第25話『聖王国side:偽勇者は放っておけ』

「なぜ……? なぜ俺ばかりを追い回す? 犠牲になるなら、下民共が先ではないかっ!」


 明らかにあの岩の化け物は俺を……このラムエルを狙っている。

 俺は馬を駆り、ただひたすらに山道を転がるように逃げていた。


 あのティタニスとかいう精霊……姿かたちこそ美しい彫刻のようだが、その顔に浮かべた憤怒の形相は俺を常に見ている。

 腰から下に広がるスカートの形はまさに山であり、両腕をひとたび掲げれば、虚空に作り出した無数の大岩を大砲の玉のように打ち出して来る。

 いかに俺の聖剣の切れ味が鋭かろうと、あんな巨大な塊を受け切れるわけがない……!


 ドゴゥという轟音があたりに響き、大岩が突き刺さる。

 俺と言う的が小さいせいか当たらずに済んでいるが、それでも徐々に的が絞られているように見えた。

 その時、風を切り裂く音が響き、振り向くと大岩が眼前に接近していた。


「ひぃぃっ!」


 俺はとっさに馬を蹴り、飛ぶ。

 背後では振動と共に馬の断末魔の悲鳴が響くが、知ったことではない。

 次の瞬間、俺は下り斜面に沿ってゴロゴロと転げ落ちていった。



 ……痛い。

 どこを打ち付けたのか分からないほどに全身が痛い。

 しかしまだ生きている。

 頭上を見上げれば、そこには恐ろしい女神像の視線。

 明らかに俺を睨んでいる。


「や、やめてくれ。何が悪かったのか分からぬが、俺が悪かった。だから、どうか命だけはっ!」


 しかしティタニスは沈黙したまま、その視線は俺から離れない。

 逃げなくては……!

 くそ、足がもつれる。膝が震えて力が入らない。

 それでも、ここを、脱しなくては……!


 なぜ自分ばかりが!?

 いつからこうなった?

 俺が勇者と名乗った時から?

 ローランを殺した時から?

 それとも奴を……うらやんだ時から?


 馬鹿な馬鹿な馬鹿な。

 あんな下民をうらやむなど、あってはならぬ。

 俺は王族。すべての人間の頂点に立つべき人間なのだ!


