症例⑥ 「藤野 圭太」
藤野と西條は再び“夜更かし”に訪れた。
今日の“夜更かし”は珍しく混んでいて座敷は埋まっていたので、一番端のカウンター席に横並びに座った。
藤野と西條は生ビールで乾杯し、西條はお気に入りの春巻きを早々に注文した。
夏本番になり、店内は夜でも蒸し暑く感じる。
それでも冷えたグラスに入ったビールが、体温を心地よく下げてくれる。
「花火大会もうすぐですね。」
西條はグラス片手に上機嫌に言った。
西條は今日仕事から一度自宅に帰って、その後“夜更かし”に来た。
夏らしいアクアブルーのマキシワンピースを着て、いつもの長い黒髪はハーフアップになっていた。
普段とは違う女性らしい西條に藤野は少し緊張した。
「そうだね。」
藤野は緊張がばれないようにビールを煽った。
「でも、病院の屋上で花火をみるとなると、かなりの人数が押し寄せますよね。結構混みあいそうですね。」
「毎年患者さんで賑わうからね。警備の人が入場制限をかけるくらいだよ。」
「仕事が終わる時間も読めないし、ちょっとでも見れたらいいくらいに思っておいた方がよさそうですね。これも外科医の宿命かー。」
西條は笑っていたが、すこし残念そうだった。
藤野は思い切って切り出した。
「俺花火良く見える隠れスポット知ってるよ。もし二人とも仕事終わってたら一緒に花火見る?」
藤野は変な感じにならないように、自然に誘ったつもりだった。
しかし、西條はビールのグラスをおいて藤野の方を黙って見つめてきた。
藤野は空気が変わったことに焦った。
「えっと。忙しかったら大丈夫なんだけど。」
防衛線を張り始めたが、少し遅かったようだ。西條の鋭い目つきが藤野にささる。
「それからかってます?」
西條は顔を赤くしながら、藤野に詰め寄った。
「からかってるつもりは全くないけど。」
藤野は西條の圧に押されて防戦一方だった。
杉田教授の事もある。ちょっと踏み込んだ誘いだったかもしれない。
藤野は後悔した。
周りの話声がさっきより大きく聞こえる。二人の間に沈黙が続いた。
「行きます。」
西條は店員のいるカウンタ―の方を見ながら突如として言った。
西條は少し恥ずかしそう笑った。
「なんだよ。怒ってるのかと思ったよ。」
藤野はその顔を見て安堵の溜息を吐いて言った。
「怒ってないですよ。花火に誘われて怒る人がどこにいるんですか。」
「いやだってそんな怖い顔したら、怒ったのかと思うじゃん。」
「ちょっとびっくりしただけですよ。」
西條はビールを一気に飲んで、おかわりを頼んだ。
「晴れるといいですね。」
「そうだな。晴れるといいな。」
二人の間にまた沈黙が流れた。
今度の沈黙は二人にとって心地よいものだった。
メインの焼き鳥盛り合わせが到着した。
「はい。じゃあこの話は終わり。」
藤野は好物のねぎまをすかさず取って頬張った。
カウンター席の隣に座っていた同年代の男女が会計をすませて、帰っていった。
「ところで西條先生はどうして外科医になろうと思ったの。そんな力があったら他の仕事でも色々やっていけそうだけど。」
藤野は西條の目のことをわざとぼやかして言った。
「例えば?」
「例えば、、、占い師とか。」
「ふふっ。それ本気で言ってますか。」
「いや本気だよ。余命を言い当てる占い師ってネットニュースとかになるね。」
「確かにそうですね。でも余命って知りたいですか。」
西條は唐突に真剣な顔になった。
「病気でもなんでもない人が、『あなたは三〇年後に死にます』って言われてもどうしていいか困りませんか。そりゃ保険やローンを見直したりできるけど、急いで何かを変えることなんてそうそうないですよ。」
「そう言われればそうだね。俺も特に変えないかな。」
藤野は思案顔で答えた。
西條は目を落とした。
「どうしたの。」
藤野は急に元気をなくした西條に尋ねた。
「いえいえ、なんでもないですよ。」
西條はあからさまに手を振った。
その手には、藤野が以前気になっていたスマートウォッチがついていた。
