第3話 すべては夢のために


「ぼ、僕ですか? 」

「そう、ボクだよ。ちょっと手伝ってくれるかな? 」


 急に指名されて驚いた様子の光郎を、麻莉乃はつま先のとがったブーツで地面を踏み鳴らしながら、猫のような目をつり上けて睨みつけた。


「あのさ。私が『手伝って』って言ってるんだから、早くこっちにおいで。ほら、はーやーくー! 」

「は、はいっ」


 麻莉乃の口調に圧され、光郎は慌てて麻莉乃の隣に駆け足で歩み寄った。


「まずは着替えてきてくれる? ちゃんとサンタの恰好になってもらわないと。奥の事務室にケンちゃんのお古があるからそれに着替えて、五分以内にここに戻っておいで」

「ご、五分で? 」

「そう、五分。たった五分だけど、その間も子ども達は靴下を枕元に置いて、私達サンタが来るのをずっと待ってるんだよ。のんびりしていたら朝になっちゃうじゃん。つべこべ言わずさっさと準備して! 」


 麻莉乃は腕時計を見ながら声を張り上げると、光郎は言われるままに工場の奥へと一目散に駆け出していった。

 事務室は蜘蛛の巣が張り、テーブルや椅子は土埃にまみれていた。サンタクロースの衣装は、錆びついたハンガーに無造作にかけられていた。光郎が衣装を手に取ると、サイズの小ささに思わず絶句した。


「何だこれ……滅茶苦茶丈が短いじゃん」

 

 衣装を着ると、ものの見事に両腕と両脚が半分近く露出した。外は雪が降って寒いのに、こんな衣装を着なくてはならないのだろうか。


「と、とりあえず着てきましたけど……いかんせん、サイズが」

「へえ、七分丈のサンタか。イマドキっぽくていいじゃん」


 麻莉乃は不敵な笑みを浮かべると、健造の頭に付いていたプロペラを奪い取り、光郎の手のひらの上に置いた。


「さ、それを頭に付けて。それがあれば自由に空を行き来できるから。それとこの袋、ボクちゃんが背負ってくれる? 中には大事なプレゼントがいっぱい入ってるんだ。落としたら承知しないからね! 」


 麻莉乃は白く大きな袋を光郎に投げて渡すと、一人だけそそくさと先に空へと舞い上がった。光郎も、よろめきながらその後を追うように舞い上がっていった。辺りはすっかり暗くなり、真下には家々やビル街からの光が星のように輝いていた。やがて二人は、四十階以上はありそうなタワーマンションの最上階にたどり着いた。


「ここ、入れる場所があるんですか? こういうマンションは警備が厳重だと思いますけど? 」


 麻莉乃はしばらく黙り込んでいたが、突然ポケットを探ると小さなスプレー缶を取り出した。


「入る前に、これを体に吹き付けて姿を消すんだよ。じゃないと私もボクちゃんも不審者だって言われて、しょっぴかれちゃうからね」

「え、今日はクリスマスですよね? そして僕らサンタクロースですよね? なのに、不審者って……」

「今はサンタだろうが何だろうが、すぐ不審者だって決めつけて通報されるからね」


 麻莉乃は自分と光郎の身体にスプレーを吹き付けると、二人の身体はみるみるうちに影も形も無くなった。


「これ、ケンちゃんの発明品だよ。『錯覚スプレー』と言って、これを全身に吹きかけることで、周りから私たちの身体を見えなくするの」


 そう言いながら麻莉乃は鍵らしきものをドアノブに差し込むと、あっさりとドアが開いた。


「すごい! 一体どうやって鍵を開けたんですか? 」

「どんなに厳重な鍵も開けちゃう『万能カギ』だよ。これもケンちゃんの発明品ね。さあ、ここからは足音を立てずに歩くんだよ。いい? 」


 そう言うと、麻莉乃は音を立てずにゆっくりとした足取りで廊下を歩きだした。しばらく歩くと、二人は大きなベッドの上に横たわる子どもの姿が目に入った。


「どうやらこの子が依頼人の優馬ゆうま君のようね。見てごらん。幸せそうな顔で寝てるよね? 」


 優馬の枕元には、おそらく母親が手縫いで作ったであろう大きな靴下が置いてあった。靴下の上には、走り書きで『足がはやくなれるくつをください』と書かれた置き手紙があった。安らかに眠る男の子の顔を見た瞬間、光郎は手を口に当てて驚いた。さっき光郎が駅前を通りかかった時出会った、家族とサンタの話をしていた子だった。 


