第6話:作戦会議

「駄目ですわ」

 菰野陽芽は長い髪を風になびかせて、眩しい笑顔できっぱりと言い放った。

「ええ、あなたならそう言うと思った」

 対する木津川空もまた、西日を浴びて見事な接待スマイルを浮かべている。

 颯太は清々しいほどにお互いを拒否するリーダー二人を見て冷や汗をかいた。ここは共通の敵を前にお互い手を組んで頑張ろうとするのが良作ではないのだろうか。それとも【王国】と【トランプ】はかつて対立に値するようなことでもしたのだろうか。


 【王国】のメンバーである知夏が誘拐されたと確信し【トランプ】の四人と住佳たち小学生を連れて廃旅館の前で待つ陽芽の元へと向かったところまではよかった。このまま全員でOODに立ち向かう流れがくるのだと、そう思っていたのだが。

「あなたたちが確実に信頼できると分からない限り【王国】のカルテは見せられません」

「OODを倒す……その目的は同じでも?」

「私は【王国】の女王として仲間を守る義務があります。OODに立て付くのはあくまで私たちの仲間を助け仲間の願いを叶えるため。カルテを見せてあなたたち怪盗集団に情報を売られでもしたら本末転倒です」

 確かに【トランプ】は情報を扱う自称怪盗集団。協力するとだけ言っておいてうまいこと利用する可能性はある。【王国】は仲間を守るためには「目には目を」いや「目には歯を」くらいの行動をとるが基本的には保守的なグループだ。人数も多く【トランプ】のように身軽には動けない。さらには十歳にも満たない小さな子供もいる。慎重になるのも無理はないと颯太は思った。

 ただ、ここで颯太は空に依頼をされていた。類を探す代わりに陽芽と協力関係を結ばせて欲しいと。完全に彼女たちが信じられるかは分からないが、颯太にとっては類のことが何よりも大事だ。こんなところで口には出せないが、幼い雪々や知夏よりも類のことを一番に考えたいと思っている。であれば、陽芽には動いてもらうしかなかった。

「あの、菰野さん……俺からも、お願いします」

 颯太は一歩前に出ると彼女に向かって頭を下げる。

「えっと俺は一昨日彼女たちに会ったばかりですが……変な人たちに見えてちゃんと目的はしっかり果たすというか……芯の通った人たちで、ここから出るという目標のために真っ直ぐ活動をしています。だから……協力してもいいと……」

 おかしな言動には目を瞑り、そう説得してみるが、

「客観的事実ではなく確固たる証拠が欲しいですわね」

 と、却下されてしまった。

 そのまま言葉に迷っていると、陽芽のスカートが僅かに持ち上がる。風……ではない。誰かに人為的に裾を持ち上げられているかのようにゆっくりと上昇していく。

「ひ、ひめちゃん!」

 陽芽の隣で黙っていた近衛が動揺して彼女のスカートを押えなければ見えてしまっていたかもしれない。

「ちょっと! ひめちゃんのスカートの中を見ていいのは俺だけなのに」

「近衛、あなたも見て言い訳がないでしょう」

 陽芽は動揺する素振りは見せず近衛の頭を叩いた。

「それは脅しのつもりですか?」

 陽芽が再び【トランプ】の方を見れば、

「いやあ、美人さんがスカートを履いているとつい……めくりたくなっちゃうのさ」

 と、柚が手を合わせる。

「それに少しは場の空気が和んだと思ったんだけどそんなことはないみたいさね? じゃあお詫びに恩ちゃんのスカートも」

「やめてください!」

 柚は【念動の特異】だが随分としょうもないところに使いたがる。しかも今のでまた信頼度が落ちたに違いない。颯太のため息と恩のため息が重なった。

「あのですね……確かにこの人たちはいろいろセコいことしていますし胡散臭いことこの上ないです。いつ抜けようか私も多々悩みましたが……一つ言えるのは彼女たちは悪人ではありません。怪盗なんて名乗っているけれど、基本的に等価交換しかしないし、ここから出るための情報を地道に集めている。誰かに危害を加えるなんてことは一切していません。あ、私は度々危害を加えられていますが……だから協力してください。私のためにも」