あのタイマーの数字。もしかしたら誰かの余命なのかもしれない。そしてそれは西條にとって大切な人。
まさかね。
藤野は訊きたい衝動に駆られた。それでも、ビールと一緒にその衝動を飲み込んだ。
追加で頼んだ日本酒が届いた。
西條は続けて話した。
「だから私は、自分の介入がその人の余命に直接かかわる外科医を選んだんです。もちろん、永遠に生きられるようにするなんてことはできない。だれだっていつかは死にます。それでも、その人が自分の人生を振り返られるくらいの猶予を作ってあげるような人になりたい。そう思って外科医になりました。」
「そっか。すごい人だね、西條先生は。」
藤野は本心で思った。
神がかった超能力を手にいれて、なお謙虚に生きることができる。
きっとその力のせいで知りたくないことも知ってしまう。いいことばかりではないだろう。
それでもここまでまっすぐいられるのは、西條の凄いところだ。
「そんな凄い人間じゃないですよ。ただの義務感のようなものです。こんな眼をもらったんだから、ちゃんと人様のために使わないといけないっていう義務感。」
「義務感ね。」
藤野は西條の言葉を繰り返した。
目をつぶり、日本酒を一口飲んだ。水とは違い、ふんわりとした甘さが口の中に残った。
藤野はグラスを置いて話始めた。
「俺はね。石を積んでるんだ。」
夢の中で石を積む自分が思い浮かんだ。積んでも積んでも崩れてしまう。
西條は不思議そうな顔をした。
「賽の河原って知ってる?」
「なんとなくは知ってます。親より先に亡くなった子供が、親不孝として親のために石を積んでいく。そのうち鬼がやってきて石の塔を壊してやりなおすっている俗信ですよね。」
「そう。俺にとってこの世が賽の河原なんだ。」
西條は言葉の意図を掴みかねているようだった。
「俺の父さんの事は聞いたことある?」
「大学病院で噂だけは聞いたことがあります。」
西條は申し訳なさそうに言った。
「俺は父さんを尊敬していたんだ。今でも尊敬している。最期に覚えているのは、あの凄い雨の中、笑顔で出ていった父さんの後ろ姿。そしてあの日を境に俺と母さんは町の救世主の家族から人殺しの家族になった。」
藤野は両手を組んで口元においた。
「本当に辛かった。周りの人はみんな手のひらを返したように俺らに冷たくしたよ。母はなにも悪くないのにひたすら、認知症のおばあさん家族と急変した患者家族に謝っていた。」
西條は何も言わず、藤野の話を聞いていた。
「母さんは重圧に耐えきれず、自殺した。俺はその後、叔母さんのもとに引き取られた。叔母さんと義理の叔父さんは本当によくしてくれた。二人の間に子供がいなかったことや叔母さんが父さんのことをとても慕っていたからだと思う。犯罪者の子供なのに、苗字を自分たちの藤野に変えることを勧めてくれた。」
また胸の中できしむ音がする。
「なんで患者のために懸命に働いた父さんの苗字を捨てないといけない。なんで尊敬する両親のもとで育ったことを隠して生きないとなけない。最初はそう思った。でも俺を助けてくれた叔母さん達に両親と同じ思いをしてほしくなかった。そして何より、世間に怯えて暮らす生活に戻るのが怖かった。」
自分が吐き出す言葉が、自分の首を絞めた。吐き出すことで楽になると思っていた想いは藤野をより苦しめていった。
「そして俺は自分の親の苗字を捨てた。保身のために。幸いにも、その後俺は特に障害もなく育った。親が辛い目にあったのに、俺だけがぬくぬくと育った。」
藤野の目頭に力が入る。組んだ両手は石のように硬くなる。
「だから俺にとって、医者として働くことは親を捨てた贖罪なんだ。父が歩むはずだった道を、代わりに歩くことが唯一俺のできることだった。一人一人丁寧に、必死に手術をして救うんだ。」
気づけば藤野は涙を零していた。夢の中で石を積む自分のように。
藤野は店員の視線を感じ必死に涙を拭こうとした。横から西條がハンカチを渡した。
藤野はお礼をいって涙をハンカチで拭いた。
「でもこの世にも鬼はいるんだ。頑張って積んでも報われるわけじゃない。」
