第13話『セレーネの魔法』

 光の一筋すら差し込まない暗闇の中で、俺とセレーネは息を潜めていた。

 ウンディーネの攻撃音が響いているが、何とか防げているらしい。


 今、俺たちは地面に落下した後に見つけた横穴に隠れ、様子を伺っているところだった。

 ウンディーネにやられそうになった時、セレーネが機転を利かせて地面に大穴を開けてくれたのだ。

 その大穴の底にはいくつかの隙間があったので、とっさに逃げ込んでハンマーで塞ぎ、今に至るというわけだ。


 改めて耳を澄ますと攻撃音は止んでおり、静寂が訪れている。


「……行ったようだな」


「うむ。さすがに金属の蓋ハンマーなら貫けぬらしい。彼奴きゃつも、らちが明かぬと思ったのかもしれぬ」


 俺は目を閉じ、聖剣の力によってウンディーネの気配を探る。

 どうやらその気配は現在、大穴の上で回遊しているように感じられた。



「助かったよ、セレーネ。地面を陥没させて緊急回避なんて、俺にはできないことだ」


 緊張が解け、俺はふぅっと息を吐いた。

 すると、暗闇の中に小さな光が灯る。

 ろうそくのような温かな光に注目すると、それはセレーネの胸元にぶら下がっている宝石であった。


「へぇ……『太陽石』か。聖王国では貴族しか持てない代物だよ」


「魔界ではありふれた魔道具じゃ。たいていの民の家でも使われておる」


 それは琥珀こはくのように透き通った宝石で、内部が揺らめきながら発光している。

 セレーネはそれを首飾りにしているようで、胸元から取り出していた。


 聖王国では魔道具自体が非常に貴重であり、その情報も貴族に独占されていて知る機会が少ない。

 そう言えば勇者パーティーとしてラムエル王子らと行動していた頃も、彼らは一度も触れさせてくれなかったと思い出した。

 そんな貴重なものが目の前にあるものだから、俺は興味津々で注目する。


 しかし急に照れくさくなって、視線をそらすことにした。

 セレーネさぁ……。

 太陽石を出すのはいいけど、そのせいで胸元があらわになってるぞ。

 無防備すぎる彼女に、俺の方が恥ずかしくなっていた。



 その時、セレーネは俺に近寄ったかと思うと、急に俺の服をめくりあげた。

 彼女は俺の腹から胸までをジロジロと見回している。


「んなっ!? な、なにすんだ急に!」


「……腹のあたりは異常ないようじゃな」


 いったい何を言っているか分からない。

 俺は焦って服を戻すが、セレーネは酷く心配そうにこちらを見つめてきた。

 よくよく見ると、前髪の隙間から覗き見える黄金の瞳が少し潤んでいる。


「ロ、ローラン……。かか、体に異常は、な、無いか? どこか痛いとか、無くなったとか、く……腐った……とか」


「おいおい、心配の内容が怖いって! ……大丈夫さ。どこも異常はないよ」


「本当か? わらわにもっと見せてみいっ」


 セレーネはそう言うと、今度は背中の方を強引に脱がせ、まじまじと観察し始める。

 何が何だか分からないが、真剣な様子を見る限り、深刻な話のようだ。

 俺は観念して、彼女のするに任せることにする。

 ……ほどなくして、セレーネは安堵のため息をついた。


「上着は腐ったようじゃが……体は何ともないようじゃな……」


「腐る? ……って、なんだこれ!? 剣が錆び切って粉になってるぞ!?」


 言われて気が付いたが、上着の背中側はボロボロに破れており、剣は鞘ごと赤茶げた粉になっていた。

 何が何だか分からずにいると、今度はセレーネの瞳からぼろぼろと涙がこぼれ始める。


「体が無事で、よか……った…………」


「お、おい、なんで泣いてるんだよっ」


「安心……したのじゃ。また失敗してしまったのではないかと」


「えっと……。よく分からないんだが、なんのことなんだ?」



  ◇ ◇ ◇



 ……そこからセレーネの説明が始まったが、長い上に要点を得なかった。

 しばらく話を聞いたところ、つまりこういうことらしい。


「……つまり、君特有の魔法は『腐敗』。そして制御が難しい……というわけだ」


 セレーネの魔法は『あらゆるものを腐敗、風化させる力』らしい。

 その効果範囲の調整は非常に難しいが、気合いを入れればこの山域を包み込めるほどに広げられるという。……さすが魔界の姫、スケールがデカすぎだろう。


 先ほど力を使った時は地下約10メートルの地点を中心に腐らせて地面を陥没させようとしたらしいが、思った以上に規模が大きくなり、俺の体すれすれの範囲までが腐敗して朽ちたということだ。

 ……そこまで聞いて、さすがの俺も冷や汗が出てきた。


「……俺の服がボロボロってことは、本当に皮一枚で助かった……ってことか……」


「下手をすれば、そなたもわらわも白骨と化していたやもしれぬ……」


 白骨って……。

 さらりと言うけど、想像するだに恐ろしい。

 セレーネはというと、震える声で大きく息を吐いたかと思うと、ぼたぼたと涙を流し始めた。


「窮地を脱するためとはいえ、すまぬ……。……無事でよかった、本当に……」


「うん、本当に……。…………まさか、無事で済まなかったことでもあるのか?」


 恐る恐る尋ねると、セレーネは神妙な面持ちで首を縦に振った。


「昔、父である魔王スルトの行軍中に似た状況があってな。わらわはもちろん守るべく力を発揮したわけなのだが、……その時は、父の……み、右腕を……」


 言葉を詰まらせ、セレーネは肩を震わせ始めた。

 それを聞いて、俺は魔王スルトとの対決を思い出す。

 確かに彼には右腕がなかった。そのおかげで死角が生じており、魔界最強と謳われる魔王相手に勝利をつかめたわけだ。

 彼女は自身の手で取り返しのつかないことをしたわけで、その無念たるや想像もできない。


「もう二度と使わぬよ、こんな恐ろしい力……。わらわは自分が大嫌いじゃ……。なぜこんな力しか持ってないのじゃ……」


 またしてもぼろぼろと泣き始める。

 この涙は父を傷つけた後悔なのか、俺が死ななかったことの安堵なのか。

 ……きっとそれは両方だ。

 そんな彼女がいじらしく、前にするだけで無性に胸が締め付けられる。



「んむっ!? ロ、ロ……ローラン……さま? ……いったい何を!?」


 俺は気がつけばセレーネを抱きしめていた。

 自分でもなぜだか分からない。

 とにかく抱きしめずにはいられなかった。


「泣くな。胸を張ってくれ。……君はしっかり守ってくれた。その事実が大事なんじゃないか」


「し、しかし……っ」


「君の父は君を責めたか?」


「……責めなかった。…………助かったと」


「じゃあ、それでいいんだ。それでも責めたいなら、未熟な自分を克服すればいい。成功なんて、山ほどの失敗の上に成り立つんだから。……今だって、ちょうどいい練習の機会だ」


 そして俺はセレーネから離れると、おもむろに破れた上着を脱ぎ棄てる。

 次に指を噛み、手のひらに魔道文字を描いた。


「何を……するのじゃ?」

「ウンディーネ対策を思いついたんだ。君の腐敗魔法も使ってもらうから、覚悟してくれよ」


 ポカンとしているセレーネに、俺は二カッと笑いかけた。

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