 俺は訳も分からず叫びながら、山を下って行った――。



  ◇ ◇ ◇



「騎士様、お助けいただきありがとうございます……」


 ティタニスが復活した地では村人が高台に避難し、恐怖で震え、共に慰め合っていた。

 彼らの避難を助けた騎士団長ノエルは、配下の騎士たちに指示し、住民の避難状況を確認している。

 すでにティタニスはラムエル王子を追って通り過ぎていったため、この地にさらなる被害はなさそうに見える。

 安堵しながら、ノエルは村民に視線を送った。


「みな、怪我はないか?」


「はい。……しかし、もうここでは暮らせませぬ。地は割れ、家は飲み込まれましてございます。これではもう……」


「王子が憎い……。……何が勇者ですか。ローラン様が守ってくださっていた土地が、台無しに……」


 ティタニスの声は誰にも等しく聞こえていたようだ。

 「ティタニスは眠りを妨げた王子に怒り、荒ぶっている」……その事実が広まっている以上、彼らの落胆と憎しみは仕方がないと言えた。


「……今の言葉、聞かなかったことにする。不敬は慎むがよい」


 王家に仕える騎士として、不敬な発言を聞き流してはならない。しかしノエルは彼らを責める気持ちになれなかった。



 近衛騎士団の団長であるノエルは、ラムエルの動向を監視するためにここに来ていた。

 ラムエル王子が果たして勇者の名にふさわしいかを見定めるためだ。

 もちろん判断するのは聖王陛下ご自身だが、ノエルが見るだけでも、ラムエルは勇者の器どころか王族の器にもふさわしくない。


 ローラン殿を殺害した疑惑で王子が出頭を命じられた時のことを思い出す。

 彼がローラン殿を殺したのはおそらく真実なのだろう。

 騎士の立場では殺害の理由や目的など知りようがないが、少なくともラムエル王子にローラン殿への嫉妬心があったことは確実だ。

 ノエルは間近でラムエル王子を見守ってきたため、その心情に気づいていた。


「……私は仕える人間を間違っていたのだろうか?」


 誰にも聞こえないほどの声でノエルはつぶやく。

 彼は王家の盾であることに誇りを持っていたが、もしかするとその誇りのお陰で王子の過ちを見過ごしてしまったのかもしれない。

 ノエルは目の前の被害を目の当たりにし、後悔をつのらせた。



「ティタニス様がお怒りじゃ……。あと山を一つ越えれば、ふもとの集落に出てしまいますぞ……」


 村人の一人が遠くを指さす。

 その先では巨大な山が動いていた。

 フレアスカートのような姿かたちは貴婦人のようだが、山全体を撫でるように進むため、木々は押し倒され、山々は崩壊していっている。

 まさに神の怒りを具現化したような惨状だ。


 ラムエル王子の姿はもう見えないが、山のようなティタニスの居場所によって、だいたいの場所が想像できる。

 山をくだれば、そこから先は聖王陛下の直轄領。

 住まう民が増え、被害がさらに深刻になる。


「ラムエル殿下。……そう逃げていてはティタニスが無用に動き、被害が広まります。王族ならば誇りをもって立ち止まり、民を守ってくださいませ……」


 ノエルは逃げ去ってしまった王子へ向かって語り掛ける。

 その声は、もう届くことはないのだが。



  ◇ ◇ ◇



 騎士団長ノエルの祈りは伝わることなく、ラムエル王子はすでにふもとの村まで到達していた。

 この村は聖王の直轄領にあり、もちろん王子の顔も知れ渡っている。

 そこにボロボロの姿の王子がたったひとりで現れたのだから、住民は驚きで迎えるしかなかった。


「……まさか王子様でございますか!?」

「数刻前から地響きが鳴りやまず、民はみな不安がっております。……いったい何が?」


 しかしラムエルは聞く耳を持たない。

 あたりを見渡し、馬がいないことを知ると叫んだ。


「馬を寄こせっ! 馬を、俺の元へ連れて来い!」


「は……はいっ!」


 住民の一人がうなずき、厩舎へと駆けていく。

 その時、他の住民が山の方を指さした。


「あ……あぁぁ……。なんだあれは! 巨大な……女神像?」

「ラムエル殿下、いったい何が起きたのです!?」


「うるさい! とにかく馬を寄こせ!!」


 ラムエルはもはやティタニスを見ている余裕はない。

 むしろ恐ろしくて見たくない。

 住民ににらみを利かせ、叫ぶだけである。


 馬を失ってからは転がるように下山したため、どこが痛いのかも分からないぐらいだ。

 ティタニス自身の速度はそこまで速いものではないらしく、なんとか距離を稼ぐことが出来た。

 住民の反応を見る限り、そこの尾根の向こうから女神の頭が見えたところだろう。


「くそ、待てぬわ。俺を厩舎に案内せい!」


「で、では私が……」


 しびれを切らして住民に詰め寄った時、ラムエルの足元でガシャリと音がした。

 ハッとして振り返ると、聖剣を携えていたベルトがちぎれ、鞘ごと聖剣が地面に落ちていた。


「くそ。斜面を転げた時か」


 おそらく馬から飛び降りた後の衝撃でベルトが傷ついたのだろう。

 聖剣を拾い上げようとした時、案内役を買って出た住民が既に手を伸ばしていた。


「勇者様、聖剣が落ちましたっ」


「おいやめろ! 触れるな不敬者!!」


「え?」


 ラムエルが制止したが時すでに遅く、住民は聖剣を持ち上げ、ラムエルに差し出しているところだった。

 まわりの住民はその様をみてざわめき始める。


「殿下の聖剣が……持ち上げられて……いる?」

「いや、そんなわけないだろう? 聖剣ってやつは勇者様以外には持ち上げられないはず……」

「まさか、その剣は偽物では?」


「な……何を言うか。不敬であるぞ」


 住民の目にはみるみると疑いの色が満ちていく。

 さすがのラムエルも精神がすり減っており、普段は斬って捨てるような住民の態度にも、弱々しく反応するしかできなかった。


「王子様、聖剣の偽物を使って、勇者とか言ってたのか?」


「け、剣を寄こせ!」


「偽勇者なのか?」


「ち……ちがう。こ、これは何かの間違いなんだ……」


 妹のルイーズにもバレ、こうして民にも知られてしまった。

 この話が広まってしまっては、自分の居場所がなくなってしまう。

 ラムエルは無意識のうちに聖剣を抜いていた。


「斬る」


「ら、乱心だ。王子様がご乱心なさった!」

「偽勇者め! あんたのお陰で、この土地はもうダメだっ!」

「逃げろ! 偽勇者なんて放っておけ!! 精霊様がお怒りだ!」


 ラムエルは剣を振りぬいたが、怪我と疲労でまともに動けるわけもなく、空振りに終わる。

 そうこうしている間に、住民は馬を連れて散り散りに逃げて行ってしまった。


「おい、馬は……、馬は置いていけ。逃げるな! 俺を置いて逃げるなぁぁぁっ!!」


 ひとり取り残されたラムエルは接近してくる地響きを背に、むなしく叫ぶしかなかった。



  ◇ ◇ ◇



 ――その頃。

 ラムエルのいる場所からそう遠くない場所に建つ教会。

 その塔の上では、ルイーズ王女が心細く震えていた。


 近頃はずっと唸るように響いていた地鳴りが、数刻前の激しい地震の後、明らかに大きな音に変化した。

 まるで大砲の音のような恐ろしい響きだが、幽閉されているルイーズは状況を知りようがない。

 それでも、精霊を深く知るルイーズにとって、この異変の原因は明白だった。


「精霊ティタニスが、ついに目覚めたのね……。お兄様はやっぱり失敗したのだわ」


 もちろんルイーズ自身は自分がいる場所がティタニスの封印の地から近いとは知らない。

 それでも様々な情報と地震と言う事象から、ほぼ疑いないと睨んでいた。


 牢にあるたった一つの窓は頭を出せぬほどに小さく、あたりの景色が全く見えない。

 その時、今までにない振動が塔を揺らした。

 すぐ近くに何かが落ちたような音。

 自分が危機的な状況に置かれていることに、もはや疑いようがなかった。


「ローランさま……。私に勇気をください」


 ルイーズは震える手を合わせて祈った後、目を開く。

 その眼差しは、何かを決意したようであった。

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