カルテ2:九重近衛
この世はいつだって理不尽だった。
結局どこに行ったって変わらない。
必要なものは何もかも揃った作り物の街だって、俺のこの化け物じみた力が変わらなければ何も意味がない。
「九重近衛が来たぞ! 逃げろ」
俺は何もやっていない。喧嘩を制裁しようとしてちょっと力を入れすぎてしまっただけ。いざこざに巻き込まれアスファルトに傷をつけてしまっただけ。それだけで、誰もが俺を避けるようになってしまった。
これじゃあ外にいた時と何も変わらない。学校中……街中から嫌われていたあの時と。
俺は【怪力の特異】というらしい。
OODの健診担当者曰く、軽く殴るだけで、時速六十キロで走ってきた自動車と同じだけの医療が出せるとか。その怪力に耐えれるように身体能力全体が強化されているらしいし、訳が分からない。ていうか時速六十キロってどれくらいの速さなの? って聞いたら苦笑いされたし。
今日もコンビニのおにぎりを食べながら逃げてく子どもたちを見つめる。別に俺、何もする気はないのに。力が強いってだけでいつも悪役だ。
今日の夜空はどんより曇っている。オーパークの明かりも9時には消えるし、早いところアパートに帰らなきゃ。
そんなことを思っている時だった。
「やれるものならやってみなさい」
女の子の、威勢のいい声が聞こえて、思わず振り返る。
建物と建物の間の狭い路地。その入り口に女の子が仁王立ちして、誰かを庇っている。その対面には明らかに柄の悪い男が三人。目元に傷があるガタイのいいやつと、スキンヘッドの太ったやつと、サングラスをかけた長身のやつ。
女の子の方は髪が長くて、細くて……とても強そうには見えないけど……後ろで震えている子を庇ったまま、表情を崩すことはなかった。
「いいからさっさと金をよこせってんだろ」
ああ、そうだ。この街では働くか勉強するかしないとお金が手に入らない。だから強引に強請るしかない……多分、そういうことなんだろう。俺は適当にコンビニで働いてみているけどそれさえ嫌な人もいる。なんて柄の悪い街なんだろう。
目元に傷のある男が腕を振り下ろす。すると、女の子の頬から血が流れた。
触れずとも……相手の皮膚を切り裂いた……って感じ?
誰も助けようとする人はいなくて……それどころか女の子も仁王立ちしたままびくともしない。頬から血が流れているのに。
「無理をしているのか……それとも痛みを感じねえのか?」
ここには特殊な子どもしかいない。だったらその可能性を疑うだろう。彼女は痛みを感じない【特異】で……だから切られてもびくともしないと。
しかし女の子は首を横に振った。
「いえ、痛いですわよ? ただ……私に傷跡は残せない、ただそれだけのことです」
彼女はポケットから白いハンカチを取り出すと頬の血を拭った。すると、そこにあるのは真っ白な傷一つない肌だけだった。
「痛みは感じる……なら殴りがいもあるってもんだなあ」
「ええ、気が済むまでご自由に。あなたたちの要件を飲む気はありませんが」
男が数度手を振り下ろしただけで女の子の顔に、首元に、傷ができる。着ているワンピースさえ切り裂かれていて……それなのに、そんなことは気にも留めないように凛と立っている。
そんなの……放っておける訳がない。
「やめろおお」
コンビニの袋なんて投げ出して、全力で男たちの方に向かう。そして足を振りましてその勢いだけで取り巻きの二人を蹴り飛ばした。
「なんだ、お前……」
「俺は……【怪力の特異】九重近衛だ」
名乗りたくない名前を名乗って構えると、途端に相手は顔を青くした。
「お前が九重近衛……くっ、今回のところは見逃してやる」
そんな三下台詞を吐いて、悪党たちは去っていってしまった。
そのまま颯爽と去ろうとすると引き止められ、庇っていた女の子を返したあと、彼女は俺のことを真っ直ぐ見つめて……それからふわりと微笑んだ。
「助けていただき、ありがとうございます」
「いや……俺は別に……」
こんなのはたまたまだ。基本的に俺はいつも悪役で……今回は運が良かっただけ。ただ、こうして人を守ったのは初めてかもしれない。
「君みたいに強い子が理不尽な目に合っているのは見逃せなかったというか……」
弱いものいじめの現場は何度も見てきたし、何度も見逃してきた。
でも、この子は違う。絶対に助けを求めずに、ずっと暴力を受け続けられちゃう子。だから……止めなきゃいけないと思った。そういうと彼女はまた微笑み、
「強い子……ですか。嬉しいことを言ってくれますね」
と、言う。
今気づいたけれど……彼女の左目は何故か不思議な金色に染まっていた。【特異】は遺伝的ではない身体的特徴を持って生まれるというから、それだろうか。