 恩は自分のスカートを押えながら陽芽に訴えた。言葉の端々から彼女が限界に近いということが伝わってくる。ただ、

「恩って意外に私たちのこと好きだよなー」

 と歩が呑気に呟けば、

「断じて違います」

 と、冷たい声で言い返した。

「そうだもう一つ情報を渡しましょう。これはゲームセンターのバイトリーダーの真清田流布くんから来たのだけど……明日の午前5時頃、上級特異の起点活羅が物資を運びにOOD本部からオーパークへ来るらしいの。【消失の特異】である彼女は目で認識できないけれど、【透視の特異】である私なら認知して追跡可能。それを行えばOOD本部の隠しゲートが分かる。けれど私たち四人には直接OOD職員や上級特異と遣り合う力がない。だから戦力を欲しているの」

 陽芽は暫く空のことを見つめていたが、

「あなたたちは何故外に出たいのですか?」

 と問いかけた。

「私は普通の生活を送るためです」

 と、すかさず恩が答える。

 それは颯太も知っていた。では他の三人はどうだろう。

「私は趣味のためだ」 

 そう答えたのは歩だ。

「趣味?」

「私の趣味はオンラインゲームだ。特に大人数で行うRPG系が好きだった。しかしこちらは外のインターネット回線とは繋がらない。オーモバイルには似たようなアプリがあるが物足りない。【記憶の特異】である私には退屈になるばかり。だからこそ外に出たいんだぞ」

 ゲームだと言われた瞬間はふざけているのかと思ったが全ての物事を記憶してしまう歩にとってオンラインゲームという刺激を失うのは苦しいことらしい。それなら颯太も少し同情した。

「うちも趣味のためさ」

 聞かれてもいないのに柚が高らかに宣言する。

「確かに無法地帯も女の子のスカートめくり放題で有意義さ? でもそれじゃあ物足りない。もっとたくさんの女の子と出会ってハーレムを作るのが私の……」

「柚さんが喋るとややこしくなるので黙ってください」

 恩が柚の頭にチョップを叩きつける。彼女は仲間にも容赦がない。

「因みに私は大した夢や目標、やりたいことなんてないけれど……しいて言うなら恩ちゃんと同じよ」

 空は自分の唇に人差し指をくっつけて陽芽の目をじっと見る。

「私も私らしい普通の生活をしたいの。決して素行のいい学生じゃなかったし半分くらいサボって不純な異性付き合いをしていたけれど……私にとってそれが私らしい生き方だった。少なくともこんな閉じられた子供たちの街ではそれは成し遂げられない生き方」

 こんな人と一緒にされたくないです、と恩が小さく嘆く。

「お、俺は出たくない」

 すると、陽芽の隣にいた近衛が急に大声を出す。

「近衛?」

「俺は……外になんて出たくはない。【特異】じゃない人間は俺みたいなやつのことを嫌うし、俺は俺で普通の人間みたいにうまく生きられないし……でも陽芽ちゃんがそれを望むなら……俺は陽芽ちゃんについて行こうと思う。それが俺の意思」

「どうしたんですか、急に」

 陽芽に覗き込まれ近衛は顔を赤くする。

「いや、まだちゃんと言えていなかったなって……それだけ、で」

【トランプ】の四人に触発されたのか自分の言いたいことだけ告げると、近衛は自分は終わりとばかりに颯太の方を見た。

「いや……俺は前から言っているじゃないですか。幼なじみの軽沢類を探し出したいっていう、ただそれだけです。そのためだったらなんだってする覚悟でここに来ました」

 だから【トランプ】でも【王国】でも使えるものは使いたい。

「そうなんですね……因みに私はここから出たいと思ったことはありませんでした」

「え、ひめちゃん?」

 思いもよらない発言に近衛が目を丸くする。

「私のこの変色した左目は……生まれつきではありません。私は身体が再生する能力があるために日々父親から暴力を振るわれていました。その時たまたま彼の持っていたハサミが私の左目を傷つけ……目が再生した時、何故か色が変色していたのです。傷が残らない私にとって、これが唯一の傷跡でした。外に出ればその親に再開することになるかもしれない。虐げられる日々があるかもしれない。かつての私はそう思っていたことでしょう。でもそれは守られることしか頭にない弱い人間の考えです」