「ほら、これが優馬君のプレゼントだよ。そこの大きな靴下に入れてあげて」


 麻莉乃から渡されたプレゼントは、何の変哲もない普通の靴だった。この靴を履くと本当に足が速くなれるのだろうか? と疑問を持ちつつ、光郎は靴をそっと大きな靴下の中へと入れた。


「うちのケンちゃんが心を込めて作った靴だよ。きっと次の運動会は断トツの一位だよ、優馬君」


 麻莉乃はそう言うと、眠り続ける優馬に向かってウインクして、そそくさと部屋を去っていった。


「あれ? もう行くんですか? 」 

「ボクちゃん、自分の身体をよく見てごらんよ」

「まずい……いつの間にか姿が見えてる」


 どうやら、錯覚スプレーの効果が薄れてきているようだ。このままでは家の人に見つかってしまう。二人は音を立てずに廊下を歩き、何とか玄関にたどり着いた。


「ふう……相変わらず健造さんの発明品の効果は、中途半端だなあ」

「でしょ? もっとまともなものを作っていれば、工場も閉鎖しないで済んだのにね」


 麻莉乃はそう言うと、顔をしかめながら苦笑いしていた。


「あの、僕、思ったんですけど……どうしてこんなにリスク犯してまで、枕元に置く必要があるんですか? ポストに入れていくのはダメなんですか? 」


 光郎が不思議そうに問いかけると、麻莉乃は「わかってないなあ」と小さな声で言いながらため息をついた。


「それじゃ夢を壊すだろ? さっきの優馬君見た? 枕元に大きな靴下を置いてたじゃん。ちゃんと靴下に入れてあげないとね」

「夢……?」

「ほらほら、ボケっとしてる暇はないよ。これからまだ何軒も回るんだからね」

 

 光郎への問いかけに答えないまま、麻莉乃は夜空へと飛び立った。

 その後二人は、夜通しプレゼントを配り歩いた。一軒家、歴史を感じるオンボロ長屋、小奇麗なデザイナーズマンション、スナックの居抜き……環境は違えど、子ども達は一様に枕元に大きな靴下を置き、プレゼントが来るのを心待ちにしていた。そして、東の空が徐々に白み始めた頃、光郎の背負っていた白い袋の中のプレゼントが全て無くなっていた。


「ふぅ……無事に終わったね。子ども達、今頃みんな喜んでるかな」


徐々に昇り始める太陽の光を浴び、麻莉乃の横顔は赤々と照らされていった。光郎の気のせいかもしれないが、光に照らされた麻莉乃の顔は満足そうで、何かをやり遂げた充実感がみなぎっているように感じた。


「麻莉乃さん」

「何?ボクちゃん」

「麻莉乃さんも健造さんも、どうしてそこまで一生懸命になれるんですか? 工場が閉鎖して大変な状況にあるのに、こんな大変な思いをしてサンタクロースをやっても、一銭にもならないじゃないですか」


 すると麻莉乃は金髪をかき分けて大きな目を見開き、光郎を見つめた。


「夢だよ。子ども達の夢を叶えてあげたい。ただそれだけだよ。私たちの工場も、サンタクロースも……ね」


麻莉乃は口元を緩めると、ちょうど真下に見えてきた工場へと降下していった。


「夢……か。いつの間にか忘れていた言葉だな。昔は無邪気に信じていたのに」


 光郎はそう呟くと、麻莉乃の後を追うように速度を上げて地上へと舞い降りて行った。


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