症例⑩ 「高橋 総一郎」
藤野は父が亡くなった年以来、初めて父の墓を訪れた。
風も冷たくなり、いつの間にか季節は秋になっていた。
そろそろ水じゃなくて白湯に切り替えないとな。
藤野は首を縮めながら歩いた。
墓参りには西條と奥田部長、杉田教授も一緒だった。
歩きながら藤野は西條に話しかけた。
「一つだけ腑に落ちないんだ。どうして君はこの計画に参加したんだ。君は奥田部長や杉田教授と違い俺と接点がないじゃないか。」
「関係ないわけじゃない。」
西條は微笑みながら言った。
「私は藤野先生のお母様に救われました。」
「母さんに?」
「中学一年生の時、私はクラスの悪い女子集団に目をつけられていました。酷いいじめをうけて、元々友達だった子達も私に近づかなくなった。今になったら馬鹿みたいと思うけど、当時の私は本当に死にたいと思っていました。子供の私には学校の世界がすべてだったんです。だから敏郎君の気持ちも考えていることも良く分かった。」
藤野には意外な過去であった。こんな勝気な人間でも、いじめられてしまうのか。いや、いじめられた経験を乗り越えたから、彼女は強くなったのだろうと藤野は思った。
「そんな時、私は臨床心理士である藤野先生のお母さんと出会いました。死にたいと思っていた私は彼女の言葉に救われました。生きようって思えたんです。だからお母様が亡くなったとテレビで知った時、本当に悲しかった。」
西條の目は少し寂しそうだった。
「大学で藤野先生の両親の話を聞いた時、まさかと思いました。私の人生を救ってくれた人の息子が、同じ医局で外科医をやっているなんて奇跡としか言いようがなかった。そして当時付き合っていた杉田教授にその話をしたんです。」
西條は後ろで奥田部長と並んで歩く杉田教授を見て言った。
二人は昔話に華を咲かせていた。
「そうしたら今回の計画に参加しないかって言われました。私は二つ返事で了承しました。私の命の恩人の息子のために私は協力したいって思ったから。」
西條は真剣な顔で藤野に言った。
そして西條は藤野の前にでて頭を深く下げた。
「でも騙していたことには変わりありません。本当にごめんなさい。」
「やめてくれよ。」
藤野は止めたが、西條は頭を上げなかった。
藤野は白い息を吐いて、その場にしゃがみ西條の顔を見上げた。
「俺今すごい幸せなんだ。父さんのことを慕ってこうやって集まってくれる人がいて。そして母さんのことを想ってくれる人もいた。そのことが今回の件でよくわかった。だから謝らないで。」
藤野は笑顔で西條に言った。
西條は顔を綻ばせた。
墓石に到着すると、藤野は思っていたより墓が綺麗な状態であることに驚いたが、すぐに理由が分かった。
奥田部長と杉田教授が慣れた手つきでお供え物を交換し花を新しくしているのを見て、二人が毎年墓参りをしてくれていたのだろうと藤野は思った。
藤野は両親の墓石に手を合わせた。
頭の中で夢に出てくる賽の河原が浮かんだ。
俺は今でも石を積んでいる。
父さんが助けられたはずの命を助けている。
母さんが与えていたはずの愛を患者に注いでいる。
時に、石の塔を壊しにくる鬼も来るだろう。
それでも俺を支えてくれる菩薩が近くにいる。たまに鬼にみえる時もあるけど。
俺はこれからも石を積む。
父さんも母さんもびっくりするような石の塔を完成させて、昔のように褒めてもらおう。
だから今日も石を積むよ。
エピローグ①
西條は中学生一年生の時、自己啓発セミナーに一度参加したことがある。
毎週末に通っている近所にある帝東大の図書館に怪しい張り紙が張ってあったことが事の始まりだった。
『あなたの余命がわかります』
そんないかがわしいタイトルで始まるセミナーは臨床心理士の高橋恵という女性が開催していた。
本当に余命がわかるんだろうか。いやそんな訳がない。こうやって強烈なタイトルをつけて人を集めようとしているだけだ。
西條は疑いながらも、その張り紙から目が離せなかった。
西條は周りを見渡し、人がいないことを確認してから張り付けてあったチラシを剥がして鞄に入れた。こんな怪しいセミナーに参加していることを学校の知り合いに知られたくはなかった。だから、万が一にも知り合いが参加しないように剥がしておいた。
