第14話『心、重ねて』

 俺はセレーネと共に大穴の上まで飛びあがると、彼女を降ろしてウンディーネの前に向かった。

 周囲を囲む水牢ジェイルはかなり狭まっており、兵士たちを守る石室も飲み込まれる寸前に見える。

 マズいな、時間がない。


 ……っていうか、彼ら、出てきてるじゃないか! ジェイルの接近に勘づいて、より安全な中央に逃げてくれている。

 そして石室をよくよく見れば、見事なまでに粉砕されていた。

 きっとセレーネが壊したに違いない。

 セレーネを閉じ込めていた岩壁なんて、内側から派手にぶっ壊されていた。


「ふふ。魔界のお姫様は暴れん坊だなぁ……」


 俺はその逞しさが頼もしくなり、楽しくなってくる。

 そして目的の地にたどり着き、その笑みを目の前の存在にも向けた。


「……君もなかなかの暴れん坊だけどな、ウンディーネ!」


 俺は大樹の根の上に立ち、不敵に笑う。

 眼前には浮遊するウンディーネ。

 フリルのような水のドレスはざわめき、警戒心をあらわにしているようだった。



 ウンディーネ対策の下地作りはシンプルだ。

 以前にやった方法と同じで、誘導しながら罠に飛び込ませる。

 今のウンディーネは本能だけで動いているようなので、これは問題なくやれるはずだ。


 俺はウンディーネの射撃を交わしながら挑発を織り交ぜ、森の中のある一点に駆けていく。

 ジェイルの内側でもひと際巨大な幹の一つ。その根元へ――。

 あの樹こそが罠。

 セレーネの腐食魔法で内部に空洞を作り、閉じ込めるのだ。

 俺が魔法で作った石室とは異なり、耐久力は段違いのはず。城が丸ごと入りそうな樹の内側なら、暴れても受け止めてくれるはずだ。


「落ち着けばきっとできる。セレーネきみなら大丈夫さ」


 俺ははるか遠くに見えるセレーネへ、そっと囁いた。

 成功は失敗の先にある。

 それに緊張する必要はない。その巨大な幹なら多少の誤差も許容してくれるはずだ。

 まずは「できた」っていう成功体験を噛みしめてくれればいい。



 風に乗って駆け抜ける俺。

 その背後に追随するウンディーネ。

 そして眼前には、巨大な壁のような大樹に触れている純白の鎧……セレーネ姫。

 彼女の姿は一歩一歩飛び跳ねるごとに、急接近して――。


「セレーネ、頼むっ!」


 深呼吸をするセレーネ。

 そして手のひらを幹に押し付け、魔力の塊が放出された。


「腐れよっ!」


 同時に樹がきしみ、唸りを上げる。

 瞬間、大樹の根元に人ひとりが通れるほどの小さな穴が開いた。


 ……セレーネは腐敗の中心を樹の内側に設定してくれている。内部は球体状に広がっているはずだ。

 俺は目くばせだけでセレーネと交信し、駆ける勢いのまま、穴の中に突っ込んだ。



  ◇ ◇ ◇



 滝つぼのような轟音が空洞内部に反響し、俺は水しぶきを浴びる。

 ウンディーネが確かに内部に入ったことを確認し、俺は入り口である穴に向かって叫んだ。


「セレーネ、塞いでくれっ!」


 その号令と共に光の筋が消える。

 予定通りにハンマーで塞いでくれたのだ。

 光の一筋すら通さないさまは、完璧な腐食のコントロールを意味していた。


「……な? 失敗したから出来たんだ」


 俺は嬉しさでにやけながら、懐から宝石を取り出す。

 強くこすると、それはふわりと輝き始めた。


 セレーネから借りた『太陽石』で周囲を照らす。

 空間の広さは半径5メートルほどだろうか。俺自身の影で全貌は見えないが、広い部屋ぐらいの広さに見える。

 下半分には腐りきってスカスカになった木屑が綿のように積もっていた。


 そして、その空間の中央にはざわめく水の精霊――ウンディーネが浮かんでいる。

 密閉された空間に危機を感じたのか、その姿は徐々に崩れて渦巻き始めた。

 胸の中心に存在するコアの周囲に水の鎧を形成し、さらに高速で回転させる。

 完全なる防御陣形。

 ――大渦潮メイルシュトロームだ。


 この形態になることは予想していたし、素手で飛び掛かってもバラバラにされるのは分かっている。

 しかし俺は不敵に笑うのだ。

 罠にはまってくれたのだから。


「さぁ、二人きりの舞踏会といこうじゃないか!」


 俺は両腕を大きく広げ、あらかじめ描いておいた手のひらの魔道文字に念を込める。


「星命の大樹に実りし子等よ。我が血潮を贄と成し、ローランの名の元においてその力を顕現けんげんさせよ」


