第31話『復活の時』

 エヴァの失態のせいでティタニスはユミルの束縛から脱し、その猛り狂う怒りを全身に現していた。

 その様はまるで火山の爆発のよう。

 怒りの矛先は目の前にいる俺たち全員に向いており、見上げるほどの巨人が所かまわず踏みつけるものだから、たちまちのうちに地面は陥没と地割れだらけになってしまった。


 そんな中、俺は息を切らしながら教会の者たちを風で運んで退避させる。


「ローラン、そんな奴らを救わんでもよかろうっ」


「んなこと言っても、目の前で死なれるのは気分が悪いんだよっ!」


 見境なしのティタニスの攻撃を前にして、俺は防御で手一杯だ。

 セレーネのことは安心して任せられるが、とにかく教会の奴らの弱さは足手まとい以外の何者でもないっ!


「セレーネっ! ユミルの種をまく。育ててくれ!」


 俺はこの森で成長したばかりのユミルの木から種を集めていたのだ。

 それを風に乗せてバラまき、俺は一気に距離をとる。

 ユミルを巨木にまで成長させるセレーネの時間加速に巻き込まれれば、数十年から数百年以上の時の流れで死んでしまうからだ。


 全員が退避したことを確認したセレーネは、地面に手をついて魔法を放つ。


「育てよ大樹。その未来の姿をここに見せてみよっ!」


 その言葉と共にユミルの樹が芽吹き、一気に巨樹となってティタニスに襲い掛かった。


 ……しかし、何という事か!

 一回り小さくなったティタニスは、それでも巨大だというのに身軽になっていた。

 あくまでも成長するだけの大樹なのでティタニスの動きを追うことはできず、ことごとくに避けられていく。


「ダメじゃ、ユミルの成長よりも速すぎる!」


「そうみたいだな……。でも大丈夫だ」


「どういうことじゃ!?」


 俺は巨樹の根元を指さす。そこにはたくさんの樹の根がもつれあってできた空洞が生まれていた。


「とりあえずこれで安全圏が作れたぜ。あそこにみんなを逃げ込ませよう」


「ここにいるのは全員敵じゃろうに、甘いのう……」


「まぁ、そう言うなよ。一応、エヴァに用があるんだ。やり取りする暇ぐらい欲しいさ」


 俺は問答無用で風を巻き起こし、全員を樹の根の下に運ぶのだった。



  ◇ ◇ ◇



 激しい攻防の隙間にわずかな安息をつくり出し、俺とセレーネは一息ついた。

 聖剣がない俺はすべての精霊魔法を自分の体力だけでまかなわなければならない。

 今日は人間界に戻ってからずっと多くの人を運びすぎたため、実は剣を振るのもおっくうなほどに疲れ果てていたのだ。


「あ~キツイ……」


「大丈夫か? ……その、ちょっと隅でわらわと、どうじゃ?」


 頬を赤らめているセレーネ。何を言わんとしているかはわかるし、ありがたい。

 しかし、ずっとこちらを警戒している目があるのに、そういう無防備な状態をさらすのは気が引けた。


「いや……ちょっと今は止めておこうかな……。エヴァたちがずっとこっちを見ているし」


 俺は改めてエヴァの様子を確認する。

 ティタニスに蹴られたのに生きているとは、さすがは元勇者パーティーの一員と言うか、そのタフさは驚愕に値する。

 しかし恐怖しているのか震えながら親指をしゃぶっており、その表情からは戦意の欠片すら見えなかった。

 彼女の従者たちもエヴァの扱いに戸惑っているらしく、おろおろしている。


 そんな彼女に向かって俺は無遠慮に歩み寄る。


「まったく君は馬鹿か!? せっかく樹で縛ってたのに、音みたいな全体攻撃をしてたら、崩れるに決まってるだろ!」


「あぁ……ああぁぁ……。許してください、ごめんなさいごめんなさい。痛いのはイヤ、イヤ、イヤアァァアァアァァァ……」


「困ったな、会話にならないぞ……。とにかく聞きたいのはその『聖なる鐘』とやらのことだ。……その中に精霊を閉じ込めてるって本当か?」


 そう。俺が聞きたいのはこのことだった。

 ルドラは鐘の中に精霊の気配を感じたと言っていたが、俺にはなにも感じられない。

 それは普通、ありえないのだ。

 俺には聖剣の力が宿っているのだから、精霊の声が聞こえないのはおかしい。

 ありえるとすれば、鐘の中にいる存在が俺と同質のもの……つまり聖剣の力と同じものが入っている可能性だった。


「その鐘を調べさせてくれ。もしかすると、その中に聖剣の……」


 俺が鐘に手を伸ばそうとした、その時だった。

 突然エヴァが手負いの獣のようにいきり立ち、鬼の形相で俺に敵意を向けた。


「下民が触るなぁぁっっ!! 聖王陛下に賜りし神器。これはアタシのもんなんだよぉぉぉっ!!」


 エヴァは長く伸びた爪を俺にむけて威嚇したかと思うと、後ろに大きく跳躍して鐘を構える。

 そして大きく鐘を振り下ろした。


 ヤバい。

 ……俺は全身に悪寒が走った。

 エヴァが廃人同然だったので油断していた。


 とっさにルドラに風の防壁を作ってもらおうとするが、ルドラが出てきてくれない。

 ……まさか体力切れ?