 自分の左まぶたに触れながら陽芽は自分の実情を語る。それは颯太も想像できないような辛い過去だったが……随分平然と言ってのける。

「人のために生きる女王になろうと決意した日からそんな自分の意思は捨ててきました。今まで仲間を守こと、助けることを第一に考えてきた。そして……仲間というのは【王国】のメンバーだけに限りません」

 陽芽は空に右手を差し出す。

「【王国】の女王としてあなたたちを助ける……そういった体で手を組みましょう」

「ひめちゃんって案外素直じゃないね」

「そうですね、私は一筋縄ではいきませんから」

 微笑む陽芽の手を空が握る。時間がかかったが【トランプ】の四人が着飾らず自身の思いを伝えたことで陽芽の審査に通ったようだ。

 案外この女王様は厄介だぞ、と颯太は気づかれないようにため息を吐く。やはり同じタイミングで恩も同じように息を吐いていた。


「それ、俺も一緒に行かせて」

 いつからいたのか、気がつけば颯太の後ろに維吹が立っていた。今日はパーカーも被っておらず色素の薄い髪がやけに目立つ。そして、顔には疲れの色が見えた。

「維吹さん……何かあったんですか?」

 これは観察が得意な颯太でなくとも分かる。今の彼にはいつものような落ち着きがない。人を揶揄って遊ぶような余裕さがないように思える。

 颯太が近衛の方を見ると、鈍そうな彼でさえ少し不思議そうにしている。

「……大事な子に危機が迫っている……時間がないんだ」

「大事な子……ってどなたでしょうか?」

 陽芽が首を傾げる。颯太も維吹が誰かを探しにここへきたという話は聞いていたがその相手が誰かは知らない。

「……もう、隠す必要もないか」

 維吹は小さく息を吐くと、

「ずっと立ち話してるのも疲れるでしょ? 中、入らない?」

 と、提案した。


 心身ともに疲労しながらもずっと側で立っていた小学生三人を返し、葵の間に八人で座る。流石に長机を二つ置いただけの空間に八人が入ると手狭だが仕方がない。颯太が気を利かせてお茶を運んでくるも、暫くは皆無言だった。それも、場所を移すと提案した維吹自身が無言で俯いていたからだ。

 颯太が席につくと漸く維吹は顔を上げ、

「杏を助けたいんだ」

 と呟いた。

 その後、3秒くらいは沈黙が続いた。

「杏って……上級特異の蛇穴杏のことかー?」

 皆が一瞬誰のことか記憶を手繰る中、歩が一足先に答えを出す。

 蛇穴杏といえば人形のような格好で皮肉や毒を吐きOODの犬を自称する厄介な【特異】。決して分かり合うことのできない上級特異だったはずだ。

「え、でも……維吹さん蛇穴杏のことあれだけ嫌いって……」

「そうだよ! 維吹は蛇穴杏のことになるとマジギレしてたじゃん」

 本当は二人は仲がいいのではないかと疑った颯太に対して、維吹は嫌悪をあらわにしてツラツラと悪口を吐いた。そのせいで二人はかなり仲が悪いのだと確証を得た颯太だが、その認識とは全く別のことを言われて呆然とする。

「ああ、それは演技だよ。杏は俺の高校の後輩。あいつもかなり過激な演技をしているけどそれはOODに殺されないための隠蓑だ。俺たちは約一年協力してOODの穴を探っていた。でも、それがバレた」

