第8話『ふいうちの再会』
「あーー……焦った……」
俺は魔王城に戻るや覆面を取り去り、思いっきり息を吐いた。
ふいうちの好意を向けられ、俺はガラにもなく動揺している。
……いや、勘違いするな。
ルーナさんは「惚れ惚れした」と言っていただけで「好き」と告白してきたわけじゃないのだ。
下手にうぬぼれると後が手痛いぞ、と自分を戒めた。
ここは魔王城の裏庭。
俺はルドラの力を借りて城壁を飛び越え、誰にも見つからないように魔王城へと戻っていた。
ここは普段から人の気配がなく、秘密裏に行動したい俺にとってはちょうどいい出入口だ。
ここに戻ると、リンドヴルム討伐の疲れがどっと噴き出してきた。
「体力的に、かなりギリギリだったな……。速攻で片付けたけど、長期戦だと体力切れで死んでたな」
俺は汗を拭いて座り込む。
聖剣なしでの竜退治は初めてなので、体力の加減が分からなかった。
城に戻るための飛行魔法を使ったのが最後で、もう魔法は使えそうにない。
するとぴょこんと泥人形のような精霊が現れ、俺の膝の上で踊り始めた。
この子はノームと名付けた、土属性の契約精霊。
リンドヴルムとの戦いでは岩壁を作ったり棘で致命傷を与えたりと大活躍だった。
「ありがとうな、ノーム。君がいなかったらどうなってたことか……」
頭を撫でながら、俺は体力を追加で注ぎ込む。
すでに戦いの中で体力を与えてヘロヘロだが、こういうご褒美は精霊との付き合いでとても大事だった。
『んだよー! オレだって力を貸したかんな!』
俺の頭上でつむじ風が舞い、妖精姿のルドラが現れた。
「はは、もちろんさ。ルドラが居なければあんな高速移動は叶わない。特に風の刃の乱舞はすごかったよ」
『だろ~? やっぱ風よ!』
俺は微笑ましく思いながらルドラにも触れ、できる限りの体力を与えるのだった。
◇ ◇ ◇
そして俺は、さっそく浴場に乗り込んでいた。
衣服も体もリンドヴルムの返り血で汚れている。
さすがに服は人間界から持ってきた一着しかないので、こっそり洗濯しようと思ったのだ。
「……しかし、さすがに王族専用の浴場。造りが豪勢だよなぁ……」
視線を上げれば豪華な彫刻が目に飛び込んでくる。
大理石によく似た白亜の石造りで、そのだだっ広い空間は俺一人にはもったいないほどだった。
魔王スルトが亡くなり、この浴場を使う王族も今やセレーネ一人らしい。
「ローランは
「公衆浴場と比べれば寂しいけど、こっそり洗うにはちょうどいいよな……。これで水が豊富だったらどんなにいいか……」
俺は小さな桶から水をすくい取り、少量の水でなんとか血をこそぎ取ろうとがんばる。
湯舟は広いが水は少ない。
魔王城の近辺は水が乏しいらしく、聖王国にあるような湯が張られた大浴場なんて、夢のまた夢のようだった。
さらに貯水池もワイバーンに壊され、農業するにも大打撃らしい。
「なぁ、ルドラ。……この近くに水の精霊っていないかな? そしたら町の人も助かるんだが……」
俺は頭の上で寝そべっている風の精霊に声をかけた。
ルドラは俺の髪の毛をいじりながらあくび声を上げる。
『にーちゃんなら分かるだろ~? この辺はカラッカラの岩砂漠。魔族も渇きであえいでるよ』
「だよなぁ……。居るのは風と地の精霊ぐらいだもんな……」
俺は精霊探しでギムレーの町の外をうろついた時を思い出す。
どこまで行っても土気色の大地。戦闘に連れていけそうな精霊と言えば、ルドラのあとに契約できたのは地の精霊ノームだけだった。
精霊は魔力や精気をあげれば無から有を生み出せるけど、そもそも枯渇した場所には居たがらない。
水の精霊を探すのは絶望的に思えた。
……その時。
「カタン」と背後で音がした。
とっさに振り返ると、入り口にかかるレースのカーテンの向こうで人影が見える。
耳をすませば「しゅるり」と衣擦れの音が聴こえてきた。
明らかに、誰かが服を脱いでいる音だ。
「――――っ!」
まずい……!
