第30話『愚かな聖女』

 セレーネの力任せの投擲とうてきは凄まじい物で、鐘は風を切って一直線に森の中へと消えていった。


『ねーちゃんのお陰で助かったったぜぃ……』


 ルドラは大きくため息をつく。

 それはそうだろう。

 彼女の魔法で強化された鐘の音は、かつての俺の契約精霊をすべて吹き飛ばしてしまった威力だ。

 事前に防壁を張れたとは言え、ルドラが無事なのは間一髪といえた。


 そのとき、ルドラはいつもの気ままな調子とは似つかわしくない様子で首を傾げ始める。


『それにしても……なんだったんだ、ありゃ?』


「ん? ルドラ、どうした?」


『あの鐘の中に精霊の気配がしたんだよなぁ……』


 それはありえない、と俺は思った。

 俺は何も感じなかったからだ。

 精霊ルドラに感じられて、人間おれに分からないことなんだろうか?

 妙にそれが気になるのだった。



 俺とルドラが話している横では、エヴァとセレーネが言い合っている。


「な……何てこと!? あの鐘は精霊に対抗できる至宝なのですわよ! ……それを放り投げるとは、なんて浅はかなのかしら!!」


 エヴァがとっさにセレーネの頬を叩こうと手を出すが、セレーネはそれを軽々と避けて、ついでのように蹴っ飛ばす。

 エヴァは馬車の荷台から吹っ飛び、ゴロゴロと地面を転がって行った。


「知らぬわ!! そなたらこそ、なんなんじゃ!? わらわ達はティタニス退治にやってきた仲間のはずじゃろ? ……にも関わらず、同士討ちとはなんたる愚かさか!」


「ふん。……あんたらの力を借りて勝てても、名をあげられないじゃない!」


「力を合わせるどころか、足の引っ張り合いをご所望か……!! 貴様ら……」


 土まみれになりながら吠えるエヴァと、呆れ果ててため息をつくセレーネ。

 しかし今は人同士が争っている場合ではない。

 俺はセレーネの肩に手を置いた。


「セレーネ、落ち着くんだ。挑発に乗っていてはこいつらと同じになってしまう。俺たちはただ、民を守るために動くだけだ」


「……すまぬ」


 そして俺は目の前にそびえるティタニスの巨体を見上げた。

 今はユミルの樹で縛られているが、幹はミシミシと音を上げ、その束縛が幾何の余裕もないと知らせてくれる。


「行くぞっ!」


 俺は馬を乗り捨て、走り出した。



  ◇ ◇ ◇



「私は鐘を探しに行きますわ。……あなたたちは二手に分かれ、半数は私と行動を共に。半数はローランくんに功を先取りされぬよう、けん制しつつ、必要ならば邪魔をなさい」


 駆け出したローランとセレーネの背中を見て、エヴァは部下に命じた。

 そして自分は黒い法衣についた草を叩き落とすと、さっそく森の方に向かう。

 そんな彼女を、残される方の部下たちはとっさに引き止めた。


「し、しかしエヴァ様の支援がなければ我らだけでは……」


「いつまでも私の魔法頼みでは仕方なくってよ。あなたたちもそろそろ自立なさい」


 エヴァは部下に冷たく言い放つ。

 実際のところ、彼らはエヴァの強化魔法なしではティタニスのしもべ一体に全員がかりで対処するのがやっとの状態だった。

 エヴァとしても自分の強化魔法だけでは精霊へ対抗しきれないため、別行動はできるなら避けたい。

 しかし最終的にはエヴァの持っていた『聖なる鐘』がティタニスに有効な唯一の手段だったため、部隊を分けてでも鐘を探さざるを得なかったのだ。



  ◇ ◇ ◇



「なんじゃ? あの女、森の中に入っていきおった。……あんな小さなもの、見つかるわけがなかろうに……」


 後方を振り向き、セレーネは呆れたようにつぶやいた。

 そしてその視線をこの場に残った教会の兵に向ける。

 彼らはそれぞれの魔法でティタニスのしもべを振り払いながら、自分たちと同じようにティタニス本体へ向かうつもりのようだ。


「……ほほぅ、存外に彼らも頑張るようじゃな。杭を打ち込む魔法に風の斬撃魔法。ユミルの足元に及ばぬにしても植物操作の術者もおる」


「教会の中でも、ティタニス退治に向いてる者たちが選ばれたんだろう」


 教会の者たちを見ると、確かに地属性の精霊に対抗できそうな魔法の使い手が集められているように見えた。

 しかしその力はそれほど強くなく、ティタニスのしもべ相手でもギリギリのようだ。

 おそらくエヴァの魔法で強化することでしのいでいたのだろうが、エヴァがいない状況では彼らの全滅は必至と言えた。


「まったく……足手まといがうろうろされるのは困るんだよな」


 俺は大地に手をつき、ノームの魔法を発動させる。


「ノーム! 強固な岩塊を生み、あの者らの防壁となせ!」


 俺の力を吸収し、ノームは大地に潜る。

 そしてあっという間に教会の兵たちを包む岩壁を作り上げてくれた。

 ……これで当分はティタニスのしもべから守られるだろうし、近くをうろつかれずに済む。

 俺は安心し、ティタニスの山のように巨大な体へと足を踏み出した。



  ◇ ◇ ◇



「……聖なる鐘をぞんざいに投げて、本当に許せませんわ!!」


 エヴァは自分の肉体を魔法で強化し、まるで猿か何かのように枝から枝へと飛び移りながら真っすぐに突き進んでいた。

 一刻も早く戦場に戻らなければ武功をローランに奪われてしまう。

 焦る彼女はせっかく連れてきた部下をいつの間にか置き去りにし、鐘が飛ばされた方角へ跳ねるように飛んでいく。


「そういえばあの女、魔族でしたわね!」


 遥か後方に置き去りにしていることを忘れ、居もしない部下に話しかける。


「……元勇者と魔族の女。なかなかに怪しい組み合わせですわね。どうやってこちらの世界に戻れたのか分かりませんが、ローランくんは魔族と手を組んだという事。……これを世の中に公表すれば、勇者の名も地に落ちる! 皆さんもそう思いません事!?」