 防壁なしでこの至近距離の音波攻撃……。これを喰らったが最後、俺はまたすべてを失ってしまう……!


 なのに、俺は何も対処できないまま、エヴァの鐘の最初の音が俺に到達し……。



 ――その時、まわりの時間が止まった。


「え……っ?」


 瞬きしてエヴァの様子を見るが、動かない。

 いや、かすかに、非常にゆっくりと動いている。


 俺は驚き、あたりを見回す。

 ……そして気が付いた。

 セレーネが俺の背中に手を触れていたのだ。


「……まさか、俺に魔法を使ってくれたのか?」


 きっとそれは間違いない。

 彼女の魔法は時間加速。

 一瞬で腐敗するほどの速度から、植物の成長を促す程度などの調整が可能だ。うんと弱めれば瞬間的な加速も出来るのだろう。

 セレーネの目は俺に「行け」と訴えかけていた。


「また恩が増えたな。……行ってくる」


 俺はそう言い残し、エヴァの元へ向かう。

 時が止まったも同然の世界で、音速を超えて――。


 ――そしてエヴァの手の中にある鐘に、剣を突き立てた。



 次の瞬間、あたり一面がまばゆい光に包まれた。

 鐘に入った亀裂から七色に光る炎が噴き出し、男とも女ともとれる声が響く。


『ローラン……正統なる我が使い手よ……』


「この声、初めて聖剣に触れた時に聞いたことがある……」


 間違いない。

 俺が少年だった日、先代の勇者から聖剣を受け継いだ時に聞いた声だった。

 あの時もこんな七色の炎が現れ、俺と聖剣を包み込んでくれたのだ。


 その時、俺はなんとなくわかった。

 今まで聖剣の力は『俺に宿った力』と『聖剣本体』の二つに分かれていたと思っていた。

 しかし違ったんだ。

 それらに加えて『聖剣の精霊』の三つに分かれていたんだ。


 聖剣自身に宿る精霊は、おそらく魔王討伐直後にエヴァに攻撃された時からずっとあの鐘の中に封じ込められていたのだろう。

 エヴァの鐘になぜそこまでの力があるか分からないが、今はささいなこと。

 大事なのは、聖剣の精霊が復活したという事実だった。


『我に触れるのだ。そして名を呼べ、我が友ローラン。我は常に君と共にあろう』


 聖剣の言葉のままに、俺は炎の中に手を入れる。

 その強烈な熱さはやがて収束し、俺の手の中で剣のような形となった。

 これは聖剣の魂そのものだ。

 あとはここに聖剣の体――ラムエルに捨てられた剣そのものがあれば完璧になる。


「来い、聖剣ヘイムダルっ!!」



  ◇ ◇ ◇



 ――ローランが叫んだ瞬間、遠く離れた地で巨大な水柱が立ち上った。


 そこはルイーズが住民と共に避難している集落近くの大河。

 ラムエルはここの川底深くに聖剣を捨てていたのだ。


 聖剣ヘイムダルは光を帯びて大河の上空へと舞い上がり、一気に加速して飛翔する。

 ……向かうはローランの元へ。



  ◇ ◇ ◇



 そして次の瞬間、ローランの手には聖剣が握られていた。


「聖剣だ……聖剣が飛んできたっ」

「そんな馬鹿な……っ。ありえない……」


 どよめく教会の者たち。

 そんなのがどうでもよくなるほど、ローランは聖剣の感触を懐かしんでいた。


 聖剣から膨大な魔力が流れ込んでくるのが分かる。

 ローラン自身の疲労は瞬く間に回復し、全身に力がみなぎっていった。


「おぉ……ローラン、それがそなたの剣なのだな。……惚れ惚れするようじゃ」


「ああ。これが聖剣ヘイムダル。勇者の剣だ」


 感嘆のため息をつくセレーネに、俺は微笑みかける。


「ありがとう。セレーネのお陰で、今の俺がいる」


「……できることをしただけじゃ」


 微笑むセレーネ。

 俺も笑みを返し、そして見上げた。

 ティタニスがさっきからこの樹の根のドームを踏みつけており、この安全地帯も限界だろう。

 ティタニスをそろそろ落ち着かせないといけないよな、と俺は思う。


「じゃあ、俺もできることをやって来る。……行ってきます」


「いってらっしゃい……勇者ローラン」


 魔界の姫セレーネの微笑みに見送られ、俺は飛翔した。

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