俺はふと不穏な気配を察した。

 肌がざわざわする感じ。なんだろう。俺と共にいる聖剣の精霊がおびえているような感じだ。

 心当たりを探り、エヴァの持っていた鐘に思い当たる。


「そういえばノエルさん」


「どうなさいました?」


「どこかで真っ二つに斬られた鐘を見ませんでした? エヴァが使っていた鐘なんだが、気になっているんだ」


 そう言えばエヴァの鐘は手のひらに収まるほどに小さいのに、俺の契約精霊とのつながりを強制的に断ち切るどころか、聖剣に宿る精霊を閉じ込めるほどに強力だった。

 たとえエヴァが強化魔法で効果を強めていたとしても、あまりに規格外すぎる。

 そもそも、エヴァの強化魔法がそこまで強いと思えなかった。


「あぁ、あの鐘ですね。あれは聖王ディヴァンがエヴァに与えられた魔法具ですので、我々騎士団が回収させていただきました」


「聖王が……? それこそ重要なカギになるな。調べさせてもらうことはできるかい?」


「はい、もちろんです。……確かあちらの騎士が……」


 ノエルが指示した方向を見た時、騎士たちの間で悲鳴が沸き起こった。

 悲鳴の元では一人の騎士が幽霊を思わせる不気味なたたずまいで立っている。その表情は虚ろであり、まるで自我を失った死体のようだ。

 ……そして、彼の足元には二つの人影が。


「……まさかラムエル? エヴァ!?」


 服装や髪型を見るに、あの倒れている人影は彼らに違いないはずだ。

 しかしその皮膚は枯れ枝のようで、一目では彼らだと確信できないような状態だった。



「何事だ!?」


「ノ、ノエル様! 急にあいつがラムエル殿下と聖女を襲い……っ!」


 そう言って他の騎士が指を刺した瞬間、うつろな表情の騎士は人間離れした跳躍で視界の外に姿を消した。

 ――そして次の瞬間、なぜか俺の眼下に。


「え……?」


 俺は逃げるべく、とっさに後ろに飛ぼう――とした瞬間、一気に喉元を締め付けられた。



 ……なんだ?


 何が起こっている?


 とっさに聖剣に手を伸ばすが、なぜか指が動かない。

 いや、意識が全身から抜け落ちたように、一瞬で視界が闇に包まれた。



  ◇ ◇ ◇



 ――暗い。


 体の感覚が全くなく、何も聞こえず何も見えない。

 まるで体と精神が引きはがされた感覚だ。


 その時、意識に直接語り掛けてくるような声が響いた。


『まさか人間界に戻れるとは思わなんだ。――死ぬがよい、勇者よ』


 どこかで聞いた覚えのある男の声。

 記憶をさぐる中で、演説する聖王ディヴァンの声と一致する。


 ――なぜ聖王の声が聞こえる!?

 ――俺にいったい、何をした!?


 そう叫んだつもりだが、口の感覚も喉の感覚もなにもない。

 ただ真っ暗闇の虚空だけが広がり、目の前の暗闇が目に見えている光景かどうかさえ分からない。


 ――死ぬ?

 ――俺は殺されるのか?


 すると次の瞬間、俺の中の致命的な何かが零れ落ちていく感覚に襲われた。

 これはまさか、命?

 精霊に力を使ってもらう時の感覚に似ている。しかし、それとは比にならないほどに消耗が激しい。

 痛みがないままに自分が消されていく感覚に危機を感じた。


 ――やめてくれ!

 ――これはセレーネにもらった命なんだ。

 ――俺はまだ、彼女に恩を返せてない。


 ――聖王を、お前を倒すって誓ったばかりなんだ!

 ――約束したんだ、共に魔界へ帰るって!


 しかし最初に告げられた死刑宣告を最後に、何の声も聞こえない。

 そこで独り、死んでいけ――そう告げられているようだった。



  ◇ ◇ ◇



「よくもローラン殿をっ!!」


 ノエル団長はローランを襲った騎士を一撃のもとに斬り捨てた。

 その騎士はこれまで何も問題がなく、ローランと何の関りもない男だった。

 きっかけがあったとすれば、その騎士が割れたエヴァの鐘を運んでいたことぐらい。

 地面に落ちた鐘を見ると、そこからは得体のしれない黒いモヤがあふれ出ていた。


「ローラン様!? どうなされたんですかっ!?」


「いけません、ルイーズ殿下!! その鐘に近づいては呪われますっ!!」


 異変を感じて駆け寄ってきたルイーズをノエルは制止した。

 セレーネはというと、すでにローランに寄り添い、張り詰めた表情で見つめている。


「あ……あぁ……消えていく、ローランの命が……」


「セレーネさんには分かるのですか!?」


「わらわはローランと命がつながっておる。自分の体のように分かるのじゃ。……肉体に満ちていた精が、もう底を尽きかけておる。……ええい、死なせはせぬっ」


 セレーネはそう言うと、人目をはばかることなく上半身の衣服を脱ぎすて、ローランの素肌を抱きしめた。


「セレーネさんっ!? ……いったい突然、何をなさるのですか!?」


「素肌を密着させれば魔力を送れる。うまく説明できぬが、わらわとローランはそういう関係なのじゃ!! これで回復できるはず……」


「……た、確かに先ほどよりもお顔の血色が良くなっておりますわね……」


 突然の二人の抱擁を前にして騎士たちもルイーズも動揺を隠せないが、それでも枯れた土のようだったローランの顔に赤みが戻ったため、黙って見守るしかできなかった。

 しかしセレーネの表情は依然としてけわしいままだ。


「……おかしい。あふれる程に与えておるのに、底の抜けた樽のようじゃ。……全く回復する気配がない」


「そんな……」


「こうなれば……わらわが呪いを引き受けるまでのこと」


 セレーネはそう言うと、頬を紅潮させながら唇をきゅっと噛みしめた。


 素肌以上に密着すれば、より深く命を繋げられるようになる。

 それがセレーネの持つ力であり、ローランを最初に蘇生した際にも行った儀式。

 あの時も深く唇を重ね、ローランの失われた命をつなぎなおした。


「……あなたの体を勝手に辱めて……ごめんなさい」


 セレーネは気を失っているローランの耳元でそっとつぶやく。

 そして、唇を重ねるのだった。

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