俺は息を止め、とっさに柱の影に身を隠す。
ここに来るのはセレーネや、その世話係の女性ぐらい。
ちょっとこれはマズいんじゃないか――?
『にーちゃん、にーちゃん。隠れてないで堂々と出ればいーじゃんよ』
そう言いながらあくびをするルドラ。その一言で俺は我に返った。
そうだ、ルドラの言う通りだ。
一言呼びかければ、入ってきた人も外で待ってくれるだろう。
……俺は思いなおし、口を開――。
『お。あれって金目のねーちゃんじゃねぇか、町にいた! もう素っ裸だぜぃ』
俺は出かかった声を飲みこんだ。
ルドラの声はさすがに精霊使い以外に聞こえないはずだが、それでもルドラを掴んで一緒に柱の影に身を隠す。
……は?
なんでルーナさんが?
なんでこの王族専用の浴場に?
訳が分からない。
……訳が分からないが、完全に出られなくなってしまった。
彼女にとってヒーローらしい
俺はギュッと目をつむり、息をひそめるしかなかった。
◇ ◇ ◇
どれぐらい時間が経っただろう。
ちゃぷちゃぷと跳ねる水の音。
その音だけで白い素肌を想像してしまい、俺は勝手に赤らんでしまう。
浴場には彼女の鼻歌が軽やかに響いていた。
「それにしてもローラン様……。ど、どこに、行ったんでしょう……」
それは独り言だろうか。
その声色には多少だが、ふてくされた感じが混ざっていた。
「……お邪魔するよって、い、言ってくれたのに……。お城にいないし、町にもいない……。……いなく、なっちゃうのかなぁ……」
浴室に響き渡るルーナさんのため息。
俺はじっと息を潜めながら、違和感で耳をそばだてていた。
……ん?
俺、ローランの姿でそんなこと……ルーナさんに言ったか?
今日一日を思い出しても、どこにもそんな記憶はない。
あるとすれば、セレーネに命を救われた日。高い空の上で彼女に贈った一言だった。
『ようこそ、魔界へ。――勇者ローラン』
『……うん。お邪魔するよ、セレーネ姫』
……まさか、という妄想が脳裏をよぎる。
……そんなわけはない、という冷静さが妄想をかき消す。
俺は頭を振りながら、時が過ぎるのをじっと待った。
『おっ。ねーちゃん、出てったぜぃ』
ルドラの声で俺は我に返った。
……よかった。
ホッと胸をなでおろす。
その時、俺は気が抜けていたのかもしれない。
ルドラの言葉を疑いもせず、俺は柱の影から身を乗り出していた。
そして目に飛び込んできたのは、レースのカーテンの向こうにいるルーナさん。
柔らかに描かれる曲線の美しさ。
その白い素肌はろうそくの光に照らされ、つややかに濡れていた。
――呼吸を忘れ、息をのむ。
すると次の瞬間、彼女の体を風が包み込んだ。
カーテンはふわりと広がり、彼女の姿を露わにする。
ほのかに輝くオーラの光。
その光はルーナさんの体を包んだかと思うと、細長い尻尾や長い銀髪、そして角付きの仮面に変貌してゆく。
……見間違えるはずがない。
――その姿は俺を蘇らせてくれた恩人。
セレーネ、その人だった。
「わ……わ……わらわ、わらわ。んん……やっぱり言い慣れないなぁ。……姫らしくって難しい……難しい……のじゃ」
発声練習のように何度か繰り返すと、セレーネは白銀のドレスにそでを通して部屋を出る。
……柱の影に俺がいるなんて気づきもせず。
俺はと言うと間抜けに突っ立ったまま……その後ろ姿を見送るしかできなかった。
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