第2話  謎の男と、謎の工場へ

 駅に入ってきた電車に向かって飛び込んだ光郎の背中を支えていたのは、サンタクロースの姿をした謎の男だった。


「やめてください! もう僕はこの世では生きていけないんです! うつ病が酷くて毎日寝てばかりで、会社でも窓際に追いやられて、これ以上生きていても夢も希望もないし、だから……」

「バカタレが! だから助けてやったんだよ」

「はあ? 」

「あんたみたいな奴見てると反吐ヘドが出るんだよ。今にも死にそうな顔で歩いてるから、ヤバいなコイツと思って空から見ていたら、本当に死のうとしてるんだもんな。その腐った性根を叩き直してやろうと思ったわけ」


 男の頭上には、換気扇についているプロペラの羽のようなものが轟音を立てて回転していた。どうやら男が空中を浮いていられるのは、このプロペラのおかげのようだ。男はズボンのポケットからリモコンを取り出し、ボタンを押すと、プロペラの羽は次第に回転が増し、速度を上げながらさらに上空へと舞い上がっていった。


「こ、怖い! こんな高い所から落ちたら死んじゃう! 」

「何言ってんだよ。さっきまで死にたいと言ってた人間の台詞かよ」

「そ、それとこれとは、訳が……」

「下を見ろよ。怖くねえからちゃんと見てみろ」


 男に耳元でささやかれて、光郎は固唾を飲みながら足元を覗き込むと、真下にはどこまでも広がる光の海があった。いつの間にか日が暮れて、ビルや家に灯りが灯り始めていたのだ。そして光郎のすぐ正面には、クリスマスにちなんだ金と銀の輪が光る東京スカイツリーがそびえ立ち、はるか向こうには都心の高層ビル群が光の壁のように輝いていた。そのすべてが、息を飲むほどの美しさだった。


