第26話『聖王国side:勇者のふるまい』

 王女ルイーズは塔の一室で幽閉されながらも、周囲の異変を察知し、おおよその状況を把握できていた――。


「エヴァさんが来たこと、そして先ほどの恐ろしい音から……ここがティタニス封印の地近くの教会なのは間違いありませんね。私の最期とは、大精霊ティタニスの暴走の巻き添え、という意味だったのでしょう……」


 私は言葉にしながら、状況を整理します。


「……ここで終わるなんて、残念です」


 エヴァさんは私が死ぬ運命とおっしゃっていました。

 このまま死ぬまで幽閉されているか、どこかで死刑になるか……。そんな可能性も考えていましたが、それは違ったようです。

 死ぬのは今日、ここで。復活した大精霊ティタニスはもうすぐ近くに来ている。……尋常ならざる破壊音が、その接近を教えてくれていました。

 それに、もし都合よくここにティタニスが来なくても、死刑執行人に連れ出されてティタニスの元に送られるのでしょう。


「待てばお父様の誤解が解ける日が来ると信じていましたが、もう無理なのですね。……お父様との関係まで終わるなんて、本当に残念なこと」


 お父様……ディヴァン聖王陛下のお心が分からないままに死ぬのは嫌でした。

 誤解が解けないにしても、対話できる機会があると期待して、私は何もせずに待っていた。

 ですが、諦めるしかありません。

 逃げるなら今しかないのです。

 私は目をつむり、しばし祈ります。……愛しのローラン様に。


「ローランさま……。私に勇気をください」


 ここを逃げても、外の世界に味方はいません。

 味方がいない世界で、たった一人で生きていく。

 それはかつてのローラン様も同じでしたね。

 あなたの勇気を、力を、ほんのわずかでも私にください。

 必ずや生き延びて、あなたが目指した平和で平等な世界を作ります。


 私が祈り終わったとき、スカートの一部分がモゾモゾと動きました。


「ごめんなさい。あなたも逃げたいでしょうに……」


 そう言って、私はスカートの裾につくった結び目をほどく。

 その布の内側からは一匹のネズミが顔をのぞかせました。

 このネズミ、この牢獄の中で餌付けして捕まえていたのです。

 ――すべては私が牢を脱出するための準備のために。

 私は小さな獣を両手で包み、魔力を注ぎます。


「ネズミさん。少しの間、その体を借りますね」


 魔力は親から子に受け継がれるもの。

 この国では魔力を持つ血筋は王侯貴族となり、魔力のない平民と区別された特権階級として君臨してきました。

 私はそんな差別を生む力が嫌いだけど、今だけは王族の子として生まれたことに感謝します。


 ネズミを抱きしめたままベッドに横たわり、さらに魔力を込める。

 その瞬間、私の視界は途切れました。



  ◇ ◇ ◇



 細い指をかき分けて、私は外に出ます。

 無事に意識をネズミに移せたようですね。目の前には目をつむっているルイーズ自分自身の体がちゃんと見えました。

 使い慣れないので違和感がありますが、ネズミの体も問題なく操れています。


 私、ルイーズの魔法は『憑依ひょうい』。


 触れた生き物に精神を移し、一時的に動かすことができます。

 魔法自体を嫌っているので使い込んでいませんが、経験上、自分より小さな動物なら一時間ぐらいは自由に動かせました。

 当然、その生き物に出来ることしか出来ませんが……。

 あと憑依している間はルイーズ自身の体が完全に眠ってしまうので、ああしてベッドの上など安全な場所でしか魔法が使えません。



 では行きましょうか。


 目的地はおおよそ見当がついています。

 ここは教会。それも聖王直轄領の教会でしょうから、何度か訪問したことがあります。

 鍵を持っているのは司祭あたりでしょうか。

 教会の間取りを思い描き、司祭の執務室へ向かいます。


 ……しかし、目指していた部屋は厳重に鍵がかかっていました。

 なんていう事。

 これではどうにもできない……。


 エヴァさんがこの教会に出入りしていたことを考えると、ティタニス復活について知らされていたことは想像に難くありません。

 しかしネズミの入る隙間すらないとは、ちょっと困りました……。


 その時、頭の中に声が響いてきました。


『聖ナル剣ヲケガス、愚カナ王子ヨ……。精霊ノ至宝ヲケガス、愚カナ小サキ者ヨ……。ソノ命ヲモッテツグナウベシ……ツグナウベシ……』


 ……何という暗く恐ろしい女性の声。

 そして直後にドゴンッと大きな音がして、建物自体が大きく揺れます。

 何かが、直撃したのかもしれません!

 私の精神が消えていないので、上階で眠っている私の体は死んでいません。しかし大けがを負っている可能性はあるため、油断はできません。

 ……もう時間がない!


 焦りながら周囲を見回した時、壁が崩れて小さな穴が開いているのを見つけました。

 これならネズミの体を使って入れそう……。

 私は穴に向かってよじ登り、司祭の部屋へ入るのでした。



  ◇ ◇ ◇



「……もど……れた」


 ハッと目覚め、私は手元を見ます。

 手の上には私がネズミを操作して見つけた鍵が乗っている。

 司祭の部屋で鍵を見つけ、計画通りに牢の中に鍵を運び込めました。


 自分の体を確認しますが、どこも問題ないようです。

 横目に見ると、先ほどまで憑依していたネズミが逃げていくところでした。


「ありがとうございます。……どうか、無事に逃げて」


 ネズミにそう告げ、私はすぐに扉の鍵を開け、脱出します。

 そして見下ろすと、階段の途中には巨大な岩の棘が刺さっていました。

 これはティタニスが放った岩の槍なのでしょう。壁をぶち抜き、階段を破壊していました。


 でも、この状況はすでにネズミを操作していた時に確認済みです。足場になりそうな地点も把握できている。

 躊躇ちゅうちょなんてしていられない!

