症例③ 「西條 真奈美」

「人の寿命が見えるの。」

 夜の屋上で西條は藤野に言った。

 仕事が一通り片付いた後、西條は藤野を屋上に呼びだした。周りには人はおらず、二人きりだった。

 屋上は小さいライトが一個だけで、夜は扉の周り以外は真っ暗だった。

 そのため、西條がどんな顔をして言っているのか分からなかった。

「そうか。」

 藤野はその意味を完全に消化できず、生返事をしていた。

 西條は普段から冗談でも嘘をつく人ではなかった。まして人の命に関して冗談を言う人でもない。それは藤野が短い付き合いの中で感じとっているものであった。

「いつから見えるんだ。」

「こんな嘘のような話信じるんですね。」

「この状況で嘘をつくような人ではないと思ってるからね。」

「ふふっ。それなら安心して嘘のような本当の話ができますね。」

西條の足音が鳴り始めた。近づいてくることもなく、遠ざかることもない。

「相手の余命が見えるようになったのは高校二年生の時でした。その日は四〇度を超える高熱とひどい咳で高校を休んでいたんです。私それまで小中高と皆勤賞だったんですよ。」

 西條の声が少し明るくなった。

「その時は本当に死んじゃうと思ったんです。それで、、、ここからは笑わないで聞いてくださいね。」

「大丈夫だよ。」

「ベッドで寝込んでいたんですが、寝苦しくて目が覚めたんです。ぼおっとして天井をみていると、きらきらきらーって光る線が見えたんです。天井から自分に向かって糸みたいにでていました。意識が朦朧としていたんですが、その糸だけは鮮明に覚えています。」

 西條はおとぎ話を話すように、抑揚をつけて話した。

「それで幽体離脱みたいにだんだん自分が身体を残して天井に引っ張られていくんです。あっ、これは連れていかれると思って必死にベッドにしがみついたんです。そしたらね。」

 西條の声がピタリと止まった。西條の足音も消え、急に音のない世界になった。

「西條先生?」

 藤野が呼び掛けても返事はなかった。風が通る音だけが藤野の周りを駆け抜けていった。

 急に左眼の視界が真っ暗になった。

 藤野の左眼に背後から冷たいものが触れた。

 藤野は飛び上がり、後ろを振り向いた。

 灯りの元で、西條が笑っていた。左手には視力検査の時に使う黒い遮眼子を持っていた。

「なんだよ、驚かせないでくれよ。」

 藤野は硬い笑顔を作って言った。

 そんな藤野の反応を無視して、西條は話を続けた。

「左眼がとれて、糸に釣られて天井に消えていったんです。」

 西條は自分の左眼に遮眼子をあてて、その後ゆっくり空に向けた。

「それは痛そうだな。」

藤野は自分の左眼を触りながら言った。

「それが全然痛くないんです。ぽろってとれた感じ。血も出てなかったし。ただあまりの衝撃的な出来事に気を失ってました。意識が戻った時には病院のベッドに寝てたんです。私、肺炎だったみたい。近くの病院に救急搬送されてそのまま入院。」

「それで左眼はどうなってたんだ。」

「もちろんありましたよ。怖い夢に魘されていたんだと思いました。でもね。」

西條は藤野に近づいて、藤野の足元を見ながら言った。

「看護師さんがバイタル(体温、脈拍、呼吸回数、血圧)測定に来た時、違和感に気がつきました。その看護師さんの左眼だけが充血しているように見えたんです。でも顔を近くで見た時分かった。充血じゃなくて左眼に赤い数字が映っていたんです。私は驚愕しました。」

 西條は顔をあげて、藤野の眼を見た。

 藤野は息をのんだ。そして咄嗟に左眼を隠した。

「私は基本的に怪奇現象という非科学的なことは信じません。だから、その時も不思議なコンタクトレンズをしていると考えました。それもあり得ないけど。だけど会う人会う人みんな同じでした。左眼に数字が刻まれていた。そしてその数字は人それぞれで、共通しているのは皆減っていること。」

 西條はスマホを取り出し、タイマー機能をつけた。そして五分を設定してタイマー開始した。

「大丈夫。藤野先生のやつは見てないですよ。左眼の数字は意外としっかり顔を近づけないと見えないんです。診察とかじゃないと、そんなに顔をよせることもないし。あとは恋人とか。」

 彼女は笑っていたが、少し寂しそうな顔をした。

 嘘か本当かはまだわからないが、愛した人の寿命が見えた時、そしてその人の寿命が想像より短かった時、どんなに好きでもストップをかけてしまう自分がいるのでないか。そしてそんな自分に嫌気がさすのかもしれない。藤野はそんな妄想をしてしまった。