「綺麗だ……いつも見慣れた風景だけど、空から見たらこんなに綺麗だったなんて」

「だろ? いつも地上から見ている世界も、目線を変えればこんなに綺麗なんだよ」


 男はそう言うと、再びポケットからスイッチを取り出して操作を始めた。


「あの……あなたの頭上で回っているのは何ですか? 」

「ああ、これかい? これを頭に付けると、自由に空を舞うことができるんだよ。あんたも昔、漫画とかで見たことあるだろ? 」


 男は自慢げに頭を触ると、轟音を立てながら回転するプロペラを光郎に見せつけていた。


「あなた、一体何者なんですか? 本物のサンタクロース? それとも、ドラ……」

「俺は森下健造もりしたけんぞうっていうんだ。ここ葛飾で、じいさんの代から続く町工場を経営していたんだよ」

「していた? どうして過去形なんですか」

「数年前に閉鎖したんだ。売れないし、借金ばかり増えてさ」


 そう言うと、健造はまるでバンジージャンプでもするかのように、頭から真っ逆さまに無数の灯りがともる地上へと急降下していった。


「ずっとここにいたら寒いだろ? 俺の工場に連れてってやるから、ついて来いよ」

「え? ちょ、ちょっと! 」


 健造に抱きかかえられながら、光郎も仰向けの体勢で一気に急降下していった。


「止めてください! このままだと全身を地面に強打し、死んじゃいますよ! 安全な場所に着地するようにしないと」

「大丈夫だよ。地面が近づいたらちゃんと旋回するからさ」


 健造はリモコンを取り出して操作し始めたが、突然首を左右に振りながら怪訝そうな顔をした。


「あれ? おかしいな。上手く旋回しないなあ」

「はあ? どういうことですか? 」

「たまに調子悪くなることがあるんだよね、アハハハ」

「アハハハじゃないですよぉ! 」


 光郎が叫び声を上げるや否や、光郎の背中は地面に激突した。しかし、光郎の背中には冷たい地面ではなく、何か柔らかい物体に包まれているように感じた。


「あれ? 地面なのにやわらかい……ふわふわして、すごく心地いい」


 光郎は地面を見ると、黄色い毛布が一面に敷き詰められていた。


「俺が開発した『癒し毛布』だよ。毛布の表面を人間が心地よいと思える柔らかさに仕上げているんだ」


健造は三角帽子を脱ぎ、口ひげを外しながら自慢げに語りだした。

健造は白髪交じりの角刈りの髪型で、目がつり上がって一見ガラが悪そうだが、時折人懐っこい笑顔を見せ、それほど近寄りがたい雰囲気はしなかった。


「すごい、これならどんな時も安眠できそうですね 」

「だろ? でも、あまりにも気持ち良すぎて起き上がれず、寝坊したり遅刻したりする人が続出して、発売禁止になっちゃったんだよね」

「え? そうなんだ、怖いなあ……」


 光郎は毛布にくるまりながら辺りを見渡すと、目の前には今にも崩れそうなトタン屋根の倉庫と、山積みになった大量の段ボール箱があった。


「ここが俺の工場だ。そしてこいつらは全部俺が開発したんだ。すごいだろ? 」


 健造はそう言うと、何箱かを手に取って、光郎の目の前に差し出した。


「これは『ひらめき棒』言って、この棒で思い切り頭を叩くと、記憶の片隅に追いやられていたものが鮮やかに蘇るんだ」

「へえ、受験生とかに受けそうですね」

「でも、効果を上げようとして頭を思い切り殴りすぎて、逆に記憶を失くしてしまう人がいてな。これ以上犠牲者が出ないように自主回収したんだ」

「この大きな虫眼鏡は? 」

「目の前の対象物を透視して、その奥にあるものを観察することができる虫眼鏡さ。こいつがあれば、洋服の下に凶器や麻薬とかを隠している不審者をあぶりだせるんだ」

「じゃあ、コンビニとか深夜営業する店に重宝されそうですね」

「でも、凶器だけじゃなく犯人の裸や下着も見えちゃうのが難点でね。俺が痴漢目的でこれを開発したんじゃないかって、逆に不審者扱いされちゃってね」


 山積みになっているのは、どうやら全て健造の開発した商品のようだ。しかも、いずれも何らかの欠点や問題を抱え、売れることなく工場に眠り続けているようだ。


「勿体ないですよね……この商品たち、一体どうするつもりですか? 」

「これから配りに行くんだよ」

「配る? 色々問題があってお蔵入りしている商品なのに、欲しい人がいるんですか? 」

「ああ。特に子ども達がね。ちょうどクリスマスだし、どうせならサンタクロースに扮して配ろうと思って、インターネットで告知したらすごい反響があってね」


 その時、二人の真上から次第にプロペラ音が近づいてきた。しばらくすると、ミニドレス風のサンタクロースの衣装をまとった若い女性が、光郎の前にゆっくりと舞い降りてきた。女性は膝までの長さのロングブーツを履き、赤い三角帽を取ると、顔にかかる位の長さの金色に染めた髪が姿を現した。


「ケンちゃんもう帰っていたの? 帰ってくる時間、早くない?」

「おかえり、麻莉乃まりの。プレゼントを配ってる途中でこの人に出会ってね。『死にたい』とか反吐が出そうなことを言うから、見るに見かねてここに連れてきたんだ」

「ふーん。だからと言って、途中でサボるのは許せないけど」


 麻莉乃は腰に手を当てながら腹立たし気にそう言うと、健造の陰に隠れるように立っていた光郎を横から覗き、そっと手招きした。


「ねえ、そこのボク。隠れてないで出ておいで」

「ボク? 」

「そうよ。死にたい願望のあるボクちゃん」


 麻莉乃はそう言うと、猫のような大きくクリっとした目を見開き、不敵な笑みを浮かべた。


「ごめんよ。麻莉乃は俺の娘なんだけど、父親の俺でさえ頭が上がらないんだ」


健造は両手を合わせながら、小声で光郎の耳元でつぶやいた。

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