第27話『英雄の帰還』

「お帰りなさい、ローラン様!」


 高い空で浮遊しながら、俺の腕の中にいる女性はとても嬉しそうに微笑んだ。

 その頬を流れる涙を見るに、きっと恐ろしい思いをしたんだろう。


 彼女はグランテーレ聖王国の王女ルイーズ様。

 下民を人と思わない王侯貴族の中にあって、珍しく身分の差を気にしないお人だった。

 ……裏切る前のラムエルやエヴァも表面上は同じだったが、さすがにルイーズ様まで裏の顔があるなんて思いたくない。


 社交界よりも精霊や神話の物語が好きな彼女。

 勇者を補佐してくれた研究者としての彼女。

 その無垢な瞳は今も変わらずに輝いている。

 人間界に戻れたことを何よりも実感できる瞳だった。


「あの……ルイーズ殿下……」


「……その『殿下』という呼び名は不要です。私は王族ではなくなったので……」


 「どういうことか」と聞くと、彼女は王に捨てられたという。

 詳しい話を聞いている余裕はないが、王国でなにかとんでもないことが起きているようだ。

 ……ただ、とりあえず今現在のとんでもない状況をなんとかしなくては。


「で……では、ルイーズ……さん」


「はい、なんでしょうっ?」


「あの……。服、ないんですか? なんで……下着だけ……」


 俺は気まずくなって視線をそらす。


「ご、ごめんなさいっ! 逃げる時に邪魔でしたので、捨ててしまいまして……」


 ルイーズさんもようやく我に返ったのか、恥ずかしそうに身をよじった。

 ……身をよじったぐらいじゃ、何も隠せてないんだけど。

 俺は目を閉じたまま、肩に羽織っていたマントを彼女にかぶせる。


「ひとまず……それで我慢しててください」


「ありがとう……ございます」



  ◇ ◇ ◇



「……なんなのじゃ。遠くから見ておれば、いちゃいちゃと……」


 ルイーズさんを抱きかかえて着地すると、セレーネが腕組みしてふてくされていた。


「……そりゃあ、そなたも久々の人間界ということであれば、懐かしい顔に巡り合えばうれしかろうよ? しかし下着姿でうろついているとは、いささか不健全ではないかのう……。それをだらしなく見ているそなたもそなたで……」


 セレーネはぶつぶつ言っているが、ルイーズさんを痴女扱いするのは良くないぞ?

 必死に逃げるならスカートぐらい捨てるだろうさ。

 それに俺はだらしなく見ていない!

 俺は「おほん」と咳払いし、セレーネの独り言に割って入る。


「この方はルイーズさん。聖王国の王女……だった方だよ。俺が勇者をやってた時にいろいろと補佐してくれたんだ」


「王女……だった・・・? なにやら訳ありじゃのう」


 その時、ルイーズさんが俺の袖をひっぱった。


「あの……ローラン様、そちらの方は魔族でいらっしゃ……る?」


「わらわは魔王スルトの娘、セレーネじゃ。魔界に置き去りにされたローランを保護することになっての。今は彼と契りを結んでおる!」


 セレーネは「ふんす」と鼻息を鳴らし、どや顔でのけぞった。

 その言葉を聞き、ルイーズさんはハッと俺を振り返る。


「ちぎり……? ご結婚なさったんですか!?」


「ち、違うっ! セレーネ、紛らわしい言い方をするなよっ! 俺は彼女に救われ、共に魔界を良くしていこうと、そう約束した仲なんだ。」


「そ、そうじゃな。契りといっても、その、契約的なアレで……」


 急にしどろもどろになるセレーネ。

 なんだか彼女はテンションがおかしい気がする。

 人間界に来て緊張してるんだろうか?


「そういえばローラン様……」


「ん?」


「ローラン様はお亡くなりになったと兄が言っておりました。それなのにこうして元気でいらっしゃって、私はもう、なにがなんだか……」


 確かにルイーズさんが混乱するのも無理はないよな。

 しかしさすがに長話をしすぎだ。

 俺の使命はティタニスを鎮め、民を守ること。

 俺は強引に話を断ち切って、山の方を見つめた。


「説明はあとだ。今はとにかくティタニスを鎮めたい。ルイーズさんは離れていてくれ」


「……そ、そうでした。……兄を! ティタニスは兄を追ってるんです! 兄を捕まえないと、ティタニスは止まりませんっ!」


「そうなのか!?」


 俺はとっさに背後に目を向ける。

 しかしラムエルの姿はどこにも見えなくなっていた。

 セレーネを見ると、彼女も首を横に振る。


「すまぬ。……あんな貧相な男がそんな重大な存在だとは思いもよらなんだ。どこに行ったのか、見ておらんかった……」


「セレーネは何も悪くないさ」


 そして俺は目をつむり、あたりの気配に集中する。

 ……しかし聖剣の力を頼りにしても見つからない。

 ラムエルは契約精霊じゃないから当然なのだが。

 聖剣の気配を探ろうと試しても見たが、それもダメだった。

 おそらく彼が持つ聖剣は抜け殻同然だからだろう。


 その時セレーネが山の方を指さした。


「ローラン。ティタニスあやつが尾根を越えるぞ。あのままではふもとの集落が全滅じゃ!」


「もうラムエルを探している暇はない。行くぞ、セレーネ!」


「うむっ!」



  ◇ ◇ ◇



 俺はルドラを召喚すると、セレーネを乗せて飛翔した。

 目指すはティタニスのところだ!