 ローラン様を思えば、ただただ勇気が湧いてくるんです!

 邪魔なスカートを脱ぎ去って、私は一気に駆け降りていきました。



  ◇ ◇ ◇



 教会の塔が崩れていく……。

 その音を背後に聞きながら、私は無事に脱出できていました。

 ……しかし喜ぶなんて全くできない。

 なんという神の意地悪なのか、会いたくもない人の姿が、私の目の前にありました。


「ルイーズ……こんなところにおったのか」


「お兄様。先ほど頭の中に響いた声の言っていた『王子』とは……やはりお兄様のことだったんですね」


 「聞いてしまったのか」と言わんばかりの怒りの形相。

 しかし一度は殺されそうになったため、意外なことに私は冷静でいられました。

 そもそも兄は煌びやかだった装いが土まみれ、傷まみれ。見るからに弱々しい姿です。

 ……まあ、私もスカートを捨ててあられもない下着姿ですので、どっちもどっちですけれど。


 兄に視線を向けると、その向こうには巨大な女神像が見えました。

 女神像はまるで動く山のようであり、歩み、ゆっくりと迫って来る。

 あれがきっとティタニス。

 ……兄の不始末で目覚めてしまったんですね。

 ここで食い止めなければ多くの人々が犠牲になってしまう。


 そんなことを考えていた時、私はハッとしました。


「ティタニスはもしや、お兄様を追っているのではありませんか? そうであれば、なぜここまで逃げてきているのです。お兄様がいたずらに動けば、被害はただただ広がっていくのですよ」


「うるさいわっ! 俺に死ねと言うか。父上も、お前も、騎士も、誰も彼もがっ!! だったら全員を道ずれにしてやるわ。このままどこまでも逃げ、世界を焦土に変えてやる! あはぁっ! あはっあはっ! お前らが悪いんだ。俺を追い詰めたお前らが悪いんだぞ!!」


「なんて……みにくい。それが勇者のふるまいですか、お兄様!! 王族の責任を、なんとお心得か!!」


 もう王族の誇りなど、兄からはみじんも感じられない。

 ただひたすらに矮小な男がそこにいました。


 その時、兄の体すれすれを岩の槍がかすめました。

 地面をえぐる爆音が響き、兄はそれに遅れて悲鳴を上げます。


「ひ……ひぃぃ。岩が、岩があぁぁ!!」


「いけない。また、次の槍が……!」


 ティタニスが掲げた手のひらから眩しいばかりの光が発せられ、複数の岩の槍が射出される。

 それは間違いなくこの場所に飛来し、兄を串刺しにする射線を描いている……。

 その時、兄は私の方に走り出した。


「どけ!! お前が死ね!!」


 兄の目はらんらんと輝き、醜く顔が歪んでいる。

 そして私に体当たりすると、走り去っていった。


 私は兄から視線を外し、岩の槍を見る。

 ああ、もう眼前。とても避けられない――。



(…………ローランさま。いま、あなたの元に参ります。あなたを想えて幸せでした)


 目を閉じ、祈る。

 そして、私の体は……。


 ……私の体は、なぜか暴風に包まれた。

 不思議な浮遊感に包まれている。


 これが死の瞬間なのかしら……?

 痛みはない。

 それどころか、たくましい体で温かく包まれているよう。


「ルイーズ殿下、ご無事ですか?」


「…………この……声」


 ひどく懐かしい声が耳元で聞こえた。

 信じられない気持ちで、私は目を開ける。

 ……そして、息をのんだ。


「あ……あぁ……会いたかったです、ローラン様っ!! 死んで最初にお会いできるなんて、なんて嬉しい……!!」


「死んでないさ。俺も、殿下も」


 確かに現実感のある肉声。

 そして目の前で微笑む懐かしいお顔。

 それは見間違えることなんてあり得るわけがない。

 勇者ローラン様……その人でした。


 そして私は気付きます。

 私は彼の両手で抱きしめられ、空を飛んでいました。

 眼下を見下ろせば地面に刺さった巨大な岩槍。そして呆然とこちらを見る兄の姿。

 そしてローラン様は以前よりもたくましくなったようで、その微笑みが私の胸を高鳴らします。


「ただいま戻りました。ルイーズ殿下」


 ローラン様の声を聞いた時、あふれる涙が止められなくなりました。

 会いたかった。

 ……会いたかった!

 お亡くなりになったなんて、信じたくなかった!


「お帰りなさい、ローラン様!」


 それは魔界遠征からお帰りになった時に言いたかった言葉。

 涙が流れて止まりません。

 私は人目をはばからず、ぎゅっと彼を抱きしめるのでした――。



 = = = = = = =

【後書き】

お読みいただき、誠にありがとうございます!

ついに人間界に降り立ったローラン。いよいよ決戦の始まりです!

もし「面白かった」「続きが気になる」と少しでも思ってくださった方は、作品のフォローや★評価で作品へ応援いただけると嬉しいです!

なにとぞよろしくお願いいたします。

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