西條は家に帰ってから、張り紙を鞄から取り出し再度目を通してみた。写真でみる主催者の高橋恵は優しそうな顔をしているものの、正直に言ってどこにでもいるお母さんのような人で、テレビで超能力を見せている人のような風変りな見た目ではなかった。
次に臨床心理士という職業をネットで調べてみた。
臨床心理学に基づいた知識や技術を用いて、人間の“こころ”の問題にアプローチする“こころの専門家”らしい。
西條は張り紙を机の中に隠し、ベッドに横になった。
目を閉じる。学校での出来事が瞼の裏で再生される。教科書に書かれた血のように赤い文字が脳裏に焼き付く。
冷や汗がでて西條は目を開けた。
今日も寝られそうにない。西條は枕を力いっぱい叩いた。
次の日の土曜日、西條は開催予定の一四時前に大学構内の講堂に着いた。
天気予報で今年一番の猛暑日と言われるだけあって、歩くだけで滝のように汗がでた。
連日寝不足が続く西條には耐えがたいものであったが、何かに憑りつかれたように歩いた。
土曜ということもあり、大学に人は少なく誰かに見られる心配は少し和らいだ。
西條が講堂に入ると冷房が効いており、非常に快適だった。汗もすっとひいていき、看板の案内にそって会場内に入った。百席程度の円弧配列の講義室だった。
参加料無料にもかかわらず、三十人にも満たない参加者数だった。西條くらいの年齢の人はおらず、ほとんどが中高年の人だった。
とりあえずいつでも退出できるように一番後ろの端の席に座った。
怪しいセミナーに来てしまった。
西條は後悔し始めた。
それでも、もしかしたらという淡い期待が西條を席につかせていた。
残ろうか、出ようかと迷っていたら後ろの扉から女性が入ってきた。白のブラウスに淡いピンクのパンツ、白衣を羽織って登場した女性は写真の通りのおばさんであった。
階段を下りて教壇につくと、マイクの調整をして話し始めた。
「今日は休日かつ暑い中、お集まりいただきありがとうございます。臨床心理士の高橋恵と申します。今日は短い時間ですが、宜しくお願い致します。」
丁寧かつ柔らかい口調で高橋恵は挨拶をした。
やはり“こころの専門家”をしていると、話し方には普段から気を付けているのだろう。とても聞き取りやすく、声が落ち着いている。
そんな彼女が突如、衝撃的な発言をした。
「さっそくですが、皆様に謝らないといけないことがあります。私が人の寿命が見えるといった、あれは嘘です。ごめんなさい。」
彼女は飄々と言ってのけた。
西條はもともとあまり期待していなかったとはいえ、こうも序盤ではっきり裏切られると腹立たしい気持ちになった。
それと同時にこんな茶番に無料でも参加した自分が恥ずかしくなった。
西條が早々と後ろのドアから出ようとした時、教壇の方から声が飛んできた。
「今退出しようとしたあなた。」
西條は振り返ると、彼女は明らかに西條をじっと見ていた。それにつられて、参加者達も西條の方をみた。
えっ。なに。途中退出禁止なの。
西條は焦った。
「あなた。もし寿命が残り三日と言われたら、何をする?」
彼女は穏やかだが、真剣な顔で西條に尋ねた。
「えっと。あと三日で私は死ぬってことですか。」
「さっきも言った通り、私には寿命は見えないわ。だから例え話。」
「あ、そうですよね。すいません。」
「それで、何をするの。」
西條は急な質問に戸惑いながらも答えた。
「友達と親に手紙を書きます。今までの感謝とか想い出とか。」
比較的スムーズに答えられた。西條はこの質問は考えたことがあった。
「いいわね。他には。」
「ほか。ええっと。あっ、春巻きを食べます。母の作った春巻きをお腹いっぱいに食べます。」
「それもいいわね。美味しいの?」
「はい。具がたっぷりはいって、皮はぱりぱりなんです。外で食べるよりもずっと美味しいです。」
「それを聞いたらお母さんも喜ぶわ。」
彼女は顔を綻ばせて、質問を他の人に飛ばした。
「そちらの眼鏡のあなたは。」
彼女は細見で黒縁眼鏡の男性を当てた。
「僕は高級なキャバクラに行ってみたい。」
「それはなぜ?」
「ぼ、ぼくは女性恐怖症で女性と面と向かって話したことがなくて。だから、最後に綺麗な人と話してみたいなと思って。すいません。」
