第10話『聖王国side:からっぽの聖剣』

「お兄様も、さすがにわがままが過ぎますわ……」


 私、王女ルイーズはため息をつきながら歩いていた。

 ここは聖王国の王城近くにある離宮。

 兄ラムエルの修練場があり、そこに一人で向かっているのだ。


 私は王女であると同時に、精霊院の筆頭研究員として勇者様にお仕えする責務がある。

 しかしお兄様は妙に私を遠ざけ、そればかりか勇者の祭事にもご出席なさらない。

 好んでやるのは貴族との交流ばかり。

 ……それは王子として、元々なさっていたことではありませんか。


「確かにティタニスの鎮魂の儀に比べれば緊急ではないと言え、民の信心をないがしろにされすぎですわっ。……ローラン様なら快くお引き受けくださいますのに」


 不満がたまりすぎて、ついつい口から漏れ出てしまう。

 ローラン様と共にいる時のお兄様は紳士的でしたのに、あれは演技だったのでしょうか?

 今は横暴さが目に余るほどです。


 ああ……ローラン様。

 なぜここにいらっしゃらないのですか?

 なぜお亡くなりになったのですか?

 お強いだけではなく民からの信望が厚く、精霊にも愛されていたお方だったのに……。


 いくら私に戦う力がないとはいえ、強引にでも魔界遠征についていくべきでした。

 そうすれば精霊について、多少なりともご助力できたはず。

 「少数精鋭だから」というお兄様の指示に従ったことが悔やまれます。




「くそおぉぉっ!! なぜ俺の呼びかけに応えんのだ、この欠陥品がぁぁっ!!」


 その時、激しい破壊音と共にお兄様の怒鳴り声が響き渡りました。

 この怒声は間違いなくお兄様のもの。

 ここが他者を遠ざけた離宮であっても、さすがに王族として言葉遣いが粗暴すぎます。


 私はお付きの者を連れてきていないことに胸をなでおろしつつ、こっそりと修練場に入ります。

 柱の影から様子を見てみれば、お兄様は聖剣を片手に修練場の石像を叩き壊しているところでした。


(まぁ……なんて乱暴な! 石像はカカシではありませんし、聖剣の扱いがひどすぎます!)


 確かに『聖剣ヘイムダル』は人知を越えた神器ですから、石どころか鉄でさえもバターを斬るように寸断できます。

 でも、だからといって手荒に扱っていいわけではないのです!

 にも関わらず、お兄様はかまわず石像を斬り続ける。


聖剣きさまは俺の物……。この『雷霆らいていラムエル』に選ばれた剣なのだぞ!? ……それをっ! ただの金属の癖にっ!! 金属のくせにぃぃぃぃっ!!」


 その太刀筋は素人の私でも分かる無様なもの。

 ただ怒りに任せて棒っきれのように聖剣を振るう……。勇者どころか剣士にもふさわしくない姿でした。



「お兄様……。勇者と言えど、人類の宝は大切になさいませ!」


 居てもたってもいられず、私は柱の影から身を乗り出しました。

 ――その瞬間、刺すような殺気が私を襲います。

 その出所はお兄様でした。


「……何用だ。修練場ここには来るなと言っていたはず」


 にじみ出すような黒い怒りが目に見えるよう。

 声をかけたことを少し後悔しながら、私はギュッとこぶしを握りしめる。

 このままではお兄様がダメになってしまう。

 それに私にはお伝えすることがあった。


「……此度こたびは精霊院の遣いとして参りましたの。……勇者としてご出席すべき祭事、さすがにお休み続きとはいかがなものかと存じます」


「……くくっ。……かははっ! 妹に小言を言われるとは思ってもみなんだ。……どれもこれも小事。そもそも国教たる『教会』をこばむ田舎者の祭事など、どうでもいいわ」


 『教会』……ですか。

 そのことには頭を悩まされます。


 この大陸では古くから精霊信仰が盛んでしたが、近年になって精霊とは異なる神を祭る『教会』の勢力が拡大の一途をたどっていました。

 王侯貴族が民を支配するのにちょうどいい教義を持っている故なのでしょうけど、精霊を排除せんと大鐘を持ち込んできたのにはあきれてものが言えないほどでした。


 おかげで精霊信仰が根付いている地方と支配階級との軋轢あつれきは深まるばかり。

 私のような王女は政治的に無力であり、力の限界を感じずにはいられません。



「……お兄様の王族としてのお立場は存じておりますが、それでも勇者であることもまた事実。わずかでも民を想っていただけますと……」


 言いかけた時、鋭い殺気があふれたように見えた。

 お兄様の顔は暗く沈む。


「ルイーズ……立場をわきまえろ」


「で……ですが、祭事はローラン様が受け継いできたこと! お兄様も勇者を継ぐならば……」


「うるさいわぁぁぁぁっ!!」


 ――激しい怒声。

 それと共に何かが空を切り裂き、私の真横で轟音が鳴り響いた。

 何事かと視線を移し、同時に戦慄する。


 ……聖剣が私の頭の横で柱に突き刺さり、砕いていた。


「ローラン、ローラン、ローランローラン……。お前は口を開けばあの下民の名を連呼する。自覚がないとは言わせんぞ、下民に惚れる愚か者。王族の恥さらしがあぁぁぁっ!!」


「…………ひぃっ」


 歯の奥が震える。

 膝が震える。


 実の兄に刃を向けられるどころか、ほんの少し立ち位置がズレていれば殺されていた。

 圧倒的な殺意を向けられ、まともに立つことが出来ない。

 柱に持たれかからなければ、今ごろ卒倒していることだろう。

 私はこんな仕打ちに負けたくなくて、必死に兄をにらむ。


「……ふっ……ううぅ……」


 そんな嗚咽と共に、自分の目から涙がこぼれたのが分かった。

 王族たるもの凛とせねばと思うのに、とどめようがない。


 元々我の強い人ではあったけれど、今の兄は何かがおかしい。

 魔界から帰ってから?

