第18話『セレーネ』

 魔王城の私室から満月を見上げ、私は幼少の囚われの時代を思い出していました。


 自分の体がずいぶん小さい頃だったので、10年以上は昔のことだったかもしれません。

 そこがどこかも分からない場所で、酷い痛みと孤独に耐えていました。


 冷たい鉄の部屋で体を切られる日々。

 暗い牢獄に閉じ込められる日々。

 ……そんな地獄から私を救い出してくれたのが、ローラン様でした。


 彼が聖剣や精霊の力を使っていた覚えはないので、おそらく聖剣適合者勇者になる前のことだと思います。

 ローラン様は牢獄の壁を外から削った後、私の手を引いて逃げてくれました。

 体中の傷が痛かったけれど、私、嬉しかったです。

 牢獄の小さな窓からしか見えなかった月が、その時は本当に大きく見えた。

 あの夜に見た満月は、私にとって解放の象徴になりました。


 傷ついた私が落ち着くように、いろんな話をしてくれた。

 「君の瞳は金色の満月みたいだね――」

 「月と言えば女神セレーネの神話があって――」

 ……そんな風に語ってくれたお話が私を癒してくれました。


 私の解放の象徴。

 そしてあなたにもらった物語。

 だから、私の名前はセレーネなのです。


 ……その後、ローラン様となぜ離れ離れになったのか覚えていない。

 幼い頃のローラン様との記憶は、いつも最後がおぼろげに消えてしまう。



 私はたまらなく苦しくなり、ベッドに倒れ込んで寝具を抱きしめました。

 彼を思うと心が温かくなり、同時に不安に駆られてしまう。


「……ローラン……様…………」


 私の勇者。

 私の救世主。

 どこにいるのか分からない彼を、幼い頃からずっとずっと求めていた。

 そんな彼との再会が、まさか首だけの姿になった後だなんて――。


 彼が人間界から来た賊であったと知った驚き。

 父と殺し合いをした事実。

 そして彼が仲間に裏切られ、首を落とされたという悲劇。

 ……それらのことを、城でおびえながら隠れていたマリヤさんから聞きました。


 その時の感情をどう表せばいいか分からない。

 たぶん、発狂していたんだと思う。

 自分の命を使うことに、ためらいなんて当然なかった。


 もう彼を失いたくない。

 どこにも行ってほしくないんです……。



 気が付くと、枕が涙でしっとりと濡れていました。

 胸が苦しくて、窓から見える満月を見つめます。


「……お父様、ごめんなさい…………」


 誰もいない虚空につぶやく。

 ……こうやって謝ったつもりでいる自分が嫌です。

 父が「自分を蘇生しなくていい」と言っていた事実はありません。

 魔王の養女として、魔界を想うべき者として、蘇らせるべきは魔王スルトのはずだった。


 だけど、私はためらうことなくローラン様を蘇らせた。

 私に与えられていた、一度しか使えない秘術を……。

 あまりにも勝手だと思います。

 私は魔界の行く末より、一人の男性を選んでしまったのだから。


 だから、私には魔王を名乗る資格がありません。

 魔界を背負う資格はないのです。

 せめて、このちっぽけで寂れた領地の人々に償うことしかできない。

 ……自分が、大嫌いです。



  ◇ ◇ ◇



「ルーナ様の方がなんですから、無理に偉ぶって話さなくてもいいのですよ」


「マ、マリヤさんっ。……お、お願いだから、『様』って……つけないで……」


 ギムレーの町の農場で草刈りをしてた時、マリヤさんがため息交じりに言いました。

 たぶん、先ほどセレーネの姿で町の人々を鼓舞していたことを言っているのだと思います。

 「セレーネ」の時に無理して領主の演技をしているの、彼女にはバレバレなんですね……。

 マリヤさんは城の侍従の中でも私の裏と表の顔を知っている数少ない友人なので、二人きりの時にはこうして気を遣わず話してくれます。

 彼女の方が年下で体も小さいのに、私よりも堂々していて立派だと常々思っています。


「……ルーナさん・・の方が、町の人も親しみがわくと思うのですよ」


「……こ……これでもりょ、領主なので、相応の立ち振る舞いが大事って……お、思うんです。…………普段はほら、……こ、こんな風に、まともにしゃ、しゃべれないし。顔を隠さないと、緊張で人をみ、見れないし…………」