「あなたも十分強いとは思いますが」
もうカフェも空いていないし、適当な廃墟の壁の前に座って続きを話す。ああ……彼女の目には俺はどう映るのだろう。
「強くないよ……強いのは俺の能力だけ。俺自身はずっと弱いまま」
「でも、助けてくださったじゃないですか」
「それは、たまたま」
偶然彼女たちに居合わせなければこんなことにはなっていない。
「俺、こんな能力持っているから外でもずっと警戒されていて友達なんて一人もできなくてさ……寧ろ力を使うのが怖かった。でも、君の真っ直ぐな目を見たら少し……助けたくなった、というか」
「外……ですか」
女の子の目がどこか遠くを見る。
俺たち【特異】にとっては外の世界も大概ひどかった。特に俺が生まれたころはまだOODもなくて【特異】に対する理解もなかった。化け物だと言われて差別されたし、正式に【特異】という名前がついたって下手したら人間の身体を軽く壊してしまいそうな俺に対する理解なんてなかった。親からもびくびくされるし、近づいてくるのは俺を利用しようとする人くらい。
だからOODに匿ってもらうことは、最初は一つの希望だった。まだ中学一年生になったばかりだけど、普通の生活を辞めることに抵抗はなかった。
でも、ここは楽園街なんて呼ばれるような場所とはほど遠い管理社会。OODという組織だって……なんだか怪しい動きをしていることくらい分かる。
「私も外では弱い人間でした」
彼女は髪を耳にかけて、切なそうに呟く。
「君も友達がいなかったの?」
「いえ……勿論友達も然程できませんでしたが……それよりも、親が恐ろしくて」
年は同じくらいだと思っていたけれど、急に彼女がすごく大人びて見えた。それくらいに不思議な魅力がある。
「私の身体にはいくら傷をつけても跡が残りません。だから……父のストレスの吐口でした」
「な……」
俺も両親に煙たがられていたけど、この子はそれ以上だ。実の両親に……暴力を受けていただなんて。
「母はそんな私を庇っていました。でも、私はそれが悔しかった。守ってもらう存在になんてなりたくなくて……」
それで彼女は……強くなることを望んだのだろうか。
「ただ、ある時私に転機があったんです。それが……この左目で」
月明かりを受けて、彼女の金色の目が光る。それは見惚れてしまうほどに綺麗だった。
「ある時父が持ったハサミが私の左目を傷つけました。今まで感じた痛みの中でも特に激痛が走りました……が、それもすぐに解決。一応覗いてみた鏡で呆気にとられましたよ」
その目が回復した時……彼女の目は左側だけ色が変わってしまっていたらしい。それは回復による突然変異みたいなものなのか、偶然なのかは分からないけれど。
「それ以来この左目は私の誇りです」
「な、なんで? だってそれって傷跡だよね?」
誇りになる意味が分からない。普通はコンプレックスじゃないだろうか。
「私にも化け物ではなくちゃんと人間らしい……傷がつくと分かりましたから」
「でも……」
「それに明確な傷跡がついたことによって分かりました。私は痛みを乗り越えられるだけの強さがあると。決して守ってもらってばかりの人間ではないと」
ああ……彼女は本当に強いんだ、と再び実感した。
傷つけられてばかりの時は自分に自信がなかった。けれどそれが目に見えた時……耐えたと分かった時、どういうわけかそれが自信に変わったんだろう。
頭の悪い俺にはちゃんと理解できていないかもしれないけど、ただ傷跡を持った上で凛としている彼女は素敵だと思った。
「私は守られる存在にはなりたくありません。私は誰かを守人間になりたい。この楽園街でもそれは変わりません」
「おお……」
だから、さっきも別の女の子を守っていたのか。痛みを受けても微動だにすることなく。
戦うための武器なんてないのに、気持ちだけで立っていた。
なんて強い子なんだろう。ただ……
「でも、やっぱり武器がないのは危険だよ」
攻撃を受け続けるだけじゃ戦いは終わらない。抵抗する手段を持たないと。
「では武装して……」
「俺が、君の武器になるんじゃだめかな?」
「え?」
今まで人を傷つけるのが怖くて逃げてばかりだった。でも……誰かを守ろうとする彼女に興味が湧いた。
「別に君を守ろうとするわけじゃないよ……守られるのが嫌いなら。ただ、手足となって戦いたい。命じられればいくらでも動ける」
彼女の手をつかんでじっと見つめる。なかなかいいアイデアだと思うんだけど。
彼女はしばらく沈黙したあと、ふふっと小さく笑って、
「それは頼もしいですわね」
と、俺の手を握り返す。
「それでは二人で作りましょうか? ここにいる非力な特異を守るためのグループを」
「それ、面白そう!」