「そう。いいじゃない。できる限り高い場所に行って、綺麗な女性と楽しい時間を過ごすといいわ。」
「そちらの女性は?」
西條は三〇代後半の化粧の濃いカチューシャの女性を当てた。
「私は告白したい。相手は結婚して子供もいる人だけど。余命三日なら言い逃げできるからね。」
「相手の方はよっぽど素敵な方なんですね。」
「全然ですよ。仕事も全然できないし、顔もそこそこ。でも好きなんですよね。不思議。」
カチューシャの女性は自分の世界に入り込んでしまったように、一人でニヤニヤしていた。
「他の方も頭に思い浮かべましたか。何もしたいか。」
高橋恵は優しい声で会場の皆に声をかけた。
「それでは皆様にもう一つ問います。なんでそれを今やらないんですか。」
彼女の声は急に説教のような口調に変わった。
「最初に質問したあなた。お名前は。」
西條は再び質問が飛んできて、どぎまぎした。
「西條真奈美です。」
「西條さん。どうしてあなたは大切な家族や友人に手紙を今書かないのですか。」
「えっ。」
「死ぬまでに絶対やりたいことなんですよね。じゃあなぜ今やらないんですか、と訊いているんです。」
「それは、、、」
西條は言い淀んだ。
彼女は答えを待たずして、先ほどの眼鏡の男性にターゲットを変えた。
「じゃあ眼鏡のあなたは。なぜキャバクラに行かないの。」
「えっ。だって、だってお金もそんなにないし。」
「あなたが出す一回のお金と今後女性と普通に関わっていけるようになる人生どちらが大切なの?」
彼女は少しずつ声のボリュームが大きくなり、圧力が強くなっていた。
「そちらのカチューシャの方。なぜ告白しないの。」
「相手には家族がいるし、迷惑かけたくないの。今のままでも十分幸せだし。」
カチューシャの女性は不機嫌そうに答えた。
「ここにきている皆さんは、大なり小なり自分の寿命に興味がある。自分がいつ死ぬかに興味があるんです。なぜか。おそらく死にたいと思うほど辛いことで、悩んでいるのでしょう。だから開放される時を知りたい。そうじゃないですか。」
西條は驚愕した。
なぜなら“こころ”を透視されたような気分になったから。
脳裏に焼き付いたグロテスクな赤い文字が頭のなかで拍動し始めた。
“キモい”
“死ね”
“ソバカス女”
“偽善者”
それらの赤い文字が頭のなかで膨張し、頭が締め付けられる。
頭痛と吐き気の波がやってきた。
西條には我慢して波が過ぎ去ることを待つことしかできなかった。
「助けて。」
西條は呟いた。
その時、西條は後ろから両肩に手があたるのを感じた。
西條が振り返ると、そこには先ほどまで前の教壇にいた高橋恵が立っていた。
先ほどまでの怖い顔が嘘のように、彼女は微笑んでいた。
「じゃあなぜ今やらないのか。今はできないけど、死ぬとわかったらできる。それは結果を知りたくないんです。だめな結果が出た時、受け入れる自信がないんです。遺書がいい例よ。生前吐露できなかった想いを、遺書に綴っている。死んでしまえば、周りがその想いをどう受けとるかなんて考えなくていい。そうでしょ。」
彼女は西條の目を見た。
西條はその優しい目に安堵した。そして自然と涙がこぼれた。
自分がいじめにあっていることを、そしてそれが本当に辛くて助けてほしいことを大切な家族や友達に伝えたかった。
でも、それを知った家族が悲しんだり、友人が自分を拒絶したりするのが怖かった。
西條は泣きながら何回も頷いた。
西條の肩においた彼女の手は温かく、そして力強いものだった。
「キャバクラでも受けいれられなかった時のことを想像してしまう。所帯持ちの男性に告白して生ぬるい関係が終わることを想像してしまう。」
彼女はゆっくりと壇上の方に戻りながら、語るように話した。
「だめな結果でも、死んでしまえば苦しむ時間はひと時で済む。あなた達はそんな風に考えている。」
「あなたに私の何がわかるの!私だってこんな関係が続くことが良くないってわかってる。それでもやめられないのよ!」
カチューシャの女性は立ち上がり発狂するように言った。肩を震わせ興奮していた。
「あんたはそんなに後悔のない人生を歩んでいるわけ?いつもやりたいことをやって生きているわけ?そんな人はいないわ!」
カチューシャの女性の興奮は止まらない。