「バレたって……では杏さんは」

「OODの秘密を知りすぎているんだ。命が危ないに決まっている」

 ここにいる皆が、蛇穴杏のことを知っているがために驚いている。

 彼女が実はこちら側だったことにも、そんな彼女に対していとも簡単に危機が迫っていることも。

 いつかはくるかもしれないと思っていたことだが、それが起きるにはあまりにも早すぎた。その原因を、現時点では維吹だけが知っていた。

「颯太に有益な情報を渡そう」

「え?」

 維吹はお茶を飲み干すと、珍しく真面目な顔をして颯太を見つめた。

「軽沢類は上級特異としてOODに使役されているらしい」

 有益、どころでない。それはもはや颯太にとっての答えだ。

「OODに乗り込みましょう」

「いや急ぎすぎです」

 立ち上がろうとするのを一番近くに座っていた恩に止められる。

「どうやら向こうは明日の夕方に……邪魔である【王国】を潰そうと動こうとしているようだがそんなの遅い」

「なら私たちが持ってきた情報を使い朝5時に動きましょ?」

「そのために……【王国】総動員で挑みますわ。類さんや杏さんだけではなく、知夏さんや他のメンバーも助けにいかなければなりません」

 これでやっと全員の足並みが揃った。

 颯太にとっては非常に忙しない日が続くが、いよいよ動き出すしかない。


「ということで、作戦会議を行いますわ」

 【王国】の住処である廃旅館の大広間。そこには四十人ほどの子どもたちが集まっていた。どうやら彼らは毎日ここで食事を取るわけではないらしい。バイトをしている者もいれば外食や自宅で食事をとる者くらいはいる。しかし、今回はOODのメールアプリで招集されたために全員が同じ場所に集結した……ということだろう。颯太は初めて見るメンバーもいることに驚きつつ、目の前の唐揚げに手を出した。これだけの人数分料理を作るのはやはり大変だろう。【トランプ】の四人も皿に盛られた大量の料理に圧倒されている。

 全員分の白米、味噌汁、それからサラダ、唐揚げ、刺身の盛り合わせ、ゴーヤの入った炒め物もある。一応栄養バランスにも気を使われているのだろうか。陽芽の呼びかけを聞いているのかいないのか、ひたすら箸を動かし続ける者までいた。

「まずは朝の5時、【トランプ】の空さんと歩さんが上級特異の起点活羅さんの後を追い隠しルートを確認します」

「うわっ、一瞬朝の5時に起きなきゃいけないかと思ったあ」

 刺身を口に運びながら浮音が漏らす。その口を右隣にいる朱実と、左隣にいる少年に両側から塞がれた。どんな時でも彼女は空気を読めないらしい。

「その後朝6時頃から追跡班の移動を始めますわ。その中に浮音さんも含まれていますわね」

 陽芽は胸を撫で下ろす浮音に微笑んだ。結局彼女は5時に起きなければいけないらしい。

「考えられるのは上級特異とOOD職員、科学者との戦いです。おそらくOODの施設に侵入した段階でセンサーが反応し動き出す。そこを威力とスピードで乗り行って捕まっている仲間を助け出します。ではメンバーと役割を発表しますわね。勿論拒否もできますわ。皆さんに無理を強いたくはありませんから」

 そうはいうものの、この中には作戦に参加したいものが多いだろう。皆【王国】には多かれ少なかれ助けられているのだから。

 颯太はそう思いながらふと違和感に気付いた。確かに陽芽が【王国】のリーダーなのだから作戦を発表するのはおかしくない。しかし参謀とも言われる維吹が隅に座って終始黙っているのは不思議だ。そうして維吹を見つめているうちに分かった。維吹はじっと【王国】のメンバーを観察している。