 自分が口にしたことだが、エヴァはそれが名案だと思ってしまう。

 そうだ、この作戦が終わった後は王都中に言いふらしてやろう。

 魔族を忌み嫌って恐れる民が聞けば、さぞや勇者の名が地に落ちてくれるだろう。


 しかし懸念があるとすれば、あの魔族の女は民が恐れるほどの醜悪さではないことだ。

 むしろ、自分ほどではないが整った姿かたちだともエヴァは思ってしまう。

 もっと驚くほどに醜くなくては説得力がない。


「くふ……私を足蹴にした報いですわ。あの顔を切り刻んで、醜く彩ってあげましょう。あは、あははははははははは!!」



 その時、エヴァは見知った気配を感じて足を止めた。

 間違いなく聖なる鐘の魔力だ。

 あの鐘は聖王陛下にいただいた特別な魔道具。それ自体が非常に強力な魔力を放っているのだ。


 エヴァは精神を集中させ、自分の五感を魔力で特別に強化する。

 ほんのわずかな異変すら逃さない。

 そして頭上に視線を上げ――木の枝にぶら下がる銀色に光る鐘を見つけた。


「……見つけましたわ。まったく、ほれぼれするほどの強大な魔力……」


 銀色の鐘は、その美しさとは裏腹に漆黒のオーラをたなびかせている。

 エヴァは大きく跳躍すると、うっとりした顔で鐘を手にするのだった。



  ◇ ◇ ◇



「このまま登り、ティタニスのコアを目指す!」


 ローランとセレーネはティタニスのスカートにあたる急斜面に取りつき、一気に駆け上がる。


「ローラン、そなたコアの位置がわかるのか? こんな巨大な体で……」


「ティタニスは昔、鎮魂の儀を行った際につながりが作られてるんだ。今の俺ならなんとなく分かる。……位置的には腹の奥の方っぽいな」


 ローランは頭上数百メートル先にある人型部分の腹のあたりを指さした。

 フレア状に広がっている岩のスカートの、ちょうどすぼまっているあたり。

 おそらく2~30メートルも岩を掘って行けば露出するだろう、とローランは予測した。


「奥の方? どうやってたどり着くのじゃ?」


「聖剣があればスパッと斬るだけなんだが……。地道にノームの力で掘り進めるしかないか……」


 彼が作戦を考えていた時、ふいにセレーネが声を上げた。


「あのエヴァとかいう女、戻ってきおったぞ?」


 その言葉でローランが眼下を見下ろすと、エヴァはすでにティタニスのすぐ前までたどり着いていた。

 そして彼女は高らかに笑いながら、身動きの取れない大地の精霊めがけて腕を振り上げる。あの仕草、きっと鐘を鳴らそうとしているのだ。


「なんと! あやつ、鐘を見つけおったのか!?」


 鐘の音は精霊にとって無数の刃だ。

 音は津波のようにこっちにも押し寄せてくるだろう。

 ローランはとっさにルドラに呼びかけ、風の防壁を体の周囲に張り巡らせた。


 そして次の瞬間、音波を浴びたティタニスの体にひびが入る。


「あはははは。私が一番乗りいぃぃぃっ!! このティタニスを討ち取った者が英雄になるのですっ! 私は聖女。邪悪な精霊を打ち倒す救世主! ティタニスよ、大人しく滅びて、衆目に私の活躍を知らせなさいっ」