西條はいつの間にか、その勢いに押されて涙がひいていた。
「そうね。一つも後悔なく生きている人間はいない。私もそう。」
高橋恵は静かに言った。
「私は臨床心理士という仕事をしていて、基本的に傾聴の姿勢をとっています。その人が何をいっても、うんうんと頷き理解しようとしてあげることです。私はこの仕事を始めてからこの講演を始めるまでは傾聴しかしてきませんでした。患者さんは話を聞くだけで基本的には喜んでくれます。」
西條は序盤の彼女を思い出した。どんなことを言っても受け入れる柔軟な態度だった。
「でもふとした時思ったんです。話して満足した患者さんは、その後どうなったのか。私はカウンセリングした複数の人をこっそり調べました。その人達の生活は全く変わっていませんでした。自殺した人もいれば、犯罪に走った人さえいました。私は傾聴の無力さを知りました。」
会場の全員が彼女の言葉に耳を傾けていた。カチューシャの女性も黙って聞いていた。
「私も後悔しています。それまで多くの人の辛い気持ちを傾聴と自分に言い聞かせて見て見ぬふりをしてきたことを。だからこそ私は真正面からぶつかることにした。あなたと今そうしているように。」
彼女はカチューシャの女性に向かって微笑んだ。
「あなたが抱えている悩みを私は解決してあげることはできない。それでも、あなたの本当の気持ちを聞いて、あなたが心の底で願っていることを引き出すことはできる。そこからはあなた次第よ。」
カチューシャの女性は泣き崩れた。子供のように声をあげて泣いていた。
西條は拍手した。涙で顔がぐしゃぐしゃだったがどうでも良かった。
力いっぱい感謝の気持ちを拍手で伝えた。
一人、また一人と拍手を始めいつの間にか会場は拍手の音で埋め尽くされた。
高橋恵は恥ずかしそうに、そして彼女自身も安心したように頭を下げていた。
西條はついさっきまで膨張していた頭の中の赤い文字が、拍手の音できれいに洗い流されていったのを感じた。
エピローグ②
「なんで高橋先生があんな目に合わないといけないんだ。あの人は自分の危険を顧みず、患者のために飛び出したんだ。なんでそんな人が迫害されてないといけないんだ!」
奥田は机を叩いた。
大学で訃報を聞いた奥田は正気ではいられなかった。大学病院の消化器外科カンファレンス後にわずか五分程度の連絡事項であった。身内の医局員の悲劇にも関わらず淡々としたものだった。外様扱いとはこのことなのだろうか。
カンファレンス後残っていたのは、奥田と同期の杉田だった。高橋は大学にいた時の二人の指導医であった。常に熱い指導をうけ、その情熱に心打たれていた。手術が上手なのは言うまでもなく、医療に対するひたむきな姿勢に二人は魅せられた。
そんな高橋は大学にいた頃は准教授であり、教授にという声もたくさんあった。しかし高橋は教授のポストにはつかず、地方の病院再生のために田舎の中小病院を回った。
「大学病院には人も物もそろっている。最先端の手術ができ、学びの場としても大切な場所だ。私もここで外科医として育った。だけど、ここの高水準の医療を全国に届けることはできない。ここに辿り着けない人はごまんといる。やっぱり私はそんな人たちを放っておけないんだ。」
高橋は奥田と杉田に普段から言っていた。
そして高橋は教授選を蹴って、名前も聞いたことのない関連病院に出向した。
あの時、そのまま大学に残っていたら輝かしい道を歩んでいたはずなのに。
奥田は悔しかった。なぜあれだけ大学に貢献した高橋を教授は、医局はなぜ見殺しにするのか。
「あれだけ皆お世話になったじゃないか。今度は俺達が高橋先生を救おうと思わないのか。」
「大学とはそういう場所だ。みんなが好きだったのは准教授の高橋先生だ。地方の外科部長の高橋先生にだれも興味はないさ。」
杉田はカンファレンス室のカルテを開いて、業務作業をしていた。
奥田はそれを見て、さらに怒りがこみ上げた。
「お前もそっち側の人間かよ。」
奥田はパソコンにかじりつく杉田の胸ぐらをつかみ、立たせた。椅子が荒々しく倒れた。
奥田は驚愕した。
杉田は泣いていたのだ。声もださず、目を赤くして涙を流していた。。
「悔しくないわけないだろう。」
杉田の声は震えていた。
奥田は手を離した。