 勇者になってから?

 疑問が次々と沸き立つものの、次第にローラン様のことしか考えられなくなっていた。


「助けて、ローラン様……。何かがおかしい。おかしいんです……」


 兄に聞こえないように小声でつぶやく。

 ローラン様を求めているのか、私の視線は自然に聖剣に向いていた。

 密かにお慕いしていた勇者様。……その手に握られていた聖剣。

 少しでも力をいただきたかったのかもしれない。

 無意識に聖剣へ手を伸ばしている自分がいた。


「触れるなルイーズ! それは俺の物! 勇者にしか持てぬ神器であるぞっ!!」


 何か兄がわめいているが、耳の外を滑っていくようで入って来ない。


 ……ああ、なんて美しい聖剣。

 石柱に突き刺さっても刃こぼれ一つない。

 ローラン様が触れていた柄。その滑らかさ。


「……軽い」


 気づけば、私は吸い寄せられるように聖剣を手に取っていた。

 石柱深くに突き刺さっていた聖剣は何の抵抗もなく抜け、私の手の中できらめいている。

 ……まるで、まるでからっぽかと思うほどに軽かった。


「は…………? な……なぜ持てている? それは勇者にしか持ち上げられぬ……聖剣であるぞ」


 兄が間の抜けた顔をしている。

 その気持ちは分からなくもない。

 兄の言う通り、これは勇者にしか持てないはずの神器。

 適さぬ者なら巨岩のごとき重さに感じられ、地面からわずかでも離すことは叶わない。


 ローラン様がご存命の頃に、戯れとして触らせていただけたからよく知っている。

 私は勇者ではないので、当然のようにビクともしなかったものだ。


 兄がずかずかと近寄るや否や、私の手の中から聖剣を奪い取った。

 そして強引に私の背中を押し、修練場からはじき出す。


「ルイーズ、勇者の補佐役の任を現時点で解く! ……さっさと去れ。金輪際こんりんざい、俺に顔を見せるなっ!!」


 そんな言葉を浴びせかけられたけれど、解任なんて些末さまつでしかなかった。

 さきほどから一つの疑念が頭をもたげている。

 

 もしかして、聖剣に異常があるのではないか?

 もしかして、兄は勇者ではないのではないか?


 ……この疑念を口外すれば、どんな混乱が巻き起こるか、想像だにできない。

 私はどう動けばいいか、考えあぐねていた。



  ◇ ◇ ◇



 王都の修練場で事件が起きていた頃、遠く離れた地でも異変が生じていた。


 ここは山岳地帯にほど近い大農園。

 聖王の直轄地であり、聖王国の食料の大部分を賄う穀倉地帯である。


「こんな惨状……あってたまるものか…………」


 農場の管理を任されている役人は、眼前に広がる農園を前に呆然と立ち尽くしていた。

 麦の生育が悪すぎる。

 麦の根本は泥のようにぬかるんだ土に浸かり、やけに小さなまましおれていた。


「……このままでは夏の収穫を待たずに全滅ではないか。どうしてこんなことに……。ラムエル殿下が先日ご視察にいらっしゃった時には何事もなかったのに……」


 あれはラムエル殿下がティタニスの鎮魂の儀のついでにいらっしゃったときのことだから、半月も経っていない。

 その間に水害はなかったし、雨すら降っていない。

 意味が分からなかった。


「――お役人様。生育不良の原因が判明いたしました」


 そう言って、泥だらけの農民が駆け寄ってきた。

 彼らには原因究明のため、農地を深く掘らせていたのだ。


「申してみよ」


「湿害……でございます。小麦が水に弱いことは御周知のとおりでありますが、本来はあり得ぬほどに水が溜まっているのです」


「それは見ればわかる! その原因はなんだと聞いておるのだ」


「そ……それが。大地がおかしいのです。この聖王領にあるまじき水はけの悪さ。大地が硬直し、まるで粘土か岩かと思うほどに固まっているのです。そんなところに山からの地下水が流れ込むわけで、自然と沼のようになるのでしょう……」


「そんな馬鹿なことがあるか! ラムエル殿下のご視察の頃には何事もなかった。私は今年の豊作をお約束してしまったのだぞ。……このままでは首を吊ることになってしまう」


 その時、自分の言葉に引っかかりを感じた。

 ティタニスの鎮魂の儀が行われた山はすぐそこにある。

 そこの村の長は首をかしげていたものだ。


 ラムエル殿下による鎮魂の儀では、聖剣が輝かなかった……と。

 そして殿下は雷を大岩に浴びせ、お帰りになられた……と。


 まさか、と頭を振る。

 勇者様の行いを、ましてや王族の行いを疑うことなど、どうして出来ようか。

 眼前にそびえる山岳地帯を見つめながら、行く末の不安に目をつむることしかできなかった。



 ――この役人の不安は的中していた。

 ラムエル王子の間違った行い。

 彼のせいでティタニスは怒り、大地をこわばらせていたのだ。


 その因果関係が分かるのはまだ先のこと。

 しかし、災いは麦だけにとどまることはない。

 聖王国には確実に破滅の音色が近づいていた――。



 = = = = = = =

【後書き】

お読みいただき、誠にありがとうございます!

ラムエル王子の転落劇は加速していきます。そして次からはローランの新たな活躍の始まり……。

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