楽園街にはいくつか【特異】の集まりというか、グループみたいなのが存在している。俺たち二人で一緒にそれを作るのも面白そう。
「じゃあグループの名前作らなきゃ。ていうか、君の名前聞いていなかった」
ずっと、名前を知らないまま夢中で話をしてしまっていた。尋ねると彼女は少しだけ悲しそうな顔をして、
「菰野陽芽です」
と小さな声で呟いた。
「ひめちゃんだね。俺は九重近衛。ちょっと変な名前だけど」
名前を呼ぶと、また悲しそうな顔をする。
「ひめと呼ばれるのは嫌いです」
「え、なんで?」
「だって、ひめというのは守られるではないですか。ずっと……言われてきました。菰野家のおひめさま、なんて」
そういえば彼女喋り方からしても裕福な家の子どもって感じがする。そういうのも彼女のコンプレックスの一つだったりして。
俺の名前もお父さんがダジャレでつけたようなものだけど、近衛兵とか言われたりしたな。彼女専属の兵士になれるのだとしたら、それはそれでいいような気がするけど。
初対面なのに、何考えているんだろう。
「でも名前は名前だし……他に守る存在といえば……女王様とか? ってそれもだめか」
「女王……確かにチェスのクイーンは前線に出て戦う存在……近衛さん、素晴らしい思いつきですわね」
チェス? よく分からないけど、本当に女王様呼びが気に入ったのだろうか。
だとしたら少し変な子だ。
「私が女王なら近衛さんは
「
その呼び方、なんか少し気に入った。
「じゃあ俺たちのチーム名は女王様が統治する【王国】、みたいな?」
「いいですわね」
なんとなく口にしたのが通っちゃったよ。本当に大丈夫かな。
それから俺たちは夢中で【王国】の設定を考えた。
【王国】はあくまで外敵から自分たちを守る保守的な集団であること。ただし仲間が傷つけられたら全力で報復すること。裏切りには容赦しないこと。仲間の要望にはできるだけ答えること。
たった十二歳の子ども二人が作った法律なんてめちゃくちゃなものだけど、それでも夜空の下、彼女と一緒に今後の生き方を考えるのはとても楽しかった。
「住処はこの廃旅館がいいかもしれませんね」
俺たちはどうやら楽園街が作られる前から放置された旅館を背もたれとして使っていたらしい。確かにここなら住む分にも問題なさそうだし一定の居心地の良さはあるだろう。
「それでは近衛さん、今日からよろしくお願いします」
「待って」
近衛さん、か。その呼び方もいいけど……なんか違う。
「俺のことは、近衛って呼び捨てにして欲しいな。だって俺はあなたの騎士だし」
「ではよろしくお願いします、近衛」
ああ、それでいい。だって俺はあなたの武器なんだから。
「よろしくね、ひめちゃん」
「ちょっと、ひめと呼ばないで欲しいと……」
うん、そんな話をしたけどそれはだめ。
「これから他の人が女王様って呼ぶことになっても俺だけは絶対にひめちゃんって呼ぶもん」
「どうして」
「んー、ひめちゃんが菰野陽芽だってことを忘れないためかな」
左目を怪我して自分の強さに向き合ったように、女王様の中にある菰野陽芽という存在は覚えておいて欲しいから。そう考えているけど、ひめちゃんは少し困ったような顔をする。
「ひめと呼ばれるのは好きではありません」
そんな困り顔も可愛いな。
あれ……可愛い?
「俺、ひめちゃんのこと好きなのかも」
「え……?」
「いや、なんでもない」
小声で言ってしまったことを慌てて否定する。でも今のこの心臓の高鳴りは……なんとなくだけど、恋って感じがする。
「まあとにかく、よろしくひめちゃん」
「だから……」
こうして、後に無法地帯と呼ばれるようになるこの人工都市に、小さな【王国】が誕生した。ひめちゃんの人柄あってかあっという間に人数も増えて、料理の当番とか仲間を守るためのルールとかもえできていった。きっと【王国】ならばこの先もずっと、人工都市の中で生き抜くことはできるだろう。外に出なくてもひめちゃんの側で生きていられる。それだけで十分だと思った。
人のためならいくらでもその身を犠牲にしてしまう、強がりで、可愛い女の子。
彼女の手足であれるのはそれだけで幸せなことだった。
彼女の住んだ声で名前を呼ばれる度、頼りにされる度、嬉しくなる。
ひめちゃんは守るべき仲間を手に入れて、俺は尽くすべき人を手に入れた。
それだけで十分なんだ。このまま何も変わらなくてもいい。
「好きだよひめちゃん」
「はいはい、そういうのは後で聞きますからね」
でもきっと彼女はそうでない。いつものようにあしらわれながら、それが少しだけ悲しく思えた。
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