 セレーネは俺の隣でハンマーを振り上げるが、近づくごとに大きく見えるティタニスを見上げ、表情が険しくなっていく。


 眼下を見下ろせば、山際の集落に人影がみえた。

 逃げ遅れたんだ。それに簡単には動けない人だっているだろう。

 今、ここでティタニスを食い止めなくては犠牲がでてしまう。


「ローランよ、策はあるのか? あれは山に等しいが……」


「ティタニスは動きが遅いし、大きいから攻撃が当てやすいところが弱点だな。……まあ止まってくれないし、鉄壁の守りでコアに手が届かないんだけどな」


「それはマズい奴ではないか!」


 そう、マズい。

 しかし、俺はそれほど懸念にも思っていなかった。


「要するに止められればいいんだ。再契約は止めてからゆっくり考える!」


「んなっ! 止まらんのじゃろ!?」


「止められるさ。俺と君となら」



 俺は山際の集落に降り立つと、山頂を見上げた。

 天を貫くほどの巨体が、今まさに尾根を越えようとしている。


 ……その蹴り出した脚が尾根にぶつかり、軽々と粉砕した。


 目の前の山は崩壊し、無数の岩なだれとなって襲い掛かってくる!



「――汝の名はルドラ! 魔界の風よ、山体を取り囲み、ユミルの種を運びたまえ!」


 俺は叫び、腰に身に着けていた鞄の蓋を開ける。

 ルドラは中に入っていた木の実を運び、烈風となって山のあちこちに運んでいった。


「ユミルじゃと!? 魔界の大樹の実を、いつの間に!?」


「生態調査で化石森の山に言った時に集めたのさっ。そしてここからは君の出番だ。……セレーネ、山全体に魔法を使ってくれ!」


「ダメじゃ。わらわの力は腐敗と風化。岩を砂にしても土砂崩れは抑えられぬ!」


「腐敗じゃないんだ。とにかくやってみてくれ! うんと弱い力で。卵を持つよりも弱く、綿毛をつまむよりも弱く!」


 その問答をしている間に、岩塊はすぐ目の前に迫る。

 逃げまどう住民は背後で悲鳴を上げるが、その声さえも地鳴りの音に飲み込まれていく。


「…………!? わけが分からぬが、そなたを信じるぞ!?」


 セレーネは地面に両手を置き、目をつむって集中する。

 彼女の全身が淡く輝いた瞬間、かすかな波動が周囲に広がっていった。


 ……と、その時。

 山を覆う木々が揺れた。

 ざわざわと音を立てながら揺れ、伸びている。

 そして次の瞬間、城の塔ほどはあろうかという巨大な苗木が地面から吹き上がった!


「な……なんじゃぁっ!?」


「想像通りだ。樹は大地に根を張り、支えてくれる! いけ、いけ、いけぇぇぇっ!!」


 あの巨大な苗木こそが魔界の大樹ユミル!

 それはみるみると成長し、崩落する山肌に根を張り、網の目のように包み込んでいった。

 勢いは止まることなく、ティタニスの体にも食い込み、がんじがらめにしていく。

 そしてついに、土砂崩れごとティタニスの動きを封じ込めてしまった。



  ◇ ◇ ◇



「奇跡だ! 助かった!」

「あなたはまさか、ローラン様!?」

「そちらにおわす女性はなんと美しい……。女神様であろうか……」


 背後からは住民たちの大歓声が沸き起こる。

 そんな称賛をあびつつも、セレーネは目の前の奇跡が信じられないようで、ぽかんと口を開けていた。


「……なにが起こったのじゃ? ローランがやったのか?」


「俺じゃないさ。俺の力じゃユミルの樹一本でも無理なの、知ってるだろ?」


「では誰のお陰じゃ? わらわにはこんな芸当……」


「君の力だよ」と、俺はセレーネの肩を叩いた。

「セレーネの魔法……それはおそらく『腐敗』じゃない。『時間加速』なんだと思う」


 農場で彼女が腐葉土を作っていた時を思い出す。

 力を使った場所の周囲では、植物は枯れるのではなく育っていた。

 おそらく彼女の魔法の影響が弱かった場所では時間の進み方が適度だったから、枯れるのではなく成長にとどまったのだ。

 セレーネは力みすぎるから腐らせてただけなのだ。


「わらわの力が『時間加速』……。いままで、ずっと忌まわしい力と思っておった。ただ破壊するだけの力だと。……こんなわらわにも、育てることができるのじゃな」


 しみじみとつぶやくセレーネ。

 そして振り返った時、彼女は微笑みながら泣いていた。


「ローラン。気付かせてくれて、ありがとう……」


 その涙が俺の胸を打つ。

 かつて父の腕を奪った力が、今度は多くの人々を救った。

 その複雑な心境は、きっと俺の想像もできないほどだろう。


 だけど一つだけ確信できた。

 セレーネは過去の後悔を乗り越え、大きな一歩を踏み出した。

 魔王スルトの右腕として、英雄セレーネも帰ってきたのだと――。

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