「起きてしまったことをやり直すことはできない。それは事実だ。」
杉田は白衣の襟を直しながら言った。
「俺が高橋先生の夢をかなえる。」
「不器用なお前が何言ってるんだよ。俺よりも手術下手なくせに。」
「うるさい。俺には計画があるんだよ、暴れてるだけのお前と違って。」
「なんだよ。作戦って。」
「。。。」
「なんだよ。口だけかよ。」
「妄想じゃない。ちゃんとある。」
「じゃあ教えろよ。」
「これだよ。」
杉田はパソコンにDVDをいれ、ある動画を再生した。
画面の中では、四本のアームのあるクレーンが手術室で動いていた。そして驚くことに、その先にいたのは麻酔のかかった人間だった。
「なんだこれ。機械が手術してるのか。」
奥田は驚愕して、声が裏返った。
「そう。ロボット手術だ。」
「えっ。これ術者はどこにいるんだよ。」
「ここ。」
奥田は画面の端で大きい箱を覗きながら手を動かしている人を指差して言った。
「これって。」
「遠隔操作での手術。もうすぐそこまできてるんだ。もともとアメリカ陸軍が八〇年代末に、湾岸戦争での負傷兵士に遠隔手術を行うために開発したんだ。二〇〇〇年の今年FDA(アメリカ食品医薬品局)でついに承認された。」
「すごいな。これがあればどこでも手術ができる。お前すごいよ。で、これどこでやれるんだ?」
「日本ではまだやってない。だけど近々日本で導入されるって噂。」
「なんだよ。」
奥田は期待が萎んでいくのを感じた。
しかし杉田の目はもっと遠くを見据えていた。
「十年.十年で俺はロボット手術の日本トップランナーになる。そのためには、まず偉くならないといけない。どんなことをしても。高橋先生の夢をかなえる。」
杉田の顔はいつも通りであったが、奥田はその言葉には重みを感じた。
「だが、それはお前のポリシーに反することもしないといけない。教授になり、日本でそれなりのポジションにつくっていうのはそういうことだろ。」
「俺のポリシーなんて、高橋先生の無念に比べれば大したことない。」
「杉田。おまえ凄いな。」
「だから奥田。お前にお願いがある。俺はこれから多くの人を傷つけ、多くの敵をつくるかもしれない。だから、そんな時は奥田、お前がそいつらの居場所になってやってくれ。」
杉田は奥田に頭を下げた。杉田が奥田にする最初で最後のたった一つの頼み事だった。
奥田は強く頷いた。
そして杉田は付け加えた。
「お前に俺の役目はできないし、俺はお前の役目をできない。だから二人でやるんだ。高橋先生の夢を二人で叶えるんだ。」
奥田と杉田は力強く握手した。少し照れ臭かった。
それから二十年弱の月日が流れ、奥田と杉田は高橋の子供と一緒に、高橋の墓参りに来ていた。
前を歩く藤野と西條を見ながら、二人は久しぶりに顔を合わせて話した。
「お前にしては珍しく情に流されたじゃないか。佐々木の手術の件は完全に想定外だった。うちでやった手術がばれれば医師免許剥奪だってのに。」
奥田は杉田に笑いながら言った。
「別に大したことじゃない。ダビガドランの効果とロボットの遠隔手術の精度を確かめたかっただけだ。それにもしあそこで断っていたら、もっと大きな問題になりそうと思ったから。」
「そうか。まあなんでもいいが。ありがとう。」
「藤野先生はどうだ。」
「まだまだだよ。高橋先生には程遠いな。」
「そんなの高橋先生と比べれば、俺達もまだまだだ。」
「珍しく謙虚じゃないか。」
「事実をいっただけだ。」
「あいつはいい線をいっているよ。」
「そうか。」
杉田は表情を変えず、同じトーンで返事が返ってくる。
奥田はそれでも嬉しそうに話しかけた。
もうすぐ二十年か。あんまり変わらないな。奥田はしみじみと感じた。
遠くで救急車のサイレンの音が聞こえた。
なるべく早く患者が病院に到着できるよう、奥田は遠くから祈った。
墓石の前につくと、奥田は周りを見渡した。
墓地の周りの木々は赤、黄、緑をお互い押しつけ合って自己主張している。それでも煩い感じにならないのは、お互いのことをよくわかっているから。
やはりここから見える紅葉は最高だな。
高橋先生。あなたもよく見えるでしょう。
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