 これだけ人数がいれば……全員が陽芽の意思を汲むとは思えない。むしろ思ってはいけない。

 この隙に【王国】に楯突こうとしている者がいるかもしれないし、そもそも上級特異の手下が混じっている可能性もある。この部屋が盗聴されていないという確証もない。

 颯太も思わず周囲を見渡す。そうすれば不審な人間は二、三見つけてしまった。それでも維吹は……何故か、妙に落ち着いている。

「以上のことは後ほどメールにも流しますわ。それと……」

 つらつらと喋っていた陽芽が言葉を止める。気づけば皿の上の食事は大分なくなっていた。陽芽の分は近衛が確保しているようだが。

「裏切り者は【王国】の法に則り容赦はしませんわ。相応の罰を与えますので覚悟しておいてくださいね。現行犯であればその場で処分いたします」 

 【王国】にはまだ幼い子どももいる。しかし陽芽はそんなことを気にする素振りもなく、爽やかな笑顔で言い放った。【王国】の人間が陽芽に逆らえないのは恩があるからというだけではない。女王である菰野陽芽の存在が恐ろしいからでもあるのだろう。陽芽の隣で彼女を守り続けている近衛のことも同様に。

 明日作戦に加わろうと加わらなかろうと裏切った時点で切り捨てる。それだけの気持ちはあるらしい。これは、今目を逸らしている颯太の向かいにいる少年も、維吹の二つ隣で澄ました顔をしている少女も当日容易に動くことはできまい。勿論何かを起こされたのであれば全力で対処するのみ、と。

 颯太は改めてこの菰野陽芽という女性を恐ろしく思った。


◆   ◆ ◆


「だめ……か」

 甘野知夏は腕に何度か力を入れ、それからため息をついた。いくつもベッドが並んだ薄暗い部屋。そこに数台二段ベッドが並べられ、【特異】たちが寝かせられている。四肢を拘束した上に筋肉弛緩剤まで打たれた者もいるようだ。知夏には難しいことは分からないが、ただ力が入らなくなる薬が打たれた、ということだけは分かった。

 信頼する女王様たちが助けに来てくれる……そう信じてはいるが、それでも助けが来るまでの時間は不安でならない。同じ部屋にはもう一人見知った顔がいるが彼女もまた動くことはできないようだ。

凛子りんこお姉ちゃん」

 知夏は小声で隣のベッドにいる少女に声をかけた。

「……知夏?」

 榊凛子さかきりんこ。【王国】のメンバーである彼女は今やっと知夏が近くにいることに気がついたらしい。知夏の方に顔を向け、目を丸くしていた。

「知夏たち、助かるよね」

「ああ、もちろんだ。【王国】を信じろ」

 いつも強気で姉御気質な凛子は、知夏たち小学生ともよく遊んでくれていた。だからこそ、信頼できる相手でもある。他の【特異】たちもまだ希望は捨てていない……それはここの空気でなんとなく伝わってくる。