 自分でも嫌になるほど、普段の私は引っ込み思案でした。

 だから『ちゃんとするべき時』にはセレーネの姿になり、口調もお父様の真似をすることにしています。

 姿を変えると別人になったみたいで、嘘のようにペラペラと話せるようになるのが不思議でした。


「分かりましたですよ、ルーナさん・・・・。……ところで今日は、領主さまであることを隠して草刈りなのですか?」


「は……はい。は、早く作物の植え付けをしないと、夏の収穫期に間に合わない……ので」


「領主さまなんだから、ルーナさんは無理しなくていいんですよ。民を使うのも領主の仕事なのです」


 そう言ってマリヤさんは私の隣にしゃがみ込み、草刈りを始めました。

 私には草刈りさせないぞって勢いです。

 私だって負けじと草を引っこ抜きます。領主だからって偉ぶるのは、自分には合っていないのです。


「民を使うなんて、私にはそんな資格、ないですよ……」


「スルト様ではなくローラン様を選んだこと、重く考えすぎなのです。好きな人を選ぶぐらい、普通なのです」


 唐突に思いがけないことを言われ、私はビックリしてしまいました。

 マリヤさんに視線を向けると、彼女は平然とした顔で私を見つめています。


「何ですか、そのビックリしたようなお顔。……だって好きなんですよね?」


「ふわわわわわ、な、な、なにを言ってるんです!? そ、そそそそんな、す、す、す……好き、なんて。……お、おこがましいです、わ、私みたいなのがっ!」


「はぁ……。大好きじゃないですか……。むしろ、そのままの感じでアタックすれば結ばれちゃいますですよ」


 マリヤさん、なんてことを言い出すんですかっ!

 私なんかが好かれるはずないし、アタックするだなんて、そんな大胆なことできませんっ!

 私はブンブンと首を振って否定します。


「だ、ダメです。私みたいな」


「引っ込み思案すぎますですよ……。セレーネ様の時は肌をさらけ出す大胆さなのに」


「ああぁぁぁあ~~っ! あ、あ、あれは! だから! こ、公務であって!」


 もう嫌だぁ……。

 頭が爆発して顔が燃えてしまったみたいに熱い。

 あ、あれは本当に仕方なく、必要だからやっただけで、ローラン様も迷惑だと思われてるわけで。

 っていうかセレーネの時の私って、なんであんなに気が大きくなっちゃうんだろう?

 自分で自分が信じられないですっ!




「いいって。俺にも仕事させてくれよ」


 ……その時、妙に聞き覚えのある声が聞こえてきました。

 声の方を振り向くと、町の人の中に混じってローラン様が! いました!

 なんだか分からないけど、丸太を運んでますっ!

 農場の整備をしている人たちが慌てて彼を制止しているところのようでした。


「勇者様っ! 勇者様がこんな仕事、なさらないでくださいっ!」


「いや……だって城にいてもヒマだからさ……」


 そう言って、ローラン様は柵に使う杭を束ねて運んでいるところです。

 彼の存在に気づいた人々が次々と駆け寄っていきます。


「あっ、勇者様がいらっしゃる! 精霊の王! 荒ぶる精霊を手懐けられたということだ」

「精霊が飛竜暴走の原因だったとか……。あなたこそ救世主でございます!」

「竜殺しのブロード様といい、立て続けの英雄の出現は魔王スルト様の再来のようでございます」


 町の人はめいめいに彼をほめたたえています。

 私もセレーネとしてローラン様の偉業を皆にお伝えしたわけなので、こうして皆さんに受け入れられている様子を見ると嬉しくてたまりません。

 最初は人間界から来た英雄という事で恐れていた人もいましたが、彼の生来の優しさと気さくさのお陰か、すぐに馴染んでいるようでした。


 すると、一人の人がどこからか椅子を運んできました。


「ささ、英雄はこちらの席で、ごゆるりとくつろいでくださいませ! 畑仕事など、我々下々の者がしますので」


「い、いや……やめてくれ。俺はそう言うの嫌いだし、あなた方も自分を下々なんて言わないでくれっ!」


 ローラン様は困ったように頭を掻き、町の人の言葉にかまわず杭を打ち込み始めます。


「いやしかし、そういうわけには……」


「俺だって勇者になる前は農奴の子だったんだ。農作業は慣れた物さ。……っていうか俺、異郷の地に来てまで身分差を目の当たりにしたくないんだって!」



 そんな光景に、私はぼんやりと見惚みとれていました。

 この穏やかな日常が嬉しくてたまらない。

 彼が元気に生きているだけで愛おしい。

 ……そんな風に思っていると、何やらマリヤさんが私と彼を見てニヤニヤしています。


「ローラン様も庶民派なのですね~。……ルーナさんとお似合いじゃないですか」


「そそそ、そんな……っ。わ、私なんてダメですよ。こんな面倒で……お、重いし……」


「もう! ウジウジしすぎです。ドーンとぶつかればいいんです。玉砕したら骨は拾いますので」


「あうぅ……。やぶれる前提じゃないですかぁぁ……」


 マリヤさん、他人事だと思って適当に言いすぎです。

 すると彼女が私の肩をゆっさゆっさと揺らしました。そしてローラン様を指さします。


「ローラン様がこっちに手を振ってますですよ! ルーナさんに気が付いたんですよ!」


「そそ……そんなわけ、ありませんよ……。この姿でお話した事、な、無いので……。き、きっとマリヤさんに手を振ってます」


 そう言いながらも、自分に手を振ってくれてると嬉しいなって思ってしまう。

 じ、自意識過剰……ですね。


 ……すると、ローラン様がなぜかこちらに駆け寄ってきます。

 ど、どうしよう。

 いつも話してるはずなのに緊張する。

 きっとマリヤさんに用事なので、お邪魔しないでいよう。

 ――そう思うのでした。

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