 詠唱に伴い手のひらが熱く輝き、空洞化した樹の内側がうごめき始める。

 ここまで巨大な精霊との契約は初めてだったが、なんとか願いを聞き届けてくれそうだ。


「汝の名は幽玄の大樹ユミル! 魔界の大樹よ、水霊の源をことごとく呑み込み、汝の糧とせよ!」


 契約した精霊はこの森の樹木自身。

 大樹ユミルの生命力を顕現させた、大いなる精霊である。

 水の大精霊に対するに、何の不足もなかった。


『我が名はユミル。小さき父の呼びかけにて参上いたした。いざ、水霊そなたを吞み込まん』


 空洞の内部に荘厳な声が響き渡る。

 そして周囲の樹壁からは新たな根が生まれ育ち、渦巻くウンディーネを貫き始める。

 もはや勝利は確定的に思えた。


「水を吸い取るのは植物の本領だもんな。……しっかしここまで精を奪っていくとは、さすが魔界の大樹」


 植物の精霊と契約したことは初めてではないが、さすがに人間界にここまで巨大な樹は存在しない。

 契約した時にも感じたが、魔法の行使で消費する魔力……つまり契約主である俺の体力の消耗は人間界の植物精霊と比べ物にならないほどに多い。

 さすがに今日は疲れて倒れそうだな、と思うのだった。



『足りぬ……』


 徐々に小さくなっていくウンディーネを見上げていた時、ユミルの野太い声が聞こえた気がした。

 そして自分の疲労が想像以上に激しいことを自覚する。


「あれ、ちょっとマズいな……。ユミル、俺の体力を奪いすぎだって」


『小さき父よ、精が足りぬ……』


 その朴訥ぼくとつとした声で、容赦なく吸い取っていく。

 ……どうやらユミルは大食漢らしい。ウンディーネどころか俺の力も吸い尽くす勢いだ。

 ウンディーネの体はみるみると小さくなっていくが、それでもまだメイルシュトロームが解除されない。

 つまりこの消費量のまま、まだまだ俺は吸い取られるってことを意味している。


 ユミルを維持するには、俺の器は小さすぎたのだ。

 ヒヤリとした絶望感に、俺は背筋が凍った気がした。


「あれ……? 俺、ここで終わりかも」



 その時、背中に柔らかい何かが密着した。


 温かで、鼓動のようなものを感じる……。

 ……この感覚、俺が死んで生き返った時のものと同じ。

 あれは確か、セレーネが裸で抱きついていて――。


「セレーネ!? いつの間に中に?」


 視線を向けると、確かにそこにセレーネがいた。

 見えないが、背中の皮膚の感覚は確実にソレを教えてくれる。

 よくわからないが……状況的に、最初から中にいたのだろう。彼女は内側から蓋をしたってことだ。

 「わらわとそなたは一心同体、一蓮托生」……そんな言葉を思い出した。


 セレーネの吐息が首筋にかかる。

 彼女の鼓動が激しく伝わってくる。

 いや、この鼓動は自分のものか?

 何が何だか分からないっ。


「……っていうか、なな、なんで裸!?」


「――――わ、わざわざ口に出さぬでよいっ。わらわの魔力を分けるから、さっさと終わらせるのじゃ」


「魔力!? まさか、こんなことで貰え……てる……。マジか」


「そなたの命はわらわと共有しておる。……は、肌をみみ密着すれば、ほ……ほれ、この通りなのじゃ」


 そう言えば蘇生の儀式のときにも、そんなこと言ってたな……と思い出した。

 魔力と言うか、体力と言うか……体の内側が熱く満たされていく実感がある。

 ユミルに吸いつくされた力が、もう完全に戻っていた。


「……あ……ありがとう、セレーネ。……恩に着る」


「…………うむ」


 俺は赤面しながらユミルとウンディーネに視線を向ける。

 ……なんだかすまん。

 そっちは戦いで大変なのに、こっちはこんな……アレで。

 まあ精霊だし、気にしないと思うけどさ。

 今度いいものをお供えするから、勘弁してくれよな……。


 そして目をつむり、思いっきり強く念を込める。


「ユミル、いけぇぇぇ!」


 俺の掛け声に従い、膨大な根がウンディーネにつかみかかる。

 その水の鎧は剥ぎ裂かれ、ウンディーネは最後のあがきのように大きく波打った。


『小さき水の子よ、我が糧となるがよい……』


 ユミルの声と共に根が収束し、消滅するメイルシュトローム。

 遂にむき出しとなったウンディーネのコア


 そして、そのコアは俺の手の中に納まるのだった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る