 皆、上級特異たちに拉致されてきた。しかし抜け出すことを諦めてはいない。

 手に力が入るかを何度も確かめ周囲の様子を探っている。

「知夏たちにもできることはあるかな」

 武器のリコーダーは落としてきてしまった。自身の能力でできるのは人の怪我を治すことだけ。

 凛子の【特異】はもう少し攻撃に特化したものだが、今ここで使うのは難しい。

 他の特異はどうだろうか。

「多分動かなくても物を破壊できるタイプの【特異】はもっと別の方法で囚われているはずだ。あたしらは安全と思われているからこんな拘束で済んでいる」

 相手もその辺りは読んで処置をしているのだろう。

「でも、このまま待っているわけにも……」

 知夏が言いかけたその時、ガラリと扉が開いた。途端、部屋に明かりが入ってくる。

 助け……というわけではなさそうだった。

 入ってきたのは白いシャツを着た眼鏡の少年。背は低いが聡明そうな顔つきをしている。中学生か、高校生くらいの年齢だろうか。

「みなさん、気分はどうですか?」

 と、彼は優しく尋ねる。助けが来たのかと、勘違いしてしまいそうになるほどに。

「上級特異か」

 と、誰かが呟く。このOODの建物内において自由に動ける子どもなんて上級特異としか考えられない。少年はうっすらと微笑んで、

「そうです。上級特異の僕であればこのように自由の身で動くことができますよ」

 と言った。

「そしてあなたたちの何人かも自由の身にしてさしあげましょう」

 少年はゆっくりと部屋の中に入ってくる。狭い部屋に響く足音がやけに不気味だ。

帆能ほのう美柑みかん由賀ゆが好奇こうき安土あづち白米はくまい安土あづち玄米げんまい、榊凛子……あなたたちを捕まえたのは研究のためではありません。晴れて上級特異として格上げすることが決まったからです」

 部屋にいるのは十五名ほど。そして名前を挙げられたのは五名。

 その中には【王国】の凛子の名前もあった。

 知夏は小さく身震いし、凛子を見つめる。

「はあ? 誰が好き好んでマッドサイエンティストたちの味方なんかするかよ!」

 凛子が叫ぶ。その言葉に二人ほど同意した。名前が挙げられたうちの誰かだろう。

「そう興奮しないでください。すぐに心から上級特異になりたいと思わせてあげますから」

 少年の手には白いゴム製のリングがあった。これは上級特異たちがつけているナンバーリングだ。彼の左手にも同じようなものが嵌められている。

「それではまず美柑さん」

 髪の長い大人しそうな少女は一番手前の二段ベッドの下の段にいる。近づかれて、声にならない悲鳴を上げた。

「あなたは何かグループに入っていたりしますか?」

「えっと……わ、私は【料理同好会】に」

「へえ、どんなグループでしょう」

「普通に、その、料理が好きな者の集まりです。毎日おいしい料理を作ることを日々の楽しみにして生活しているんです」

 【王国】も共に食卓を囲っているが食事を作ることが目的のグループではない。グループの形にはいろいろあるのだと知夏は思った。

「そうなんですね。じゃあこれから君はそんな手料理が大嫌いで馴れ合いを壊したい人間になってもらおう」

「えっ」

 一体何を言っているんだとこの部屋にいる誰もが思っただろう。しかし少年が美柑と呼ばれる少女に目を合わせた瞬間、彼女の雰囲気が変わる。それは、顔が見えなくとも分かった。身体の力が抜け、何かに安堵したかのように少年の方を見つめている。