藤野はそう言いながら、大学病院で大声をだして暴れる患者を思い出した。
あの時、積んだ石の崩れる音が藤野の頭のなかで響いた。
がらがら、ごとん。
「きっと死ぬまで、この石の塔が完成することはない。」
藤野は話終わって日本酒を飲んだ。
西條は何かを真剣に考えている顔をしていた。
こんな重い話をすれば、ひいてしまうのも無理はない。
藤野は西條との楽しい時間を壊してしまったことに申し訳なさを感じた。
藤野が西條に謝ろうとしたその時、西條は急に立ち上がった。
「店員さん、会計で!」
西條は大声で厨房にいる店員に手を挙げて会計を頼んだ。
店員の女性は営業スマイルで対応していたが、周りの客は突然の大声に驚き眉をひそめていた。
西條は急いで会計を済ませて、藤野を外に連れ出した。
藤野は言葉を発する間もなく店の外にだされ、お金も渡せていなかった。
西條は時計で時間を確認すると、通りがかったタクシーを止めて乗った。
「どこいくの?」
藤野が戸惑いながら訊いた。
「いいから乗って。」
西條はタクシーの中から藤野を引っ張りタクシーに乗せた。
西條がスマホを見ながら住所を運転手に伝え、タクシーは走り出した。
藤野が何を言っても西條は答えなかった。藤野はあきらめて身を任せることにした。
疲れと酔いが回ってきたのもあって、藤野はタクシーの中で寝てしまった。
「着きましたよ!」
西條が藤野の肩を叩いて起こした。
藤野が寝ぼけ眼でタクシーを降りると、藤野は家電量販店の前に立っていた。
「ちょっとだけここで待っていてください。」
西條は真剣な顔で藤野に言った。
藤野にはなにがなんだか分からなかったが、そうする他選択肢はなさそうだった。
「わかったよ。最後に説明してくれればそれでいい。」
藤野がそういうと、西條は走って店内に向かった。
藤野はとりあえず酔い覚ましのために近くの自動販売機でペットボトルの水を買った。
スーツを着た仕事帰りのサラリーマンが何人も通り過ぎていく。
人の歩き方に昔から目がいってしまう。
がに股で歩く人、早足で歩く人、腰を曲げてゆっくり歩く人。
メイクや服装、髪型などでいくらでも容姿を繕ってしまえる現代において、実は歩き方がその人の人柄を表しているのではないかと藤野は思っていた。
少し前まで自分の歩き方に特徴なんてないと思っていたが、職場の看護師に歩き方で後ろ姿が藤野とわかったと言われたことがあった。
きっと自分では気づけない特徴があるのだろうと思う。
別に検証する気には全くならないが、藤野は歩き方が人間性を反映すると勝手に信じていた。。もし歩き方占いなんてものがあるなら、一度くらいは行ってみたい
ガードレールに腰掛け、ペットボトル半分くらい飲んだあたりで西條がビニール袋をもって帰ってきた。
西條の歩き方は早歩きだったが、姿勢は崩れず芯の強さを感じるものだった。
「お待たせしました。」
西條は息を切らしながら戻ってきた。
「じゃあ説明してくれるかな。」
藤野は西條の前に立って訊いた。
「わかりました。」
西條は乱れた息を整えてから言った。
西條はビニール袋から中身を取り出し、藤野に見せた。
それは西條が持っているスマートウォッチと同じものだった。
「これ藤野先生にプレゼントします。」
西條はそう言って目を伏せた。
「えっとこれってもしかして俺を慰めるために買ってきたの。」
藤野は西條に訊いたが、俯いたまま答えなかった。
藤野は怒りが込み上げてきた。さんざん振り回されたあげく、哀れみのプレゼントを渡され惨めな気持ちにさせられた。
なにより信用していた人に裏切られたことがショックだった。
「俺はそんなつもりで西條先生に話したつもりじゃないよ。」
そう言って藤野が西條の顔を見た時、藤野は動揺した。
普通人が誰かにプレゼントを渡す時、嬉しそうな顔をする。
だが西條は泣いていたのだ。口をおさえて、声を殺して泣いていた。
「どういうこと。」
藤野の怒りは萎んでいき、漠然とした不安に襲われた。
西條は涙を零しながら、新品のスマートウォッチを取り出し何かを設定していた。