「だから安心してください。先生の寿命はみてないし、これからも意図的に見るつもりはありません。」

彼女は言った。

「大丈夫。西條先生は信頼してるから。」

「ありがとうございます。少し脱線しましたね。私がどうして確信にいたったのか。それはすごく単純なことです。人の死に目に会ったんです。


 西條が話した内容をまとめるとこうだった。

 入院していた西條は、最初は個室だったが状態が良くなって四人部屋に移動となった。

 その時、隣のベッドに八〇代のおばあちゃんが入院していた。西條はそのおばあちゃんとよく話していた。西條は学校の話や買っている犬の話。おばあちゃんは西條と同じくらいの孫の話や趣味の似顔絵の話をした。

 おばあちゃんは肺癌の末期で、緩和治療を行っていた。調子の良い時は経鼻酸素投与であったが、夜など調子が悪い時は酸素マスクをして寝ていた。

 西條は順調に経過し、三日後に退院日が決まった。

 おばあちゃんは退院のお祝いに西條の似顔絵を描いてくれることになった。

 おばあちゃんは眼鏡をかけて、鉛筆で慣れた手つきで似顔絵を描き始めた。

 西條は似顔絵を描いてもらうことが初めてだったので、緊張して顔が強張ってしまった。

「無理に笑う必要なんてない。慣れてくれば自然といつものいい顔になるよ。」

おばあちゃんは黙々と鉛筆を走らせていた。

 おばあちゃんが顔を近づけてきて、左眼を見てきた。

「あなたの左眼はとてもきれいな眼をしているわ。」

 そういって嬉しそうに眺めていた。

 西條もその時おばあちゃんの左眼の中が見えてしまった。

『56:32:12』

おばあちゃんの左眼に赤い文字で刻まれていた。あきらかに看護師より少ない数字であった。

 西條は嫌な予感がした。しかし考えると本当になりそうで、考えるのをやめた。

 三〇分程度で似顔絵が完成した。

「完成。我ながら自信作よ。」

 おばあちゃんは息を切らしながらも、満面の笑みを浮かべて言った。

「みせてみせて。」

 西條はおばあちゃんの隣に座り、絵を覗き込んだ。

 西條は声を出せなかった。

 三〇分で書いたとは思えないほど繊細に写実的に描かれていた。

 ただ、一か所だけはおばあちゃんはアレンジを加えていたことに気が付いた。

左眼の部分であった。黒目の部分が赤色で縁取られていたのだ。

「おばあちゃん。これ。」

 西條は左眼の部分も指差して訊いた。

「ああこれね。実際こんな風に赤いわけじゃないの。でも、なんとなくそんな風に感じたから左眼だけ色つけたの。」

「ううん。とてもきれい。おばあちゃんありがとう。」

 西條はその眼が気になったが、それ以外はとても綺麗に描いてくれていたので満足していた。

 おばあちゃんはその後、少し疲れたといって横になった。

 その夜からおばあちゃんの容態は急激に悪くなった。すでに意識障害がでており、酸素マスクを当てられ顔は青白くなっていた。

 死期が近いと判断されたため、西條の退院前日におばあちゃんは個室に移動となった。

 声も出せなくなったおばあちゃんのそばに、西條はずっといた。

 左眼のタイマーが一時間、三〇分、一〇分、三分となりおばあちゃんの家族もほとんど揃っていた。家族とは入院中何回も話していたので顔見知りとなっていた。そのため、あまり不審がられずにおばあちゃんのそばにいることができた。

 家族はそれぞれおばあちゃんに声をかけるも、タイマーに変化はなく刻々と目減りしていた。

 左眼の数字がゼロになった時、モニターで心静止となった。

 西條は泣けなかった。自分の不吉な予感が的中し、気持ち悪くなった。

 なんとか自分の部屋に戻ると、おばあちゃんが描いた自分が西條の方を赤い目でじっと見ていた。

 怖くてその夜は全く寝れなかった。

次の日西條はおばあちゃんが描いた似顔絵をもって退院した。


 西條のスマホのアラームが鳴った。ゼロになったタイマーを見せてきた。

「彼女の死で、わたしは確信に至った。」

アラームを切って彼女は言った。

「これは後で気が付いたことだけど、自分の寿命は見えないんです。何回鏡を見ても、左眼には何も映っていなかった。赤くなることもなかった。まあ、その点に関しては知りたいとも思わなかったから、むしろ安心しました。これが全部。人に話したのは初めてなんです。」

 西條はすっきりした顔をしていた。

「やっぱり信じられない?」

 西條は藤野から離れて夜空を見上げて言った。

「いや、むしろ納得したよ。西條先生の変な行動も、この話をきけば納得できる。あの手術で術式を変えた時も、その人の寿命をみて代えたんだろ。」

 藤野はその場に座り込んでいった。

 西條はうなずいた。

「この眼は医師にとって良いことなのか。それとも悪いことなのか。藤野先生はどう思う。」

「それは難しい質問だな。俺には見えないし、考えたこともなかった。」

 藤野は曖昧に答えた。

「そうですね。見える私と見えない藤野先生では答えは決して一致しない。それが正解なんだと思います。」 

「でも西條先生は良いと思って医師になったんでしょ。それならそれが答えだよ。」

 藤野は西條の顔を見て、真剣な顔で言った。

「ありがとうございます。」

 西條は優しい声で藤野に言った。

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