「あははは……そうですね。確かに素人の手作り料理なんて不確かで手間のかかるもの……大嫌い。今まで好んで食べていたというだけでも寒気がするわ」

 少年の助けで身体を起こした美柑はどこか恍惚とした表情を浮かべていた。まるで彼に触れられるのが光栄なことだと言わんばかりに。

「私の目を覚ましていただきありがとうございます、語様」

 身体をくねらせ彼にかしづく美柑は先ほどと同一人物とは思えない。

「洗脳……?」

 と、部屋の奥にいた誰かが呟く。

「ええ、おっしゃる通り、僕は【洗脳の特異】御山みやまかたりです」

 美柑に白いナンバーリングをつけた語と名乗る少年は、また別のベッドへ向かう。

「由賀好奇……君は何のグループにも属さない不良でしたね」

「なんだよ、結局全員の情報を調べているんじゃないか」

 そう言って好奇と呼ばれた大柄な少年は拘束を解こうと暴れる。しかし彼のような巨体が暴れても拘束はびくともしなかった。

「しかも猿山の猿のようなリーダー格……随分いばり散らしていたみたいだけどそれももう終わりです。君は今日から僕の犬だから」

 語が笑って目を合わせた途端、好奇はぴたりと動かなくなる。

「ねえ、好奇」

「はい……語様。俺は今日からあなたの犬です。この身をどうぞご自由にお使いください」 

 そしてまた、性格も雰囲気も変わってしまった。白いナンバーリングをつける語を、まるで愛しい人でも見るような熱い視線をもって見つめている。

「気味が悪りい」

 と凛子が呟く。

 皆が怯える中、無慈悲にもまた次のターゲットが選ばれる。

「安土白米と安土玄米は同じ【同士】というグループだね」

「……玄米、目だ……こいつの特異は目を合わせなければ発動しない」

「う、うん」

 白米は中学生くらい、玄米は小学校低学年くらいだろうか。白米が他の二人の様子から語の【特異】を見抜いたようだがそう簡単にはいかなかった。

「美柑さん、お願いね」

「はい、語様ぁ」

 美柑が満の身体に触れた途端、満は目を開いたまま硬直してしまう。

「【停止の特異】の前じゃそんな愚策は通用しませんよ。さあ、君の他の仲間たちを潰しましょうか」

「いやだ、そんなこと……いや、違う……そうです、俺は元々あんなやつらのこと憎く思ってて……そうです、潰しましょう、潰させてください、語様」

「白米お兄ちゃん!」

 兄の変貌に玄米が叫ぶ。

 もうやめろ、と他の誰かも叫んだ。こんな恐ろしい光景何度も見てはいられない。せめて目のつかないところでやってもらわなければこちらの気持ちがもたない。

「お前も一緒に行こう、玄米」

「いやだ、僕は……あ」

 叫ぶ玄米の頭を語が押さえつけ、無理やり目を合わせる。

「玄米、君の主人は僕ですよ」

「語……様」

 まだ幼い少年まで容易に彼の手下となってしまう。

「指図するな白米、僕に指図していいのは語様だけだ」

 自分が慕っていた兄のことさえ邪険に扱うほどに。

 となれば、最後は凛子だけだ。

「嫌だ……あたしは女王様も近衛兄貴も維吹兄貴も……浮音の馬鹿や知夏や住佳たち小学生も……誰のことも裏切りたくねえ!」

 凛子が叫ぶ。そして手近に武器となるものがないか探した。しかし縛られているこの状態で語を倒す術が見つからない。特に【停止の特異】、美柑に触れられてしまっては。

「【王国】の絆は強いって聞きますね……既に、洗脳済みのやつも紛れさせているんだけど気づかないか」

「嘘……」

 知夏が呟くと語はクスクスと笑った。

「クソな姉の情報によれば明日動き出すのは【王国】。それならばとっとと内部崩壊を狙いましょう」

「凛子お姉ちゃん」

 知夏の叫びが虚しく響く。語と目を合わせた瞬間、自分が姉と慕った少女の様子がガラリと変わったことにはすぐに気がついた。

 抵抗するために入れていた四肢の力が抜けて、美柑が手を離してもじっと語のことを見つめている。そうして先ほどまで険しい顔で見ていたはずの語に慈悲深いような笑みを浮かべるのだ。

「【王国】崩壊か……あの高飛車の女王様が屈服する姿が見てみてえなあ」

 拘束を解かれ起き上がった凛子に白いナンバーリングが嵌められる。まるでそれが忠誠の証でもあるかのように。

 知夏は凛子が自分から離れていく姿を、呆然と見つめていた。

 その姿は自分が慕う姉なのに、雰囲気だけは一気に変わってしまった。

 【王国】ではかなりの古株で、気が強くて喧嘩っ早いところもあるけれど、子どもたちの喧嘩を仲裁してくれたり、いろんなルールを教えてくれたり、たまにバイト先のスーパーから果物をもらってきてくれる少女。それが、たった一人の男の手先となってしまった。

「凛子お姉ちゃん、目を覚まして……」

「ああ、僕の洗脳は解けませんよ。ママゴト遊びのような洗脳実験をする紗雪姉さんとは違ってね」

 冷たく言い放った語の後ろを、彼を慕うように五人の子どもたちがついていく。それは、あまりにも不気味な光景で……

「いや、いやああああ」

 扉が閉まった部屋に知夏の悲痛な叫びが響いた。

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