藤野が茫然としていると、西條から設定の終わった時計を渡された。
「ありがとう。」
そういって藤野は西條から時計を受け取り、なんとなしにタッチパネルの画面をスライドさせた。
『504:51:10』『504:51:09』『504:51:08』
タイマーが設定してあった。
藤野は意味を求めるように西條を見た。
西條は涙で目を赤くしながらも、真剣な眼差しで藤野に言った。
「その数字、藤野先生の余命なんです。」
俺の余命。
藤野は時計のタイマーを見た。
この無機質な数字が自分の余命。藤野には信じ難いことだった。
毎年健康診断を受けて、異常は認めていない。なにより体調は健康そのものだった。
しかしそんな藤野のちっぽけな自信よりも、西條の真剣な顔と西條と過ごした時間の方がよっぽど信憑性があった。
さらに驚くべきことが起きた。
西條は自分の時計のタイマーを藤野に見せた。
その数字は、藤野がしているタイマーと同じものだった。
これが意味していることは一つ。
西條は出会った頃から、藤野の余命を知っていたのだ。
二人は近くの公園まで歩き、ベンチに座った。
藤野も西條もすっかり疲れきった顔をしていた。
「どうして今まで教えてくれなかったんだ。」
藤野の声に責めるような攻撃性はなく、ただの疑問としての質問であった。
「あった時に言ったら、信じましたか。」
「信じなかっただろうね。今でも信じられない。
藤野は左腕に身に着けた時計のタイマーを見ながら言った。
「それでも、今までの西條先生をみてると、嘘とは思えない。」
藤野の正直な気持ちだった。
「じゃあなんで今日だったんだ。君の余命告知は。」
藤野は隣にいる西條の横顔を見て言った。
「私、仕事以外でこの眼を使って余命告知したの初めてなんです。さっき居酒屋で話した通り、そんなことしても意味がないって思っているし。逆算する人生なんて楽しくないじゃないですか。」
西條は微笑みながら、近くの茂みを見た。
西條の視線の先には親子と思われる二匹の猫が、茂みに隠れてこちらを見ていた。
「藤野先生は、本当は余命を知りたがっているんじゃないかと昔の話を聞いて思ったから。両親への贖罪の気持ちで、親を殺した職業につき終わりのみえない毎日を過ごしている。でも、どんな人間でもそんな孤独で辛い道をずっと歩くことなんてできない。できることなら終点を知りたいはず。」
西條は寂しそうな顔をして藤野に言った。
「どうだろうね。自分でもわからない。」
藤野のあまり考えず答えた。
ただ、藤野は終わりを知りたがっていると言われても、否定することはできなかった。ゴールの見えないマラソンほど苦しいものはない。
親子の猫達が茂みの中に隠れて消えてしまうと、西條は藤野の顔を見た。
「こんなこと私が言う権利はありませんが、藤野先生の余命は長くありません。わずかな残り時間くらい、自分の好きなように生きてもいいんじゃないですか。」
西條がそういうと、藤野は苦笑いをした。
「残り三週間くらいで、好きなように生きろって言われても。」
藤野は医師として働き始めてから、旅行や趣味に時間を費やすことはなかった。
たまに飲みにいくことはあっても、休日に没頭するものはなかった。
そのため藤野が疲れた頭をひねっても、すぐにはやりたいことは出てこなかった。
「明日考えてみるよ。今日は色々ありすぎて疲れた。」
「そうですね。ゆっくり考えてみてください。タクシー捕まえますね。」
そういって西條は公園から歩道にでてタクシーを探し始めた。
「いや俺は歩いて帰るから、西條先生はタクシーで帰って。今日はいろいろご馳走様でした。」
「わかりました。ではまた。」
そういって二人は逆方向に歩いて行った。
特に何を考えるわけでもなく、ぼおっとして歩いているといつの間にか家に着いた。
その間時計のタイマーを確認することはなかった。
自分の余命に本当に興味がないんだな。
藤野は自嘲の笑みを浮かべた。
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