 エヴァは踊り狂いながら鐘を鳴らし続ける。

 ティタニスの岩でできた滑らかな表皮は激しく振動し、ボロボロに崩壊していった。


「あははははははっ効果てきめんですわっ!! さすがは聖王陛下の聖なる鐘!! いえ、これを強化できる私が素晴らしいのですっ!!」



 もちろん風の防壁で遮断されているのでエヴァの声はほとんど聞き取れないが、エヴァの様子を見ればだいたい何を言っているかローランには想像がついた。


「エヴァ、止めろ! そんな攻撃してたら、ユミルの束縛が解ける……!」


『オレの風で壁作ってるから、あのねーちゃんには声聞こえてね~と思うぜぃ』


「そうか……っ」


 ルドラの指摘でローランは焦った。

 このままティタニスの表面を崩し続けたらやせ細り、せっかくユミルの大樹で縛り付けたのに緩んでしまう。

 エヴァにそのことを伝えたいが、彼女が鐘を鳴らし続ける限り、声を届けることも彼女に近寄ることも不可能だった。


「わらわが降りて止める!!」


 セレーネはそう言うが早いか、一気に斜面を飛んで降りて行った。



  ◇ ◇ ◇



「あはっ私は救世主! 私こそが英雄! 世界は私にひれ伏すのだわっ! そしていずれは聖王も超え――」


 エヴァが半狂乱で鐘を鳴らしていた時、背後からの衝撃で吹き飛ばされた。

 激しく地面に叩きつけられた後に振り向くと、そこには足をけり上げた姿のセレーネが立っていた。


「やめいっ! せっかくわらわが作った束縛が解けるじゃろ!」


「はぁ? なにを言ってるのかしら」


「あぁ……もう遅いわ、愚か者がっ!!」


 セレーネはそう言ってティタニスを指さす。

 エヴァがつられて視線を移すと、目を疑う光景が広がっていた。

 ティタニスの全身にひびが入っており、その中央が崩れ落ちたかと思うと、中から一回り小さなティタニスが現れたのだ。


 小さくなったと言っても、それでも身長は100メートル近くはあろうかという巨体。

 そして動きは緩慢だった以前とは異なり、身軽そうな装いと共に速くなっている。

 エヴァが呆然としている間に、すぐに目の前まで来ていた。


「えっ、はっ!? ちょっと、来ないでよっ!」


 エヴァはとっさに鐘を鳴らすが、目の前の新たなティタニスにはほとんど効果が見受けられない。ほんの少しだけ表面が取れるだけのようだった。

 そして、ティタニスの足が轟音と共に迫り、エヴァにぶち当たった。

 彼女は勢いよく吹っ飛んでいく。


「まさか死んだか!?」


 セレーネが落下するエヴァの元へ向かうと、たどり着いた先では、傷が回復しつつあるエヴァの姿があった。

 普通なら衝突で死んでもおかしくない衝撃に見えたが、エヴァは驚いたことに生きている。

 しかしその表情は恐怖で歪んでいた。


「痛みと恐怖で戦意を喪失しおったか。……自業自得じゃがの」


 セレーネが手を下すまでもなく、エヴァは自らの失態で敗北したのであった。

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